御屋形様からの手紙と組んだ二人の男
永禄五年(1562年)一月、美濃、明智城にて
海野幸稜
村上様の機嫌が悪い。
岩倉城攻めの最中に村上様は、本庄様の使いの者に御屋形様からの書状を渡された。
そして、その書状を読んだ村上様は、渋々明智城まで上杉勢を引き上げて今に至る。
須田様はまだ三河から戻っていない。
須田様は松平元康の力を弱めようと三河の分裂工作の真っ最中だ。
三河の内情は複雑だ。
三河の中で一番の勢力を保持しているのは松平元康で間違いないのだが、全ての者が元康に従っている訳ではない。
元々、十八松平と言うぐらい三河の松平分家は多かった。松平元康もその分家筋の安祥松平家の出身だ。
その安祥松平家は元康の数代前の当主が、松平宗家滅亡後に更に勢力を伸ばし宗家を相続しただけ。当然、反発する他の松平家も多い。
更に寺社同士の宗派争いと守護使不入権も絡み三河の勢力図を複雑にしている。
松平元康は寺社の守護使不入権を認めない方針を打ち出した。
当然、既得権益を取り上げられる側は反発する。
寺社の中でも特に大きな領地を持つ一向宗の寺は元康に怒り心頭だ。これまで続いてきた特権が犯されようとしているからだ。
寺社領地内での警察権、徴税権などはその寺社が持つ。幕府や守護たちの者は寺社の領地に入る事も許されない。寺社の持つ土地は、いわゆる治外法権地域になっているのだ。
領地内を好き勝手やって来た寺社としては、自分たちの土地だと言う意識が強い。それを取り上げると松平元康が、言い出したのだから寺社の反発は必至だ。
ところが、そこに仏の敵は仏とばかり宗派争いが絡む。元康に反発する者、元康に味方する者が出る。反発とは戦の事、力による解決だ。
そして、松平元康としても今川から離れ独立し三河を統一するには、寺社が持っている力を自分の物とする必要がある。これから戦国大名として戦って行くには避けられない道なのだ。
今後、三河は戦乱の国になる。
史実では三河一向一揆と言うが、実態は単なる三河内乱だ。この内乱に破れた元家臣たちが、元康のもとに復帰し易い様に一向宗と言う悪者を作っただけに過ぎない。全ての罪を一向宗に集め、歯向かった家臣たちの罪をなくした。
敗けた者は何も語れず、勝った者が歴史を創る。
松平元康陣営、対、反松平元康陣営。
その様な集団がぶつかるように須田様が暗躍している。
配下の者を有力な寺社に使わし反松平元康の話しを広め、自分は奥三河で今川の家臣と会って混乱が起きた折りに今川勢がどの拠点を攻めるのが良いかと話し合っている。更に、反松平元康陣営に今川からの資金や兵糧まで融通させようとまでしているのだ。
戻った須田様が本庄様の持って来た話しを聞いたらやる気を無くす事、請け合いだ。
全く、どこのどいつだ。邪魔しやがって。
「繁長、話しを聞こうか」
村上様が本庄様に言った。
明智城のでき上がったばかりの館の一室に、村上義清様、本庄繁長様、と俺、海野幸稜が集まっていた。
「話しも何も、その書状に書いてある事しか俺も知らないぜ。そこに書いてある通り、書状で申し開きをするか、直接御屋形様の処に行って申し開きをするかだろ」
「何も知らぬのか」
「ああ、何も知らない。それに俺には関係ない話しさ。俺はずっと深志にいたんだ。南信濃の武田方は俺たちが攻めると直ぐに皆が降伏して戦にもならなかった。何も起こらず静かなものだった。暇で暇で仕方なかった。ずっと柿崎の親父には関東か美濃に行かせてくれって頼んでも駄目だと言われていたしな。そんな折りにこれだ。俺はずっと我慢していたから御屋形様からの褒美だと思ったぜ。繁長、お前が村上の爺さんの替わりに美濃で戦えってさ」
「いや、それはない」
「だからさ、村上の爺さん。これを期に御屋形様の所に行って申し開きをした方が良いと思うぜ。後の事は俺が片付けてやるからよ。腕が鳴るぜ」
「儂には身に覚えなどない。申し開きなどしようがないであろう。なあ、幸稜よ」
ん、まてよ、あれか?
「どうした、幸稜。まさかお前が」
「海野の小僧、お前、心当たりがあるんだな。良し、村上の爺さんといっしょに御屋形様の所に行け。そして、腹を切れ。俺は美濃の戦で忙しいからお前の介錯ができなくて残念だが仕方ない。さあ、旅支度を始めろ」
本庄様が「でかした、でかした」と膝を叩く。
この脳筋、俺にも心当たりはないぞ。勝手に謀叛人にするな。
「村上様、もう一度御屋形様の書状を読ませてください」
「お前に心当たりがあるのか」
「いえ、ありません。が、気になる事が」
「小僧、気に障る事だと。だいたいの謀叛人はそう言うのだ。気に障る事があったから謀叛をしたとな。御屋形様に会って申し開きしろ。御屋形様なら赦してくれるかも知れん」
気に障る事でなくて、気になる事だ。
どうしても俺たちを謀反人にして、ここから追い出したいらしい。自分が美濃にいる上杉勢を率いて戦をするために。
「本庄様、気に障る事ではなく、気になる事です」
「そんなのどっちでも良いじゃねえか。兎に角、御屋形様に会え。申し開きに行け。美濃の事は俺が面倒見てやるって。安心して行ってこい」
安心できるか。せっかく計画通りに引き戻したんだ。ここで泥沼の戦に突入させる訳にはいかない。
「いえ、そう言う訳にはいきません。もうこの地で戦はありません。それに仮に我らが御屋形様に申し開きに行くとしたら、本庄様が目付け役として同行せねばならないのでは」
「いや、俺は村上の爺さんやお前を信用している。謀叛など考えてねえってな。だから、爺さんとお前たちで行ってこい。俺は留守番だ」
「それはいけません。我らが逃亡したら本庄様の落ち度となりましょう。その様な迷惑をかける訳にはいきません。それに我らの目付けとして立派に役目を果たす事が御屋形様への忠義かと思います」
「爺さんもお前も何もやってないんだろ。だったら胸を張って堂々と御屋形様の前に顔を出せば良いんだ。俺に気を使う事はない」
「いえ、本庄様のお役目の方が大事」
「いや、俺はお前を信じる」
ふざけるな、誰がお前をここに残すものか、と俺が笑う。
とっとと、ここからいなくなれ、と本庄様も笑う。
「本庄様、戦がしたいだけですよね」
「おうよ、だから美濃は俺に任せろ」
「駄目です」
「任せやがれ」
「嫌です」
「任せろ」
俺は笑う。
本庄様も笑う。
「なあ、幸稜、俺とお前の仲だろ」
本庄様が近づき俺の肩に手をかける。俺は顔を背ける。
「なっ、なっ、少しだけ、少しだけで良いからよ」
今度は回り込んで肩を組んで来た。
体を揺すり嫌がるが本庄様は離れない。
少しだけって。全く、どこの詐欺師だよ。
「駄目なものは駄目です」
「ちっ、器の小さい奴だな。少しぐらい良いじゃねえか」
「少しも多くもありません。この美濃で戦をしていては本末転倒。それこそ御屋形様の咎めを受けます」
「けっ、謀叛を企んだくせに」
「おや、先ほどは信じると言ってくれたではないですか」
「いや、考えが変わった」
「へえ、本庄様とあろう方が賽の目のように考えを変えられるとは。嘆かわしい」
「何だと」
「何でもありません。ただ」
「ただ、何だ」
「器の小さい方だなあと」
「おい、こら、幸稜。もう一度言ってみろ」
「では、何度でも」
「馬鹿者」
俺と本庄様の睨み合いに村上様が活を入れた。
「二人とも止さぬか。ほれ、幸稜、御屋形様の書状だ。繁長も意気込みは買うが御屋形様の企みが先だ。儂らが勝手に企みを変える訳にはいかん。幸稜も馬鹿な事をしとらんで、先に気になる事を話せ」
村上様が俺に御屋形様の書状を渡してくれた。
「すみません。では借ります」
何か言いたそうな本庄様を無視して書状を預り、頭からもう一度読み込む。
御屋形様の書状は、村上様宛てで、寒い季節になった、遠征中はどうしても不摂生になるので体を労り、病気にならぬ様に気を配ってくださいと始まる。
どこのオカンだよ。
続いて、関東の近況だ。
北条方が冬の前に岩槻城を攻めた。だか、太田資正と謀って挟撃し大勝した。
北条方は弱い弱過ぎる。戦で敗ける気がしない。北条方はこの大敗で当分動けないだろう。
この様に自分が関東管領として邁進できるのもの貴方の忠義があればこそだ。感謝の言葉を述べる。いずれ形にして報いたいと綴られている。
俺も村上様のついでに何か形あるものを貰えるのだろうか?
だけど知行地とか貰っても統治が面倒だから感謝の意だけで良いですよ。
更に、戦の合間に浜辺に座り幼い子供の姿を見る。子供は愛らしく日々成長している。子供は可愛いものだ。まさか私にこの様な感情が芽生える日が来るとは夢にも思わなかった。
私はその様な子の姿を見て思う、早くこの戦乱の世を静め皆が平穏に暮らせる世を作らねばならぬと。だから、より一層、私と共に善き世を創るために励んで欲しいと繋がっている。
戦乱を終わらせる。
それは賛成です。が、まさか、座っていた浜辺とは越後ではないですよね。
北条方に当分動けないだけの打撃を与えたからと言って、江戸城を抜け出し越後にいる訳ではないですよね。
最後に、今回の村上様や須田様や俺への嫌疑が綴られている。
最近、ある噂が広がっている。
私は噂など信じないが、関東の武将たちが真偽を確かめるべきだと騒いでいる。
噂とは、美濃にいる上杉方の武将たちが尾張の織田信長と結び、この上杉政虎に謀叛を起こそうとしているとの内容だ。全く馬鹿げた話しだし、真偽を確かめるにも値しない。
ところが、織田信長が貴方に宛てた書状が私に届いた。
その書状には、大変な名馬を譲って貰い感謝している。これで尾張の軍備も更に磨きがかかり、貴方の望みにも与力できると書かれていた。
不可思議な事にどのように広まったか分からぬが、皆がこの内容を知っているのだ。
一度、皆の前で話すか、知っていることを書状で知らせて欲しいと御屋形様の書状は終わっている。
村上様も、俺も、織田信長と組む考えなど毛頭ない。反対に信長を絶賛タコ殴り中なのだ
となれば考えられるのは、謀略。
村上様や須田様を美濃方面から引き離し、あわよくば謀叛したとして亡き者にすると言う織田方の謀だ。
そして、その噂が関東方面で広がっていると言う事は、関東の敵も絡んでいると見て良いだろう。
北条氏康。
織田信長。
二人が組んだのだ。
次回、馬と紅茶
戦に勝てない二人の男が組みました。
武力でなく、知恵での戦いです。
であれば、・・・。




