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苦い薬とあと五年



 永禄四年(1561年)十月、美濃、金山城近く木曽川河川敷にて

 海野幸稜


「はあ」

 疲れた顔で、ため息を吐くように龍興が言った。


「怒らぬので」

「ああ、もう良い。怒る気も湧かなくなった。もう怒らぬから俺にも分かるように言え。何故、俺が粽を食ったら上杉だけで尾張を治める事になるのだ。さっぱり分からん」


「龍興様が馬鹿者であるからです。……怒らぬので」

「怒らぬ。分かっておるぞ、俺が馬鹿者と言うのだろ。先ずは俺が馬鹿者である訳を言え」


「では、遠慮なく」

「遠慮などしておらぬだろうが」


「先ずは、この場に参加しているからです。何故に参加されようと思われたのですか」

「俺は美濃国主だ。俺が会談に出ずに如何する」


「安藤殿、竹中殿に任せれば良かったのでは。お二人は龍興様の出馬を止めなかったのですか」

「止められた。だがな、俺は美濃国主だ。亡き祖父の道三も信長と合って会談したと言うではないか。この度は俺が上杉方と合い同盟を結ぶのだ。何が悪い」


「いえ、大変結構な気構えでございます。ですが、それは武家としての気構え、決して国主の気構えではありません」

「国主だと」


「そうです。斎藤龍興様が美濃国主と言われるのであれば、国主たる言動をしなければなりません。龍興様がもしこの場で命を落とされた時を考えた事がありますか。その時、美濃の国はどのようになるでしょうか」


「俺が命を落とした時……」

「斎藤家は消え、美濃は他国の草刈り場となるでしょう。織田、六角、浅井、朝倉、そして、上杉が美濃を喰らいます。安藤殿や竹中殿はさぞかし大変な目に合う事でしょう」


「ぐぐ」

「先ほどの粽の件も同様でございます。毒と聞いても恐れず粽を食べた事、真に勇ましい事でございます。されど、国主としては落第でございます。もし本当に粽に毒が入っていたら、我らが龍興様の暗殺を企んでいたら」


「……」

「その様な馬鹿者が、尾張半国を治めても遅かれ早かれ国を失います。であれば最初から上杉が治めた方が尾張の民の為と言うもの。そのように考えました」

「……」

 龍興が俯く。


「龍興様、聞いてください。自慢ではありませんが、某はいつも馬鹿者と言われます。道理と言うものが分かっていないと怒られるのです」

「自慢のように聞こえるがな」と龍興は顔を上げた。


「かの織田信長は若い折り、大うつけ者と皆に呼ばれていたそうです。ですが、今では敵を滅ぼし尾張を統一してしまいました。若いと言うことは大うつけであり、大馬鹿者なのです。龍興様は大馬鹿者ですが、それで良いのです。若いのですから」


「なあ、俺はどうしたら良いと思う」


「女子に溺れるも良し、酒に溺れるも良し、馬鹿な事をしても良し、己の好きになさいませ」

「それでは、国を失うのだろ」


「いいえ、それで良いのです。好きな事を好きなだけ行うのです。しかし、嫌な事も同じ分だけ行うのです」


「嫌な事」

「はい、若者とは馬鹿者です。馬鹿とは病気でございます。病気を治すには薬が必要です。好物ばかり食べても治りません。苦い薬が必要なのです」


「苦い薬か」

「龍興様の周りには口やかましい者はおりませんか。あれこれと面白くない指図をする者はおりませんか。その者は苦い薬です。馬鹿を治す薬ですよ」


「……」

 龍興が安藤守就と竹中重治の顔を盗み見た。


「逆に龍興様に都合の良いことばかり言う者はおりませんか。その者の言う事は薬ではありません。馬鹿は治りません」


「その様な者たちを遠ざけろと言うのか」

「そうではありません。苦い薬ばかりでは、やってられません。時には旨い物も食べたいではないですか。苦い薬からも旨い物からも良く話しを聞くのです。そして、好きなようにやったら良いのです」


「それでは、納得しない者もいるのではないか」

「その時は、頼むと言って頭を下げれば良いのです。頭を下げるのも人の上に立つ者の度量と言うものです」


「頭を下げるか……それで事は上手く運ぶのか」

「まさか、そう簡単には上手くは行きませんよ。ですが、馬鹿を治すには苦い薬を飲み続けるしかありません」


「そうか、難しいのだな」

「当たり前です。龍興様は美濃国主なのですよ。国主が一番努力しなくて誰がするのですか。努力しなければ国を失い、野垂れ死ぬだけです」


「そうだな。お前の言う通りかも知れん」

「さて、上杉と斎藤との同盟の話しをいたしましょう。条件は、一つ、上杉と斎藤は結び織田を敵とする。一つ、上杉と斎藤は尾張を半国ずつ治める。一つ、上杉と斎藤の商取引には課税しない。一つ、上杉と斎藤の双方に関わる問題は合議によって解決を図る」

 俺は懐から同じ事が書かれた書状を取り出し広げて、龍興に向けて差し出した。


「龍興様。上杉との同盟、斎藤家の返事は如何に」


 龍興は書状を持ち上げると読み始めた。

 安藤守就は再び目を閉じ、竹中重治は龍興を見守る。


 同盟の条件を書状にした事に深い意味はない。同盟などと言っても守るも破るも自由だからだ。わざわざ書状にしたためた理由は、ただ一つ、目的を曖昧にしない為だ。


 そう、敵は織田信長だと。


「斎藤家の返事は如何に」

 須田様が龍興に聞く。


「須田殿、申し訳ないがこの場で返事はできぬ。少々、考えねばならぬ事もある。時をくれぬか」

 自分に言い含めるように龍興が言った。


「良いでしょう。我らは良い返事を待つ事にいたしましょう。では、この陣は上杉にて畳む故、皆様方は稲葉山に戻り検討くだされ」

「かたじけない」

 龍興が須田様に頷いた。


 会談は終わったとばかり皆立ち上がる。


「龍興様、申し訳ありません。海野殿に粽の作り方を教わってから戻ることをお許しください」

「粽か、ああ、分かった。守就と先に戻る。だが、早く戻って参れ。その方の話しも聞きたいからな」

「承知いたしました」

 重治が龍興に頭を下げる。

 俺も陣幕から出て行く皆に頭を下げる。


 そして、陣幕には俺と竹中重治が残された。


 さてと、ここからが本日の本番かな。


「海野殿、礼を言いましょう」

 重治が俺に向かって頭を下げる。


「いえ、何も問題はありません。粽の作り方は紙に書いて送りいたします」

 顔を上げた重治が苦笑いする。

 俺は手を差し伸べて重治に座るよう促す。


 長くなるかな。


「上杉方は、どのぐらい持つと見立てているのでしょうか」

「変わらねば五年と言う処です」

「変わらねば五年ですか。これは手厳しい。それでは変われたら?」


「それは安藤殿や竹中殿たち家臣次第でごさいましょう。如何になさいます。我ら上杉の者としては、今、皆様方に上杉に下って貰うと助かるのですが」


「それはありがたく思います。ですがそれでは世に謗りを受けましょう」

「そうですかね。この様な乱世なのです、生き残る為には仕方ないのでは」


「いいえ、乱世だからこそ忠義を示さねばなりません。上杉様も忠義無き者たちの上に立ちたいとは考えていないでしょう。どなたが美濃を治めるにしても、我ら国人領主としては、今、斎藤家に忠義を示す必要があるのです。例え、それが実らなかったとしても」


「分かりました。また折りを見て声をかけることにいたしましょう」

「ありがたい事です」


「ところで竹中殿、上杉と同盟した斎藤家は織田に勝てますか」

「残念ながら、守ることで精一杯でしょう。と言うことは、やはり上杉は東美濃から引き上げるのですね。夏、いや、春までが勝負でしょうか」


「駒が足りないですね」

 顎に手を当てて思案する。


「恐らく信長もその様に考えている事でしょう。三河の松平、北近江の浅井を巻き込み」

「上杉には和睦を願う」

 俺は重治の言葉を引き継いだ。


「そして、上杉もそれを受ける」

 更に、俺の言葉を引き継いだ重治に、俺は頷いた。


「三河の松平は駿河の今川と争い、直接美濃には影響はないものの、織田が東を心配する必要はなくなる。織田が美濃に戦力を集中できるのは困ったものです」

 重治がぼやく。


「分かりました。三河には心当たりがあります。松平の足を引っ張り、更には織田の足を引っ張るよう仕掛けてみましょう」


「助かります。あとは浅井」

「浅井賢政、いや、今は長政でしたか」

「そうです。昨年の夏に長政は十五歳でありながら浅井軍を率い、六角軍を野良田で撃ち破りました。浅井は完全に六角から離れました。おかけで六角と斎藤は同盟を結ぶことになったのですが、浅井には押されています。浅井の力も侮れません」


「六角には頑張って貰うしかないでしょう」

「名君であった六角定頼様が亡くなり六角義賢(よしかた)様、更には一昨年当主を継いだ義治様と代替わりする度、六角家は弱体化しているように思います。浅井を飲み込む力などはありません」


「越前の朝倉が、浅井の後押しをしているのでしょうか」

「いいえ、朝倉にも往年の力などありません。当主は兎も角、他の者は一族内で主導権を争ってばかりいると聞きます。亡くなった朝倉宗滴様が草葉の陰で泣いていることでしょう。六角や朝倉のような大国であっても名君一人亡くなるだけで今の様になるとは、栄枯盛衰は世の常と言うものの儚さを感じます」


「名君と言えど不死ではありませんからね。後継者の能力に国の行く末を委ねるのは、さぞ残念だったかも知れません。しかし、困ったものです。味方になりそうな斎藤と六角は当てにならず、敵たる織田と浅井は破竹の勢い」


「ですが上杉は斎藤を選んだ。いや、選ばざる得なかった。織田や浅井を脅威に思っているために」

「手を打ちませんと、あっという間に喰われそうですね」


「真に」

「何か良い手はありませんか。竹中殿」


「仲間を増やすか、相手を割るかでしょう」

「仲間を増やすのは難しそうです。であれば、相手を割るですね。何か良い思案でも」


「ええ、一つだけ」

「教えていただいても?」


「犬山城主の織田信清です。信清は信長の従兄弟で、信長の姉が室に嫁いでいます」

「とても信長と袂を別つようには思えませんが」


「信清は信長に協力して尾張上四郡を支配していた岩倉織田氏の当主、織田信安を尾張から追い出したのです。そこまでは良かったのですが、今は領地の取り分で揉めています。そして、信長が上杉に敗けたのを知って強気でいるとの事。上杉が後ろ楯となるならば信長と戦となることでしょう」


「なるほど、面白そうです。ですが、信長を心良く思っていないのであれば、是非とも信長の味方になって貰いましょう」

「と言うと」


「人は不信や不満を持つと中々拭えないものです。例え、信長と共に戦ったとしても、常に不信や不満を持った目で信長を見ることになるでしょう。必ずや信長の足を引っ張り、我らの味方になってくれるでしょう。そして、信長が信清を誅してくれたら尚良し」


「その話しを世に広め、信長の評判を落とし、信長に与する者も減らす。美濃者や浅井家に向けて」


「はい」

 声を出さずに笑った。

 そんな俺を見た重治の目が少し開いたように見えた。


「それでは、信清には信長の味方になって貰うとして、その算段とは?」

 重治の目が元の薄さに戻り俺に聞く。


「墨俣と犬山城の両方が攻められたら、信長はどのように動くでしょうか」

「墨俣を守るでしょう。信長も信清を快くは思っていないかと」


「であれば犬山城は落とせそうですね」

「時間稼ぎは美濃勢にて」

「ありがたいです」


「犬山城には、どなたが入るのでしょうか」

「織田との和睦が前提になるので、上杉勢以外が良いのですが」

「それならば、良い人物がいます」

「ほう」


「岩倉織田氏の当主、織田信安です。今は斎藤家の家臣となっていますが、打って付けかと」

「なるほど」

「更にもう一方、某に心当たりがあります」

「さすが、竹中殿。分かりました。その線で進めるよう村上様に進言しましょう」


「斎藤家が墨俣を押さえ、上杉勢を後ろ楯に織田信安が岩倉城まで進めば、三年程度は時を稼げましょう。上杉が再び戻って来るまでの時ぐらいは」


 さすが、竹中殿。良くわかっている。


 上杉家の主戦場は関東だ。

 美濃や尾張にこれ以上足を突っ込む事はできない。それに兵も雪が溶けたら一度越後に帰してやらねば暴動を起こす。


 武将は絶えず兵の待遇には気を使わねばならぬのだ。古今東西、兵の支持を得られぬ将の末路は悲惨だ。


 俺たち上杉勢と美濃勢は春までに信長を叩けるだけ叩かねばならい。


 俺は立ち上がり右手を差し出した。

 南蛮式の友好を確かめ合うやり方ですよと言って、俺は重治と硬く握手した。


 さあ、共に戦いましょう、竹中重治殿。

次回、同盟の結果と芋



軽く上杉家に誘ってみました。

竹中さん、当分は斉藤家の家臣ままです。

やはり、三顧の礼でないとダメなのか?


予定では明日投稿ですが、準備中です。間に合わないかも



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