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馬と紅茶

 永禄五年(1562年)一月、美濃、明智城にて

 海野幸稜


「織田の書状には村上様が馬を譲ったとあります。兵たちに聞き回り調べましたが、その様な事実はありません」

「当たり前だ。その様な指示はしとらぬ」


「では、どういう事なのでしょう。織田が謀っているのか。誰かが隠しているのか」

「幸稜の小僧、味方を疑ったら仕舞いだ。気をつけないと見限られるぞ。兵たちは結構、俺たちを見ているからな」

「本庄様ありがとうございます。気をつけます」


「おうよ、礼はいく……」

「気になるのは馬です」

 本庄様の言葉に被る様に発言する。

 最後まで言えなかった本庄様が、拗ねて口をへの字にした。


「馬?」

「はい、もし織田信長が謀るとしたら馬以外でも良かったのではと思います。銭や鉄砲、刀に槍、もっと直接的な書状とかでも」


「うむ」

「ところが、馬です。馬と言うからには、馬なりの理由があるのでしょう」

「馬好きとか」

 本庄様は気を直したようだ。


「さすが本庄様です。その様に馬に結び付く様な何かがあるのだと思います」


「相手が勝手に書いた事ゆえ、分らぬだろう」

「ですが村上様、御屋形様ならばいざ知らず、その様な申し開きでは関東の武将たちは誰も納得しません。誰もが納得する、最もらしい理由を創るべきでしょう」

「うむ、だが本当に何もやましい事はしておらぬ。それだけでは駄目か」


「恐らくは」

「なぜ、そう思う」

「はい、敵は織田信長だけではありません。北条氏康も絡んでいると思います。この美濃や尾張の事が関東武将の知る処になるなど、明らかに時を合わせています。敵に都合が良すぎるのです」


「俺にも分かるように話せよ」

「織田や北条が上杉に取って貰いたい手とは何でしょう。それは簡単な事です。織田にとっては上杉勢が美濃から引く事で、北条にとっては上杉勢が関東から引く事です」

「お前は、北条と織田が結んだと言うのか」

 本庄様が、どうなんだと俺を見る。


「結んだかどうかまでは分かりません。ですが、この件は繋がっていると見るべきかと思います。上杉勢が内輪で揉めている間は、関東でも美濃でも、上杉勢からの攻めはないと見立てられますから」

「確かにな」

 本庄様が言った。


「織田や北条が、儂の事で上杉を崩そうとしていると言うのだな」

 村上様が問い、俺は頷いた。


「村上様が御屋形様の処に行くことで、美濃の上杉勢は動く事はなくなり、織田としては助かります。そして、もし村上様を謹慎させ誅殺などと処罰をしようものなら最悪、信濃衆は離反。御屋形様は信濃に敵を作る事になります」


「もし、その様な事になれば北条や織田は大喜びだ。御屋形様は越後に引き上げる事になる。北信濃を放置もできないからな」

 本庄様が、顎に手を当て擦る。


「うむ」

 村上様が頷く。


「本庄様の言う通りです。今は美濃でも関東でも、敵は上杉勢に劣勢です。挽回しようと謀を仕掛けてきたのでしょう」


「そこで、村上の爺さんが目をつけられたと言う訳だ」

「そうです。村上様は野心があり、戦上手、そして外様でありながら今や越後上杉の重臣。これほど上杉勢の内輪揉めに相応しい人物はいません」


「うむ」

 村上様が面白くなさそうに顔をしかめた。


「爺さん、どうするんだ」

「どうするもこうするも、繁長、今の通りの事を知らせれば良かろう。儂を陥れ上杉勢を混乱させようとする織田と北条の謀だとな」


「幸稜、どうだ」

「なんとも言えませんが、恐らくそれは織田と北条の思う壺だと思います。どのような手でくるか分かりませんが、我らがその様に動く事は折り込み済みでしょう」

「むむ」

「戦には滅法強い村上の爺さんも、謀には敵わないか」

 唸る村上様に本庄様が、染み染みと言った。そして、俺を見る。


「小僧、何か良い考えはないのか」

「はい、考えてはいるのですが」


 どうやって敵の謀略に対抗したらよいのかが、思いつかない。

 馬に拘れば、解決の糸口を掴めるかと思っているのだが。


 馬。

 馬。

 馬を売る、馬を買う。

 きっと何か切っ掛けがあったはずだ。謀略に繋がる切っ掛けが。


「本庄様」

「おう、なんだ」

「馬と聞いて思い浮かぶ事を教えてもらえませんか」


「馬で思い浮かぶ事か?」

「はい」

「そうだな。騎馬、槍、戦、俺、強い……」


「ん、んん」

「すまん。馬、馬、あとは、馬肉、大きな声では言えんが、これがまた精が付く」

「んん」


「……あと、馬革、具足って処だな、俺が思い付くのは」

「それだっ」


「おっ、なんだ、なんだ」

 俺の大きな声と指差しに、本庄様がたじろぐ。


「幸稜、考えた事を話せ」

「はい、村上様。兵たちには馬を織田方に売ったかと聞き回ったのですが、そもそも、それが間違いだったかも知れません」

「どう言う事だ」


「兵たちに問うたこちらも、聞かれた兵たちも、生きている馬の事を前提に話しをしていたのかと思います」

「うむ、なるほど」

 村上様が深く頷いた。


「なるほどな、俺も分かったぞ。弱った馬を買い換えるために屠って売ったのだな」


「うむ、大方、織田方の商人が馬革を買ったのであろう。そして、それを聞きつけた織田信長が謀叛をほのめかす書状にしたため御屋形様に届く様に仕組んだ」

「調べてみないことには分かりませんが、恐らくは、その様な事かと」


「小僧、噂の真相がそうだとして、その様に申し開きするつもりか?」

「いえ、それでも申し開きとしては弱いでしょう。この度は逃れてもまた、同じ様に敵から仕掛けられてしまいます。もう少し良い考えがないか思案いたします」


「あまり時はかけられん」

「はい、分かりました」



 俺の返事で一旦、この場は解散となった。

 本庄様は端から村上様や俺たちの謀叛など疑っておらず、捕まえる事や目付けをつける事もしなかった。そして、村上様がいなくなった時の美濃防衛のために地形など調べて来ると言って、さっさと姿を消した。


 俺も何か良い考えはないかと考えながら、普請現場に戻った。





「殿、浮かない顔をしてどうされました」

 俺を見つけた角雄が声をかけてきた。


「ちと、困った事があってな」

「本庄様の件ですか」

「本庄様の件と言うより、本庄様が持ってきた件と言うのが本当だがな」

「難問で」


「いや、取り敢えずの解決はできそうだ。が、繰り返し起きそうな気がしてな。何かもっと良い手はないものかと思案していた処さ」

「なるほど、まるで稲に付く厄介な害虫と言うわけですな」


「上手い事を言うな」

「いえいえ」

「角雄、教えてくれ。稲に付く害虫を退治したい場合はどうしたら良い」

「それは難しい話しです。害虫が嫌いなものを撒くと、暫くはいなくなりますが、直ぐに寄ってきます。害虫を駆除する事はできないですな」


「そうか難しいか。そうだよな、その様な事ができれば皆、苦労しないか」

「真に。役に立てず申し訳なく」


「いや、ありがたい。難しいと分かっただけでも成果だ」

「では、殿、茶でも如何ですか」

「良し、貰おう。角雄、お前も付き合え。今日は茶に糖液を入れて飲もう。暖まるぞ」


「例の甘い奴ですな。では早速、番屋で湯と茶碗を貰ってきます」

 角雄が番屋へと向かっていく。

 途中、見知らぬ者たちと擦れ違った。


 見知らぬ者たちは三人連れ。一人は武家の奥方のような旅装束で普請をしている明智城を見上げている。後の二人は女の供のようだ。男女二人が、女の邪魔をしないよう後方に佇んで見守っている。


 女が俺の視線に気がつき、俺の方を向くと会釈をした。

 俺もつられて会釈を返す。

 相手が目を離さないので見詰め合ったままだ。余りに見詰めるので知っている人かと記憶を探る。


 知らない女だ。

 女が俺を知っている?


 まさか、間者ではないだろうな。


 年の頃は福や杏より若く見え、日に焼けていない肌は白い。目は二重瞼で涙袋もぷっくりで大きく見え、顎はすっきりとした顔をしている。

 この時代では色白で瓜実顔に小さな一重の目と小さな口であれば美人となるがこの女は違う。

 この時代の美人顔ではないが、俺好みの顔をしている。


 女は俺から目を離すと再び明智城に目を向けた。

 城の様子を調べているというより、城全体を眺めているといった様子だ。


「珍しい物でも見えますか」

 俺は女に近づき声をかけた。


 供の二人が女を守るように前に出ようとすると、女が手を振り後ろに下がらせた。


「ええ、とても」

 女の声は少し高い。年の割には幼い声だ。だが、好きな声だ。


「どこにでもある小さな城ですよ」

「そうね」

「……」


 会話が続かない。逸そ、あなたは間者ですかって聞くか。


「ここは私にとって懐かしい場所なのよ」

 女が城を見上げたまま言った。


「懐かしい?」

「ええ、幼い頃に、この城で過ごした事があったの。城の館を抜け出して、走り回って遊んではよく乳母に叱られていたわ」


 小さな姫様が、お転婆に走り回る姿が目に浮かぶ。さぞ、可愛かったであろう事は想像に難しくない。

「良い思い出ですね」


「そうね。でも斎藤義龍との戦いで落城した後は、荒れ果てていると聞いていたの」

「今は我らが占拠しています。見ての通り、もとの通りとはいきませんが城として普請していますよ」


「あなたは上杉の方?」

「ええ、そうです。あなたは明智縁の方ですか」

「そうね、そうなるかしら。でも今は……」


 他家に嫁いだのか。


 女の顔が見えない。

 明智一族は斎藤義龍に敗れ、離散した。落城した明智の城は荒れ果て、滅ぼした当人である義龍はもうこの世にはいない。


 このひとは、何を思っているのだろう。


「どうして明智城こちらに」

「あらあら、私は何処かの間者と疑われているのかしら」

 女は振り返り俺を見た。目尻を下げ笑っている。


「いえ、その様な……」

「ふふ、私は怪しかったの。この城を調べている間者に見えた?」

「いえ、……」


「残念ね。私は間者ではないわよ。私は、ただの通りすがりの者」

「通りすがり?」

「そうよ。熱田詣での途中に立ち寄っただけなの」

「熱田詣でですか?」

「ええ、尾張の熱田神宮に詣でる途中ですよ」

「……」


「あら、変な顔をするのね。私、可笑しな事を言ったかしら」

「いえ」

「だったら、どうしてその様な顔をしたの」


「いえね、今の尾張は戦の真っ只中。その様な所を通って熱田に行くなどと危険ではないかと思ったのですよ」


 この美濃から尾張の熱田に行くには、途中、戦に巻き込まれたり、盗賊に襲われたりと危険な事は多い。

 本当に世間知らずの奥方が熱田詣でに行こうとしているのか、本当は間者で嘘を付いて俺を騙そうとしているのか。

 人を騙しそうもない顔をしているのも演技かも知れない。


「あらあら、あなた、若いのに疑り深いのね。私が怪しいって顔に書いてあるわよ。ふふふ」

「いえ、その様な……」


 顔に出たか。冷静になれ俺。女に騙されるな。


「駄目よ。若いのだからもっと柔らかい顔をしていないと。恐いのは駄目。ほらっ、笑って」


 女は近づくと両手で俺の両頬を押さえて擦るように回す。微笑む女の顔が近い。息がかかるほどだ。

 頬にある女の手は冷たかった。だが、火照る頬には気持ち良い。


「ええと」

「ふふふ、ほら、笑って。笑ったら可愛い顔なのに」


 恥ずかしい。止めてほしい。


「ほら、可愛い顔になった」


 女の手が離れていく。

 止めないで欲しい。


「やはりあなたは越後の国の人、この辺の事は良く知らないのね。この辺りでは女同士だけの熱田詣では当たり前なの。尾張はとても安全。少なくとも京の都や隣の三河の国に比べたら賊は出ないに等しいわ」


「ですが」

「ふふ、ありがたいわ。私を心配してくれるのね。だけど、大した事はないのよ。織田と上杉や斎藤との戦を避ければ良いだけだから」


 見詰められて、微笑まられて、勘違いしてしまう。この女は俺を好きなのではと。


 不味い、その様な訳はない。

 女にその様な思いはない、男の勝手な妄想だ。

 女が俺に惚れようとしているのではなく、俺が女に惚れようとしているのだ。


 この女に惚れないようにしないと。

 俺には嫁がいる。俺には嫁がいる。


「どうしたの」

 女が、首を傾げる。


 話題を変えないと。

「あなたの夫は熱田詣でを心配されないのですか」

「心配しないわ」

 女は少し悲しそうな顔になった。


「殿は、私に興味はないもの。館にいてもいなくても素知らぬ振り」

「まさか」


「いいえ、結婚したとは言え、それは家同士の取り決めのために結婚しただけ。お互いの家の女を交換し結婚と言う形を取って、家同士が結んだだけなのよ」


 同盟のための政略結婚と言った処か。

 可哀想だと言えば良いのだろうか。

 いや、他人の事を勝手に決めつけるのは良くない。


「殿は私の処に来たことがないの。他の室の処に行って子を成しているけど」

「酷い話しですね」


「そうかしら」

「そうではないのですか」

「そうね、最初は悲しかったけど、今は」

「今は?」


 女は微笑んだ。まるで少女の様な笑いだ。


「ふふ、今は気が楽だわ。殿は私の好きにさせてくれるし。だから、こうして外も自由に動き回れる。家中が戦で大騒ぎの最中でも、私は好きな事ができる」

「そうですか」


「それに意外と殿は優しいのよ。もう帰る場所のない私を館から追い出さず、館に居ても良いと言ってくれるの。もう同盟の役に立たない私なのにね」

「なるほど」


 気が楽だと言うのは、幸せと言う事なのだろうか。


「殿、お待たせいたしました」

 角雄が湯を入れた徳利と茶碗を持って戻ってきた。

 随分時間がかかったなと思ったら、角雄は盆にそれらしく茶碗を置き、客をもてなす様な装いだ。そして、肩には二脚の床几を掛けている。


 気のきく男だ。

 俺と女が話し込んでいるのを見て、わざわざ準備してきたのだ。


「あの、宜しければ茶は如何ですか。暖まりますよ」


 女の供が「姫」と注意を促したが、女は「大丈夫です」と言って供を黙らせた。


 一般的な主従のやり取りなのであろうから、それに文句は言わない。が、毒など入れるか。

 俺には知らぬ相手に毒を盛り、相手が苦しむのを見て楽しむ趣味はない。

 それに、家の茶は蔵田屋が誉めるほどの代物だ。勿体なくて毒など入れられない。


「ありがたく頂きます。丁度、喉が乾いていたし嬉しいわ」

「では、少々お待ちを」


 角雄から徳利と紙に包んだ茶葉を受け取り、茶葉を徳利の中に入れる。角雄には葉が開く間に床几を設えてもらい、女に座るよう促す。


 茶葉が開いた頃合いを見て、徳利の口に茶碗を当て茶葉が出ないように隙間から茶湯だけを空いている茶碗に注いだ。そこに、小さな銚子から糖液を垂らし、木匙でかき混ぜて女に茶碗を進める。


「これが茶?」

「ええ、そうです」

「茶とは、もっと新緑の色の様な飲み物だったかと思ったのだけれど。越後の茶は、この様に薄くて赤いのかしら?」


「いいえ、越後の茶も緑色ですが、我が家の茶はこの様な色なのです。初めては味気なく感じるかも知れませんが、慣れるとこの香りとあっさりした感じが良いと思えるようになりますよ」


「この香りね、私、好きかも。では頂きます」

 女は茶碗を両手で挟んで口に付け傾けた。


「甘い、甘いわ」


 良し、やった。驚いている。


「驚いた、あなたの家の茶って、この様に甘いの?」

「美味しいですか」

「ええ、とても。とても美味しいわ」


 女の顔が驚きから微笑みに変わる。

 これが見たかった。女の驚きと微笑みが見たかった。


「これは特別な茶で、この糖液のお陰で甘いのです」

 俺は糖液が入った銚子を持ち上げて揺らす。


「糖液?」

「そう、甘さの正体はこの糖液です。これは樹液を煮詰めた物です」

 俺は糖液について簡単に説明した。


「あら、正体を教えてくださるの」

「ええ、問題ありません」


 我が家の茶の正体は、緑茶とは異なり半発酵させたいわゆる紅茶だ。そして、糖液の正体は楓の樹液を煮詰めた物、いわゆるメイプルシロップだ。

 日本に自生している楓でも作れるが、時期が限られ少量しか作れないため我が家で消費する程度だ。


「角雄、供の方々にも振る舞ってくれ」

「はい、分かりました」


 角雄が女の供たちにも糖液入りの茶を振る舞い始めると、遠くから俺を呼び段蔵が走って近づいてくる。


「殿、探しましたよ」

「どうした、慌てて」

 息を切らす段蔵に尋ねると、見知らぬ者がいるので段蔵は声を潜めて答えた。


「竹中様がおいでになりました」


次回、謀略と竹中重治の知恵



この女は?


次回投稿は、6月18日(月)の予定です。

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