星石と関東管領の就任式
永禄四年(1561年)二月、越後、糸魚川青海にて
村上義清
糸魚川には星石を祀る社がある。
遥か昔、大和の国に平城の都があった時代に天から降ってきたと言う星石を祀る社だ。社では星石を御神体として祀り、三十三年に一度地元の民たちに開帳されているらしい。
仏も三十三回忌で神様になると言うが同じ事なのだろう。
ズズズッ
目の前の蕎麦蔵が言うには、その様な星石が近々、日の本に降って来ると言う。それも想像もできないほど大きな星石だそうだ。
信じられん。正気を疑うような話だ。
しかし、蕎麦蔵はその話を微塵の疑いもなく我らに語った。嘘をつくようにも憑かれたようにも見えないのでたちが悪い。
いや、何故知っているかを問い詰めた時だけは嘘をついているように思えた。
ズズズッ
蕎麦蔵は言う。
星石は京の陰陽寮からの情報だ、いや南蛮からの情報だ、もしかしたら明の情報だったかもと。
我らに馴染みのない出所としたら納得するとでも思っているのか、馬鹿者。
しかし、出所以外は確信があるようだ。そう、まるで自分が星石を落とすと言わんばかりに。
ズズズッ
御屋形様は未だ関東。宇佐美殿もついて行った。それに、越後に下向していた近衛公は昨年雪が積もる前に慌ただしく直江殿を引き連れ越山した。今は関東にいる。
予定では雪解けを待ち関東へと向かうは手筈であったのだが、待ちきれぬと言って出立したのだ。御屋形様を驚かすと笑っておられた。
ズズズッ
今は儂と蕎麦蔵、そして九郎左衛門の三人で星降りとその先の事を詰めねばならん。
星降りの場所、その時の陣の場所、その時の兵力、どこまで進むか、どのような兵站か、どこの家と結び、どこの家と争うか、いつ、いくら、どのように……
蕎麦蔵が気になると言った事柄を書いては衝立に貼り出していく。その蕎麦蔵の視点が面白い。思わぬ見方があるものだと感心さえする。そして、ひとつひとつの事柄を決めていく。
一度、事が起これば臨機応変に現場で決めねばならぬ事がある。御屋形様に伺いを立てるようでは間に合わぬかも知れぬ。
だから星降りから一年間の方針を出す。どこまでを認め、どこまでを認めぬか。
ズズズッ
なんと大それた話なのだ。本当にこのような事が起こるのか。そして、できると言うのか。
全く馬鹿げた話だ。星降りなど起きぬかも知れぬと言うに。しかし、既に衝立は張った紙で溢れている。
この話の全体が分かった。星降りの先がどうなるのかも。御屋形様が蕎麦蔵の話を信じ、儂を越後に残してまでこの話を詰めさせた訳も。
儂に戦人として蕎麦蔵の話を見よとの事なのだ。
蕎麦蔵の話は分かった。理解できる。しかし、これでは戦にもならない。戦をしては敗けなのだ。
ズズズッ
話は纏まった。後は、御屋形様に伺いを立てるだけ。
儂は満足だ。
「蕎麦蔵、馳走になった」
「村上様、如何ですか。上手くいったと思いますが」
「うむ、見事だ。知らぬ言葉もあったが良くできたと思うておる。面白かったぞ、蕎麦蔵」
「知らぬ言葉? 面白かった?」
「蕎麦蔵、村上殿はお前の主ではないか、聞き方がなっとらん。気をつけよ」
「九郎左衛門、気にするでない。儂は既に蕎麦蔵に一目置いておる。さすが商家の目だとな。ありたい姿、その戦略、戦術、作戦、それぞれの目標、手段、達成条件、撤退条件とよくも様々考えるものよ。戦のための兵力や兵站は手段に過ぎないと言う蕎麦蔵の言葉がこの衝立を見れば分かる。それに、この歳になるまで知らなんだ言葉の数々も目から鱗だった」
「いや、村上殿、蕎麦蔵の言う事は絵に書いた餅にて。唐や南蛮の本に書いてあると言う怪しげな事を蕎麦蔵が鵜呑みにしているだけかもしれん。迂闊に信じて良いものかどうか。そして、どこまで通用するのか」
「何、それを見極めるのが儂とお主ではないか」
「あのう、村上様、名主様、俺が言ったのは星降りの事ではなくて蕎麦切りの事なのですが。旨くはなかったですか」
と首を傾げる蕎麦蔵に言うてやる。
「なんと、蕎麦蔵は食い物の話をしておったのか、これは面白い」
首を振り残念な顔をする九郎左衛門の隣で大笑いした。
「蕎麦蔵、蕎麦切りは旨かったぞ。特に鴨の汁が旨い」
「良かったです。実はですね、村上様」と嬉しそうに蕎麦切りの話を蕎麦蔵が続ける。
蕎麦蔵の話では、近衛公や直江殿も海野屋に頻繁に訪れて好んで食べていたそうだ。
蕎麦の粉が八、小麦の粉が二の割合で混ぜたものに水を注ぎ、玉を作る。それを大きな玉になるまで捏ねた後、手早く平たく伸ばして折り畳み細く切って蕎麦切りとなる。
その蕎麦切りをたっぷりのお湯で茹でて、茹で上がったら水で締め麺が完成。
つけ汁は、昆布と鰹節で取った出汁にたまり醤油と唐の国の密淋と言う甘い酒で味をつけ、鳥の肉を投入してさっと煮る。そこに焼いたネギを入れたら完成。
蕎麦をつけ汁にくぐらせて食する。
旨い。
肉はアヒルと言う鳥だそうだ。唐の国から仕入れて糸魚川で繁殖させているらしいが、儂には鴨との違いがわからん。しかし、肉から出た油の風味が鴨肉と全く同じで旨い。
何も入れないつけ汁で蕎麦の風味を楽しむのも良いが、このアヒル肉のつけ汁の方が儂は好ましい。
蕎麦蔵は、本物の醤油が欲しい、もっと旨くなるのにと嘆くが、儂は食べるのを止められないぐらい旨く感じる。蕎麦蔵は食には拘る奴だ。
「後は纏めて御屋形様に伺いを立てるだけだ。蕎麦蔵、纏めを頼んだぞ」
「はい、分かりました。御屋形様が早く戻られると良いですね。近衛公があれをお伝えしたら飛んで帰って来られるかも」
「それは面白い。だが御屋形様に限ってはなかろう」
「それもそうですね」
蕎麦蔵と声を合わせて笑う。
九郎左衛門が儂といっしょに笑っている蕎麦蔵に何か言いたげに顔をしかめた。
永禄四年(1561年)閏三月、相模、鎌倉、鶴岡八幡宮にて
上杉政虎の小姓
御屋形様が苛立っておられる。
今日で関東諸将の祝辞の挨拶は三日目。もうすぐ最後の方の挨拶となろうが、御屋形様の耳には誰の祝辞の言葉も入っていないに違いない。一刻も早く終わらないかと苛立っているご様子だ。
確かに一人一人の祝辞が長い。祝いの言葉だけならば良いのだが、諸将は自分がいかに由緒正しい家系なのかを誇り、これまでの武功を自慢気に語るのだ。
御屋形様でなくとも嫌気がさす。
上座の床几に座る御屋形様の苛立ちは、脇で太刀持ちを務める柿崎景家様と斎藤朝信様にも伝わり、二人ともに仁王像のようなしかめ面で挨拶の相手を睨んでいる。
御屋形様はここ鎌倉の鶴岡八幡宮にて上杉憲政様より山内上杉の家督と関東管領の職を相続された。
それは、壮大な式典であった。
関東諸将十万騎が参道の両側を埋めつくした中、御屋形様が将軍より許された網代の輿に乗り悠然と進む。寧ろ、供をしている重臣たちの方が緊張した赴きであった。
本宮での儀は御屋形様、上杉憲政様、そして見届け役の近衛前久公、長尾家の重臣、上杉家の重臣たちにより執り行われた。
御屋形様が関東武家の頂点に立たれ上杉政虎となられた。
しかし、就任式を終え、関東諸将の祝辞の挨拶が始まった頃から妙な空気に変わった。
長々と果てしなく続く諸将の挨拶に、いつも冷静な御屋形様が苛立ち始めたのだ。
祝辞の場も就任式の際と同じ御屋形様と太刀持ちのお二人で受けると言う体裁なのだが、その空気には雲泥の差がある。重臣たちは誰もが早くこの儀式が終わることを願っているようだ。
だが、このような雰囲気の中ただひとり近衛公だけが御屋形様の様子を可笑しそうに笑っている。
一体、何をご存知なのか。
御屋形様が何に苛立っておいでなのかは全く不明だ。しかし厩橋城で行われた正月の宴会の途中から急に様子が変わられたのは確かだ。
思い起こせば、御屋形様の隣にいた近衛公が耳打ちした辺りからだ。その時の近衛公の笑いが今でも耳に残っている。
三ヶ月前……厩橋城、大広間、新年の祝い
上座の御屋形様と近衛公が楽しげに話をされている。
長尾方の主だった家臣や御屋形様のもとに馳せ参じた上野衆の方々も、酒が入り陽気に隣同士話をしている。
上杉憲政様は早々に酔われて家臣たちに寝所へと運ばれて行った。よほど御屋形様の関東征伐が嬉しかったのか家臣たちと浴びるように酒を飲んでおられた。
時より御屋形様と近衛公の話が聞こえてくる。
「そろそろ、教えてもらえませんか、前嗣公。なぜ貴公が、雪が積もる前に急ぎ越山したかを」
「ほほほほ、麿は景虎殿の戦う様を見たかったのだよ。この度の上野の城攻めは見事であった。血が騒ぐとはこのような事を言うのだと実感したぞ」
「……」
「さあ、盃を」
近衛公が自ら銚子を持ち御屋形様の盃に酒を注いだ。酒宴とは言え珍しくある。御屋形様は訝し気に盃を空けた。
「それに麿は相続の見届け人であろう。麿がいなくて如何する」
「それは既に話の着いた事、越後でゆるり雪解けを待つ手筈でありました。関東は戦の最中、城攻めならばいざ知らず、会戦ともなれば戦場は危険です」
「それはそれで血が騒ぐではないか。ほほほほ」
「公、戯れを」
「まあ良いではないか。今からでは雪の峠を越えて越後には戻れぬ。麿も景虎殿も先に進むしかないのだ。武蔵、相模と北条を征伐するしかないのだぞ」
「確かにその通りですが……」
「関東管領がそのような些細ごとを気にして如何する。ほほほほ、仕方ないのう。越後の土産話でも」
近衛公が直江様に怪しげな視線を向けると直江様が頷いて立ち上がり、御屋形様と近衛様のところに向かって来る。
相手は重臣の直江様であるが御屋形様に寄る者を止めるのが小姓の役目だ。仕方ない、相手が誰であろうと止めねば。
立ち上がろうとして肩を捕まれた。
振り返ると宇佐美様に肩を押さえられていた。意識が直江様に向いた間に近寄られたのだ。
なんと、びくともせん。
細い老体の力とは思えなかった。身動きができないのだ。
「忠義、ご苦労。安心せい、問題ないわ。お主はそのまま見ておれ」
宇佐美様が肩を押さえたまま言った。
御屋形様に近づく直江様は何も持っていないようだ。それに、御屋形様も直江様が寄って来たのに気がついた。
「どうしました、実綱」
「ほほほほ、麿が呼んだのだ。景虎殿、近こう」
手招きする近衛公に御屋形様が顔を寄せる。
「……」
近衛公が御屋形様に呟いた。声が小さくここまでは聞こえない。
「なんと、真ですか」
「真だ。麿が景虎殿を騙す訳がなかろう。それに麿が……てやったぞ。何、礼はいらん。ほほほほ」
近衛公が御屋形様にまた囁いた。
「……」
御屋形様が近衛公を見つめる。真偽を見定めようとしている。それに対して近衛公は只々笑うだけ。
御屋形様が盃を静かに置くと立ち上がった。何やら急ぐ顔をされている。
「おや、景虎殿、どうされた。ほほほほ」
近衛公が御屋形様を見上げて笑う。
「私は用事を思い出しました。公、これにて失礼」
御屋形様が大広間から出ようとすると直江様が立ち塞がり押し留める。
「実綱、通してください」
「御屋形様、申し訳ございません」
「実綱、通しなさい。私には用事があるのです」
「お許しください」
「ほほほほ」
御屋形様が用事あると大広間を出ていこうとするが直江様が押さえて通さない。それを見て近衛公は高らかに笑い声を上げる。
宇佐美様の手が肩から離れた。「ここにおれ」と言って宇佐美様は御屋形様のところに行く。
「御屋形様、まさか越後に戻られるつもりですかな」
「定満、貴方もですか」
「まあまあ、落ち着いて聞いてくだされ」
「他に誰が加担していますか」
御屋形様の声が怒っておられる。一体、近衛公と直江様たちは何をされたのだ。
周りの家臣たちはこの騒ぎに気がついておらんようだ。御屋形様が酔われて直江様たちが静めているようにも見える。
「先ずは座ってくだされ。これでは話もできませぬ」
御屋形様は直江様と宇佐美様に挟まれこの場から逃げようもない。一度、二人を睨み不満気な表情で御屋形様が座った。続けて直江様と宇佐美様も座った。
「この話、某、公、実綱、……のみなれば」
「私にどうしろと言うのです」
宇佐美様が御屋形様に囁いた。
「……」
「それでは!」
「……もそれで良いと」
「だが」
御屋形様は宇佐美様を暫く睨んでいたが、宇佐美様が頷くと頭を垂れてしまわれた。
「御屋形様聞いてくだされ。御屋形様は、上杉を継ぎ、関東管領を拝し、北条を征伐し、関東を治めてくだされ。民が安心して暮らせる世を創ってくだされ。我ら家臣一同、御屋形様について行きます故」
「定満の言う通りにございます。御屋形様が、女子供が安心して暮らせる場所を創るのでございます」
「御屋形様、顔を上げてくだされ。御屋形様にはやらねばならぬ事がごまんとありますぞ。このように沈まれている暇など無いほどに」
「そして、皆の喜ぶ顔を見ようではありませんか」
ゆっくりと御屋形様が顔を上げられた。覚悟を決めた顔だった。
「そうですね、定満、実綱。私には覚悟が足りなかったようです。皆の喜ぶ世を創りましょう。手伝って貰えますか」
「勿論にございます」
「某も」
「ほほほほ、それでこそ景虎殿よ。良し、それでは麿が」
近衛公がすくっと立ち上がった。
「皆の者、静まれ」
近衛公の言葉で大広間が静かになった。
「皆の者、良く聞け。我らの戦いが皆を笑顔にする世を創って行くのだ。皆、気合いを入れよ」
「「「おうっ」」」
「良し、麿に続け。えい、えい、おう」
「「「えい、えい、おう」」」
「えい、えい、おう」
「「「えい、えい、おう」」」
大広間に諸将が拳を天に突き上げ、近衛公に続けて叫ぶ。何度も何度も叫んだ。
武将の気合いの入った掛け声と近衛公のほほほほと笑う声が大広間に響き渡った。
その後の御屋形様は軍神と言われる働きであった。
新年祝いの席が終わった翌日から御屋形様は関東諸将に檄文を送り参陣を呼び掛け、武蔵の国攻略の準備を進めた。そして、諸将が集まる暇なく武蔵の国に侵攻。
北条方が御屋形様には敵わぬと籠城するなか北条寄り武将の城を次々と攻略した。次第に集まってくる軍勢は数万を越え、二月には相模の国の鎌倉を押さえた。
月が変わった三月には越後勢と関東諸将の軍勢合わせて六万で北条氏の本拠地である小田原城を包囲するに至る。
たった三ヶ月と言う短い間で北条方の幾つか城を残し、関東をほぼ制圧してしまったのだ。関東諸将は御屋形様の武略に感嘆した。
北条救援のため武田と今川の軍が出たと知らせが入ってきたが、関東諸将は六万の軍勢のせいか武田勢今川勢何するものぞと気にも留めていない。
ところが、御屋形様は十日も経たず小田原城の包囲を解かれ鎌倉まで後退。早速、上杉と関東管領を継ぐ儀式をいたせと命じた。
御屋形様の小姓と吏僚たちが小田原城包囲にも参加せず、鶴岡八幡宮にて就任式の準備をしていたのだが更に早められてんてこ舞いとなった。
後に聞いた話であるが、ある関東武将が城攻めの一戦の後、御屋形様に「小田原城は堅城ですな」と言ったそうだ。そう言われた御屋形様は「そうか、ならば引きましょう」と答えられ陣を払われた。
関東武将の皆が唖然とするなか主力たる長尾勢が撤退。関東諸将だけで小田原城を攻めればよいものを、纏まりを欠き長尾勢を追うように鎌倉に集まったという次第。
そして、就任式を終え、閏三月を迎えた。
今、祝辞挨拶の最後の方が現れた。
武蔵の国の忍城城主の成田長泰様だ。成田家は山内上杉家の家臣であり藤原氏の流れをひく名門で祝辞挨拶の最後を飾るに相応しい方かも知れない。
祖先は馬上から源氏の武将に挨拶をしたと誇っているようだが、さすがに家屋内では馬に乗る事もできず歩いて現れた。
軽く会釈した成田長泰様は如何に成田家が由緒正しい名門で代々山内上杉家に仕え支えてきたかと語りだした。
御屋形様はあまりに長々と話す成田長泰様に苛立ち、扇で手のひらを二度ほど叩いた。その音は成田様の声を止めさせるほど大きな音であった。
さすがに成田様も御屋形様の苛立ちに気づき、簡単な祝辞に切り替えて下った。
ただ、成田様の下がる時の悔しげな暗い顔は忘れられない。
大事にならなければ良いのだがと思った。
祝辞の儀も終わり、その十日後に上杉勢は雪が残る三国峠を越えて越後に戻ることができた。
次回、初陣と元服
前回の正解は、蕎麦でした。捻りなしです。
お詫びに年齢表を添付します。ご参考に。
なお、鴨=アヒルですって。別種と思っていました。
永禄三年(1561年)時の登場人物の年齢
海野蕎麦蔵 14*
海野歌 15
海野杏 23*
海野福 25*
海野秋助 4
佐吉 20
根津九郎左衛門 56
茂平 19
菊 18*
長尾景虎 31
村上義清 60
*推定