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初陣と元服

 永禄四年(1561年)四月、越後、糸魚川青海にて

 海野蕎麦蔵


 越後勢が関東から戻ってきた。

 その引き上げの速さは関東諸将を驚かせ、敵方である北条の追撃さえ間に合わぬほどであったと言う。

 そして、連日のように御屋形様、村上様、宇佐美様、直江様が共に海野屋に襲来する。


 俺は声を大にして言いたい。「お前ら、海野屋に来るな!」と。


 俺と村上様と九郎左衛門様の三人で考え、纏め上げた星石計画を検討するために集まっているはずなのだが、この人たちときたら。


 御屋形様は、当然のように杏と産まれたばかりの子に会いに来ている。

 杏は三月の半ばに女の子を産んだ。産まれた子には近衛前嗣あらため前久と名を変えた眉なし公家から貰った名をつけた。


 娘の名はさき


 杏と御屋形様を足して二で割ったような顔をしていると福や女房衆は言うが俺にはそう思えない。だって、産まれたばかりの赤ん坊が親に似ているとは見えないぜ。

 間に合わなかったと悔やんでいたはずの御屋形様は、何が嬉しいのか、何が楽しいのか、杏が抱える娘のさきを見てはデレデレと顔が締まらない。

 俺が星石計画について伺いを立てると「良いでしょう」と一言。すぐに杏と娘のところに行ってはデレデレとしている。

 目尻の下がった上杉政虎、いや上杉謙信など俺は認めない。丁寧な言葉使いでも構わないから、もっとキリッとした顔をしてくれ。


 直江実綱様は星石計画の打ち合わせをしている間、目を閉じ熟慮しているように見せかけているが、その実何も考えていない。

 打ち合わせが一段落して昼になると、クワッと目を開き本日の蕎麦を旨そうに啜る。食べ終わると放心して感想をブツブツと呟く。

 直江様、あんた、蕎麦を食べに来ているだけだろ。


 宇佐美定満様はあれこれと俺を質問攻めにする。俺の回答を聞くとなるほどと感心したようで何度も頷くのだ。更に気がつかなかった点を指摘し提案さえしてくれる。

 さすがに知恵者の宇佐美様だ。


 だが、それは全て与板の先の分水路計画やその後の堤造りや干拓についてだ。星石計画については一回も質問がない。

 もう少し興味を持ちましょうよ、宇佐美様。


 村上義清様は寝ている。


 俺は起こさないからな!


 こんな連中が連日やって来るのだ。愚痴の一つも言いたくなる。

 そして、いつものように杏と御屋形様の会話が聞こえてくる。


「私と杏に似て可愛いですね。きっと三国一の娘になることでしょう」

「だから、何度も言っているだろう。俺の子だって」

「そうでした。杏の子、海野の子でした。ですが、私は子供好きになったのです。杏の子が好きなのですよ。もっと見せてください。もっと抱かせてください」

「仕方ないな。少しだけだからな」

「ありがとう、杏。子がこれほど可愛いものだとは思いませんでした。私はこの子が幸せに暮らせる世を創らねばならないのですね」

「この子が悲しむから無理はしないでくれよ」

「分かっています」

「なら、良いけど」


 見つめ合う二人。


「杏、私から提案があります」

「なんだい」

さきが一人では可哀想だと思うのです。前に妹か弟がいたら良いと思いませんか」

「なっ」

「如何でしょう。杏もそう思いませんか」

「そ、そうだな。妹か弟がいたら前も喜ぶかもな」

「では決まりです」


 俺に向き直る御屋形様。


「蕎麦蔵、今日は星石計画を熟考するため海野屋に泊まります。良いですね」


 分かります。拒否権はなしですね……うがぁ、絶対、熟考する気はないだろう。

 それに杏も頬を染めるなよ。生々しいだろ。と言うかお前らもっと離れろ。見つめ合うな。

 人の目があるからと屋外でいちゃつけない分、打ち合わせの場でいちゃつくのはどうかと思う。


「宇佐美様、御屋形様をこのまま放置しても良いのでしょうか」

「若い、若いのう、蕎麦蔵。お主は世の中の事を何も分かっておらん。だが、それが若い者の特権じゃて。羨ましい事よ」

「宇佐美様、申し訳ありません。分かるように言って頂くと」

「何、世の中には受け入れるしかないことが多々あるということよ」

「世知辛い世の中ですね」

「真よのう」

 宇佐美様はそう言って海野屋特製の薄い茶をずずっと飲む。


「ところで宇佐美様、なぜ皆様は星石計画に全くと言うほど興味がないのでしょうか」

「それは決まっておろうが。星石が落ちてくるなどと夢にも思うておらぬからじゃ」

「であれば、なぜ計画を」

「万が一と言う事もあろう。その時に慌てぬようにだ。心構えのある事が肝心じゃからのう」


 都合良く星石が落ちてくるなどと言う夢物語には期待していないと言う事だ。


「じゃがのう、蕎麦蔵。この陣の配置は良い考えだ。御屋形様も唸っておった。上手くゆけば武田方を野戦に引き摺り出す事ができるかもしれん。お主の計画とやらは無駄ではないぞ」

「そうですか」

「それに、分水路計画の人夫の使いようにも感心した」

「人とは戦力ですので」

「正に、お主も喰えぬ奴よ。いざの時はお主に頼むぞ」

「任せてください。そう言うのは得意です。楽しいですので」

「ほっほっ、困った奴よのう」


 宇佐美様とは気が合うな。お互い黒い事を考えるのが好きなのだろう。ふははは。


「蕎麦蔵、お主にも北信に行ってもらうぞ」


 へっ?


「なぜ抜けた顔をしておる。お主が、星石が降ると言うたのだろう。そのお主が、その場にいずにどうするのだ」

「宇佐美様、自慢ではありませんが刀も槍も扱えず、馬にも乗れません。邪魔になるだけです」

「自慢して如何する。そのような事は知っておるわ。安心するがよい、儂の小姓として連れて行く」

「あのう、俺は村上様の家臣では」

「面倒な奴よのう」

 宇佐美様の眉と眉の間に皺ができ、心底、面倒くさそうな顔をする。


 いやいや、俺のせいではないだろう。


「儂からの与力と言うことで良いではないか」

 いつの間に目を覚ましたのか、村上様が口を挟む。


「それで良いな、蕎麦蔵」

「そんな簡単で良いのですか」

「信濃攻めとなれば義清が先陣となろう。そうか、お主は義清の家臣。主人と共に武田方に一番槍を入れたいと言うのだな」


 へっ、先陣、一番槍、無理です。


「俺は宇佐美様について行きます。ですが宇佐美様は二陣ではないですよね」

「ほっほっ、儂か、さあ、どの役目であろうな」

「宇佐美様、悪い顔をしていますよ。好好爺が台無しです」

「ほっほっほっ、それは褒め言葉じゃ」

 若者を虐めるとは酷い爺だ。


「蕎麦蔵、お主、元服はまだであろう」

 村上様がそう言うので「はい」と答えた。


「では、烏帽子親と名を考えねばな」

「誰が良いかのう」

「義清が良いのでは、同じ信濃衆であろう」

 直江様が目を開け話に参加した。馴染みある話なのか興味があるようだ。


「うむ」

「どうされた。何を気にされる」

「いやな、儂が烏帽子親となるのは構わぬのだが。信濃には、未だ海野に繋がる者も多い。海野の嫡流として世に出るのであればと思案したのだ」

「そうじゃの。義清の家臣であるのは構わぬが、あまりに関係が深いのは信濃では反発を生むかも知れんの」

「そうなのだ。海野に繋がる者たちは儂が信濃から追い出したが、今は武田方として集まっておる様だからのう」

「では、我らのいずれかが」

「いや、それも不味かろう。誰が考えても義清がやるのが筋であるのに、儂や実綱ではおかしかろう」

「それもそうか」

「つくづく、面倒な奴よのう」

 宇佐美様が俺を見る。


「宇佐美様、俺が悪いのですか」

「当たり前であろう。海野を名のり、御屋形様の覚えもめでたい」

「越後商人を越える銭を扱い、信濃川の分水路計画を海野屋だけで行い。その後には堤造り計画、潟からの排水路計画と越後を造り替えようとしておる」

「あまつさえ、星石が降ると我らを唆す」

「銭の力を持ち、御屋形様の秘密を知る者を野放しにはできまい。我らの誰かが手綱を握らねば。全く、お主のような面倒な奴を、焼いても煮ても喰えん奴と言うのだ。腹を壊すわ」


 宇佐美様、直江様、村上様とまるで共謀していたかのように言う。


「仕方ないのう。誰ぞ、いないものか」

「うむ」

 悩む三人。


「でしたら、頼みたい人がおります」

「誰だ。お主の後見人になるのだぞ」

「はい、青海村の名主、根津九郎左衛門様です。俺がここまでやってこられたのは九郎左衛門様が影に日向に守ってくれたお陰と思っております。ですから大恩のある方に少しでも恩返しできればと思うのですが」


「恩返しにはならんな」と宇佐美様。

「だが、喜ぶ」と村上様。

「そうしろ、蕎麦蔵」と直江様。


「はい」と返事はしたものの、やはりと言うか、烏帽子親を頼むのは恩返しにはならない。かえって負担をかける話になりそうだ。だが、喜んで貰えるならお願いするべきだろう。

 恩返しは別な事を考えるか。


 俺が礼を言うと、三人は顔を寄せて次の話を進めだした。


「では、名はどうする」

「蕎麦蔵は幼名であろう。違うか」

「武家として元服するのであろう。諱に変えねばなるまい」

「確か海野の通字は幸と思うたが」

偏諱へんきを入れるのは、今は面倒ごとが増える。適当な名を考えるしかあるまいて」


「うむ、何が良いかのう」

「我らが考えては元も子もないのでは」

「正に」

「では、如何する」

「そうよのう」

「うむ」

「そうだ、九郎左衛門であれば、妙案を考えるであろう」

「そうじゃな。ここは任せるべきじゃ」

「では、そのように」


「蕎麦蔵、聞いておったな。諱については九郎左衛門と相談して決めよ。九郎左衛門ならば良い名を考えるじゃろう」

 気に入っていた蕎麦蔵の名を変えるのは抵抗があったが、それを言うと三人がかりで怒られそうなので素直に「はい」と返事をした。

 拒否できない流れなので逆らわない。長いものには巻かれろだ。

 しかし、元服後の名前だけでも諱とか通字とか偏諱などと面倒そうだ。


 再び、三人は顔を寄せて話し出した。

「では最後だ。この度の武田征伐の陣立てを如何にする」

「星石はともかく蕎麦蔵の考えた手は使えるのでは」

「野戦に持ち込めれば敗ける気がせんわ」

「であれば万が一と言うこともある。基本は星石計画に沿った陣立てがよかろう」

「では、越後衆で一万八千、上野衆で二千、越中衆が五百、そして、分水衆から千五百で良いな」

「合わせて二万二千とは」

「銭がかかりますな。越後衆の八千は銭払いですな」

「敵将の首にも奮発せねばなるまい。もっと銭はかかるじゃろ。しかし、これで信濃が取れるならば安いものじゃ」


「武田方の軍勢は如何になろうか」

「奴らは戦いたくないのだ。であれば数を集めるほかあるまい。我らが二万二千と聞けば、二万五千、いや無理をして三万を集めるかもしれんな」

「武田方も銭がかかるな。ほっほっほっ」

「では、その線でよろしいですかな」

 直江様が宇佐美様と村上様に念押して確かめると、二人は頷いた。


「早速、陣触れを出しましょう。武田方にも知れるよう早めに」

「それが良いじゃろ」

「蕎麦蔵、分水衆は頼んだぞ」

「はい、わかりました。しかし、分水路普請が遅れますね」

「仕方あるまい。だが、それでも良いのだろ。お主が言う公共工事とやらは。普請の完了はともかく民に銭を与え、銭を回すことが分水路計画の骨子と言うておったであろう」

「民が潤えば武家や商家も潤うと言う奴だな」


「その通りです」

「蕎麦蔵、気をつけよ。越後の兵は貧しい故に強兵なのじゃ。豊かに成れば強兵も弱兵と成ろう」

「宇佐美様、それは違うと思います」

「どう違うと言うのじゃ」

「越後の兵は越後の国の兵だからこそ強兵だと思うのです」


「分かるように言え」

「戦いとは、兵の機動につきます。相手の弱いところを突く。これだけです」

「初陣も果たしていない小僧がよう言いよるわい。続けよ」

「越後勢が強いのは御屋形様の戦術眼とそれに応えることができる兵たちの練度の高さと思うのです」

 宇佐美様が面白そうな顔で頷く。


「古来、唐の国でも南蛮の国々でも兵法の基本は整列と行軍です。将の命令で如何に素早く事を成すかが勝負を決めます」

「そうじゃな」

「越後は広く移動は大変です。陣触れがあれば各地から集まり越中や関東へと向かいます。自ずと小集団が整列し行軍するといった訓練になっています。遅れたら大変ですからね」

「うむ、だからお主は越後の民が豊かになっても越後兵は強兵のままだと言うのだな」

「はい、その通りです」


 越後は広い。本拠地たる春日山から阿賀北衆の本庄城までは約180キロメートル。これは名古屋から静岡、または大阪から岡山の距離に匹敵する。その距離を行軍移動した後、越中や関東へと遠征する。

 どの国の兵よりも越後兵は訓練していると言っても過言ではない。


 更に、越後兵はほぼ職業軍人と言っても良い。陣触れにより時間をかけ集まり、行軍して侵攻、そして対陣。第二次川中島の戦いでは対陣する事、五カ月に上る。

 とてもではないが、農閑期に農民が徴兵されたものではない。農閑期だから暇があるだろうとは農業の知らない者の考えだ。農閑期だからこそ、やらねばならぬことが多々あるのだ。


 越後兵は逆なのだ。戦のない合間に畑を耕しているだけなのだ。そして、彼らには銭が支払われる。

 国が広く、人口が少なく、金を産出し、日本海交易で儲ける越後だからかも知れない。


「兵法は学んでおるようじゃな。今はそのぐらいで良かろう。お主の考えが戦場で通用するかはお主自身の目でしかと見るが良い」

「はい、わかりました。ところで」

「何じゃ」


「御屋形様抜きで、勝手に決めて良いのでしょうか」

「ほれっ、見てみよ。今の御屋形様が使い物になると思うか」


 宇佐美様の視線の先には、娘にデレた男親しかいなかった。


次回、三つの海野と嫁



上杉政虎「娘が欲しかったら、私と勝負です」

上杉軍 ドドドドドドドドッ

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