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家督譲りと仕官

 永禄二年(1559年)十月、越後、糸魚川青海にて

 海野蕎麦蔵


 炊きたての白い飯、焼いた塩鮭、長ネギの味噌汁、香の物。

 長尾景虎は朝飯を食べて、春日山に帰って行った。


 昨日は賑やかな夕飯だった。いつもの杏と歌の他に、佐吉と福の夫婦と秋助も呼び夕飯とした。皆には長尾景虎を、俺の知り合いの寅さんと紹介し、武家だが遠慮は無用と説明。景虎本人がそう望んだんだ。

 飾り気はないが今の海野屋が用意できる精一杯の夕飯。何気ない日常の騒がしい会話。初めて見る景虎に、よじ登ろうと果敢に挑む秋助。そして、皆の笑い声。

 景虎は賑やかな夕飯の間、皆を眩しそうな目で見ていた。


 そして、賑やかな夕飯が終わるといつの間にか、景虎と杏は縁側に座り酒を酌み交わしていた。時より杏が気勢の良い声を出し景虎の肩を叩く。それに応えるように景虎の笑う声も聞こえてくる。

 そんな楽しそうな景虎と杏の二人を照らす少し欠けた月。

 俺と歌も月といっしょに二人を見守る。


 そして、夜が更けていく。





 長尾景虎が春日山に帰った後に、青海村の名主九郎左衛門から彼について話を聞いた。


 長尾景虎は長尾家の嫡男ではなかった。


 長尾景虎と戦で縁がある、武田信玄、北条氏康、織田信長、この三人はいずれも嫡男なのだ。

 嫡男は家督を継ぐ前提で教育される。だが、嫡男でない者は、当主となる嫡男に従うよう教育されながら共に育つか、または、当主争いの種とならない様に幼いうちから寺に入れられるかとなる。

 前者で有名なのは島津家、毛利家、北条家の兄弟たち、後者で有名なのは今川義元だ。


 長尾景虎の場合は少し違った。

 兄弟たちと共に育てられたが、嫡男である年の離れた兄の長尾晴景が家督を継ぐと、景虎を疎んでいた父親によって寺に入れられ長尾家に用はない男となったのだ。

 しかし、先代が亡くなると後を継いだ晴景では越後の国は治まらなかった。

 そこで、戦に才があった景虎が還俗させられ晴景の手足となって数多の敵と戦い、そして勝っていく。

 次第に家臣から景虎を擁立する声が上がり、騒動の末、晴景より家督を譲り受け景虎は越後守護代となるのだ。

 果たして、それは景虎が望んだ事だったのか。兄である晴景から家督を奪い取るような事を景虎は嬉しく思ったのか。それとも哀しく思ったのか。


 それから五年後の天文二十二年(1553年)、雪解けを待たず晴景は亡くなる。享年四十二。

 更に三年後の春に景虎は出家を決意することになった。それは折しも兄晴景の命日の頃。景虎は兄晴景の墓前で何を語ったのだろう。

 後の世での長尾景虎の評価は、軍神、戦が強いだけの武将、足利幕府の復興を願う阿呆者、権威主義者などと言われていたが、それは長尾景虎の本質ではないと思った。


 関東の覇を争った北条氏康に「謙信は義理を通す。頼むに足る人物だ」と言わしめ、川中島での激闘相手であった武田信玄は、死に際に後継者の勝頼に対して「謙信を頼れ」と言ったとされる。

 たぶん、これらは作り話なのだろう。しかし、これこそが長尾景虎の本質なのだ。


 長尾景虎は誰かに頼られたかったのだ。自分を必要だと言って欲しかったのだ。


 疎まれていた父親に。

 体の弱かった兄に。

 京の足利将軍に。

 越後の守護に。

 家臣たちに。

 そして、越後の民に。


 そんな強くも弱い長尾景虎を知って俺は思った。彼の力になりたいと。





 永禄二年(1559年)十一月、相模小田原にて

 北条氏康


 武蔵、相模の芳しくない収穫報告を聞きなから怒りで顔を赤く染めた息子の氏政を見る。氏政は今にも報告する者を怒鳴り付けそうだ。


 報告する者を怒鳴り付けてはいけない。怒鳴り付けては二度と本当の事を報告しなくなるからだ。それに怒鳴り付けたからといって状況は変わらない。

 耳の痛い内容を報告する者をこそ、ねぎう心を持たねばならぬ。だが、残念ながら年若い息子は未だその妙までは分からぬ。

 重臣たちは若いからと見逃してくれるが、これは危険だ。事が起こってからでは遅いのだ。直ぐにでも諭さねばなるまい。


 今川家では昨年、嫡男の氏真に家督が譲られた。実権は義元が握ろうが徐々に氏真に移ることになろう。

 確か義元は儂より四つ下。そして儂は既に四十五、嫡男の氏政は二十二になる。そろそろ家督を譲って隠居するには良い頃合いだ。政の面倒を見つつ氏政を育てねばなるまい。この度の大飢饉の責を取って家督を譲ると言えば一族も家臣たちも納得しよう。


 それにしても天だけは、ままならぬものよ。


 今年の梅雨の入りは良かったが、その後は日照り続きであった。それだけであればいつもの年と変わらぬが今年は米を売ってしまった。上手く商人どもの口車に乗せられ米を売り普請に回したのだ。

 領内の検知もようやく終わり、春には家臣や国人たちの知行に従った賦役や税を定め所領役帳を作り公布したばかりだと言うのに、ままならぬものよ。

 このままでは所領役帳に納得していない国人が刃向かいかねん。家督譲りに合わせて徳政もせねばなるまい。まだまだ、所領も安定していないと言うに。


 伊豆に相模は良い。武蔵も国人たちは静かなものだ。問題は上野、まだまだ国人たちの力も強い。上杉氏を連れた越後勢が現れたら簡単になびくだろう。

 越後勢の抑えのためにも越後から関東への入り口である沼田城に誰ぞ北条の者を入れざる得まい。長尾勢とて飢饉の最中まともには動けないと思うが。

 我が北条の所領は伊豆、相模、武蔵、上野の四か国となった。次に向かうは上総国、里見義堯との決着をつけねばならん。


 武田信玄は北信に海津城を築き、いよいよ越後を飲み込むつもりだ。そして今川義元は氏真に家督を譲って西に目を向けている。年明けには尾張を攻める陣触れを出すことになろう。

 利がある限り北条、今川、武田の同盟は続くが、危ういのは美濃かもしれん。今川が尾張を喰い、武田が越後を喰う。その時、次に狙うは今川も武田も美濃となろう。

 我ら北条も攻めを急がねばなるまい、今川、武田に負けぬよう北条は下野の宇都宮、常陸の佐竹を喰うしかないのだ。弱みを見せれば今川と武田が組むかも知れん。


 さてさて、評定衆が集まったようだ。では場所を移ろう。まずは氏政への家督譲りを話さねば。






 永禄三年(1560年)二月、越後、糸魚川青海にて

 海野蕎麦蔵


 雪解けも早い初春のある晴れた日、海野屋の屋敷に三人の爺が現れた。

 その爺に声を掛けられた店番の佐吉が慌てて、海岸で打ち寄せる波を見ていた俺を探してやって来た。そして、九郎左衛門が武家を連れて現れたと告げた。


 晴れていても初春の海岸は風が強く寒いのだが、月さんのレーザーによって周辺の地面が温められているので長い時間座っていることができる。しかし他人の目から見れば、そんな寒い海岸にひとり佇んでいる俺はさぞかしおかしなことをする男に見える事だろう。だが、このぐらいしないとなかなかひとりになる時間が設けられないほど海野屋は大きくなったのだ。

 寒い最中の月さんとの打ち合わせも一段落していたので素直に佐吉といっしょに屋敷に戻る。

 佐吉の話では海野屋主人の俺を呼べとしか言わなかったらしいが、九郎左衛門に武家の爺と聞いては厄介事しか思いつかない。


 屋敷に戻ると歌が待っていて、爺どもを客間に通し、お茶を出したと言った。

 九郎左衛門はいつも通り、一人は優しそうなお爺さん、もう一人は大柄で眼光が鋭く怖かったと補足して、お茶を気に入ってくれるかなと心配する。

 歌が出したお茶とは海野屋の面々がいつも日常的に飲んでいる茶のこと。

 戦国時代、なぜか抹茶はあるのに煎茶がない。

 仕方ないので京から茶葉を仕入れて煎じて飲んでいる。まるで紅茶のような味だ。


 客間の隣から襖越しに海野屋主人と名乗り、中に入る。

 歌が言った通りの爺が二人、上座に座っている。優しそうなのと、怖そうなのだ。

 だが、優しい顔には見覚えがあった。その人物を知っているわけではなく、優しい顔をする人間を知っているだけだ。蔵田屋の主人五郎左衛門の見せる顔と同じ笑顔なのだ。

 あの手の笑顔に騙されないようにしないと。


 上座より少し離れた横に青海村名主の根津九郎左衛門がしかめ面をして座っていた。

 九郎左衛門に視線を送るが、九郎左衛門は微動だにしない。


「お待たせして申し訳ありません。私が海野屋の主人、海野蕎麦蔵です」

 上座の正面に座り、改めて名乗ってから頭を下げる。


「ほう、話に聞いていたが若いな」

「左様」

「海野屋、いや、蕎麦蔵、頭を上げよ。そなたと話がしたくて訪ねた」


 頭を上げた。


 さて、どんな話があることやら。心当たりがあり過ぎる。

 こちらから話をするのは無礼に当たりそうだし、下手な事を言ったらやぶ蛇になりそうだ。

 ここは沈黙が金、返事だけにするのが吉だろう。


「蕎麦蔵、儂は宇佐美定満と言う者よ。儂の隣にいるのが」

「村上義清だ」


 くしゃくしゃの笑顔の爺が、この話の音頭を取るようだ。笑っている胡散臭い目で、言葉による反応を窺っているのが分かる。

「ほう、お主、義清には思うところがないのか」


 何の事だろう。


「お主は海野うんのの出であろう」


 ああ、その事か。誰にでも同じ事を聞かれる。意外と面倒な設定にしてしまった。

「はい、ですが村上様は良い方と思っております」

「なぜだ、お主たちは信濃から逃れて来たのであろう、この義清のお陰でな。親は既に他界していて、お主の家族は姉たちだけと言うではないか。お主が知らぬとも姉たちがその時の事を覚えておろう」


 村上義清は口をへの字に曲げて嘘は見抜くぞとばかり睨んでくる。

 横にいる九郎左衛門を見ても素知らぬ顔をしている。


 助けはなしか。


「武家の盛衰は世の常、それを恨んで何になりましょう。恨みは人を卑しくします」

「なるほど、若いのに出来とるのう」

「それに村上様は我が海野屋のお得意様であります。お得意様は良い方と決まっております」

「これは、これは」

 ほっほっほっ、と宇佐美定満が笑い声を上げる。


 これで尋ね事も終わりかと思ったが、村上義清と九郎左衛門の顔が変わらない。まだ、続きがあるのだと知れた。


「蕎麦蔵、話は変わるが、この屋敷に御屋形様がたまに訪ねて来ておろう」


 今度は、その話かよ。


 確かに長尾景虎が供も連れず海野屋の屋敷に現れるようになった。歌の作った飯を食べ、秋助をあやし、杏と酒を飲んで翌朝には帰って行くようになったのだ。

 だが、供を連れて来ないということは、秘密にしたいということだ。

 であれば、頑張るしかない。


「御屋形様とは、どの様な方でしょうか」

「ほう、お主は知らぬと」

「いえ、知っております。越中への遠征の折り、遠目にて見送らせていただきました。ですが、あまりにも遠過ぎて、どの様なお顔の方なのかは、はっきりとは分かりません」

「屋敷に訪ねてくる武家がおろう」

「はい、海野屋には沢山の武家様がお見えになります。その中にいらっしゃるのでしょうか」

「ほっほっほっ、まあ良い。では次だ」


 次って、まだあるのかよ。


 宇佐美定満との問答には、村上義清と九郎左衛門が一切口を挟まない。と言うことは三人で事前に役割を取り決めてから屋敷に来ている事になる。


 狙いがわからん。ただ、九郎左衛門がいるのだ、大事にはならないだろう。変な事に巻き込まれるようであれば、もっと早くに巻き込まれているはずだ。

 宇佐美定満が話し出すのを待つ。自分からでは墓穴を掘りそうだ。なるべく返事だけにしたい。


「ほう、次の事を聞かぬか。では聞こう、海野屋は年に一体いかほど稼いでおるのかのう」

 今にも高笑いしそうな言い方をする。


 嘘を言っても本当の事を言っても分からんだろうに。

 越後での売上は海野屋の売上総額の半分以下だし、アラビア数字で書かれた複式簿記の帳簿を読み解く必要もある。絶対、把握はしていない。

 嘘を言っても良いのだが、本当の事を言っても問題ないだろう。


「海野屋は年に十万貫を稼ぎます」

「なんと、それほどなのか」

「真か」


 宇佐美定満と村上義清は、俺の返答が信じられないのか九郎左衛門を見る。九郎左衛門は渋い顔で頷いた。


「蕎麦蔵、お主、十万貫とは如何なる事なのか知らぬ訳ではあるまい。国持ち大名の石高であれば二十万石ほど、それは越後の半分にも相当する話なのだぞ」

「宇佐美様は勘違いされているかと思います」

「何をじゃ、言ってみよ」

「商人は、お武家様とは違います。商人は荷を仕入れ、人を雇い、荷を運び、税を払い、そして荷を売ります。それが儲けの仕組みなのです。海野屋は十万貫を儲けるのに十万貫使いました。物に、人に、船造りに、荷運びに、税にも銭を使いました。それに去年仕入れた米は損を出して売っております。ですから海野屋には銭が一貫も残っておりません」

「なんと、十万貫を儲けておきながら一貫も残っていないと言うか」

「真か」


 宇佐美定満と村上義清は、俺の返答が信じられないのか再び九郎左衛門を見る。九郎左衛門は渋い顔のままで頷いた。


「ほっほっほっ、げに恐ろしきは商人の世界よ」

「なるほど、それで土蔵が見当たらなかった訳よ。儲けているとは聞いておったが合点がいくわい」


 上座のふたりは納得したかのように何度も首を縦に振った。


「宇佐美様、村上様、如何でございますか」

 これまで口を出さなかった九郎左衛門が初めて声を発した。


「可笑しき者よ、儂は気に入った。ほっほっほっ」

「若いのに大した者だ、儂にも異存はない」

「それでは決まりですな」

「御屋形様には儂から話しておこう。よろしいな、義清」

「かたじけない」


 あのう皆さん、何が決まったのでしょう。できれば聞きたくないのですが。


 三人の爺が俺を見る。

 当たって欲しくない悪い予感しかしない。

 そして、宇佐美定満が口を開いた。


「蕎麦蔵、お主はこの村上義清に仕えてもらう。詳しい事は九郎左衛門に聞け。ではな、邪魔をした」


 拒否なしかよ。


 拒否や反論をする暇もなく、宇佐美定満と村上義清は立ち上がり客間から出ていった。


次回、仕官の裏事情と桶狭間の戦い



蕎麦蔵が、村上義清の家臣となりました。

村上義清は、若き日の武田信玄こと武田晴信を二度も撃退しています。

歳を取ってもなお戦う強い心を持ちたいものです。

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