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(閑話)杏と蔵田屋、そして武家 その二

「つづき」です。

「姉さん、つけられていますぜ」

 平次が隣に並んで囁く。


「町人風の男が五人ほど。左右に別れてついてきていますぜ。あれは間違いねえ」

「そうかい。旅籠からずっとかね」

「気がつかなかったですが、恐らく」


 近江屋の手の者か。それとも、海野屋を気に入らない他の商人の手の者。

 何れにしても不味い。

 こちらは二人、相手は五人。

 襲われたら勝負にはならない。


 関川沿いの道は既に人影がない。

 町に戻ろうとしても、直ぐに取り囲まれて捕まるだろう。


「平次、お前は蔵田屋に駆け込んで、助けを乞いな。ここからだったら船より蔵田屋の方が近いだろ」

「姉さんは?」

「川沿いに逃げるさ。上手くいきゃ、船まで逃げられるだろうよ」

「姉さんの供をしやす」


「馬鹿言うじゃないよ、平次。たぶん俺が狙いなんだ。引き付けて時を稼ぐから、お前は蔵田屋の人手を借りて助けに来ておくれ」

「姉さん」

「大丈夫さ。お前の足だったら奴らを振り切って逃げ込めるだろ。そして、早く戻って来ておくれ。いいね」


「……」

「平次、行くよ、そらっ」


 川沿いの道を駆け出す。

 着物がはだけるが、知った事じゃない。

 平次が叫びながら、後ろへと駆け出した。


 馬鹿。


 平次は、俺の逃げる時を稼ぐために連中の気を引く積もりだ。

 平次も分かっている。狙われているのは俺。そして、俺の足では逃げ切るのは難しい事を。


 ハッ、ハッ、


 息が切れる。


「待ちやがれ」と声がかかる。


 待つ訳がないだろう、と懸命に走る。





 暫く走って逃げたが、男の足には敵わず取り囲まれた。男は三人、二人足りない。

 恐らく、平次を追いかけているのだろう。

 ここに追っ手の二人がいないと言う事は、平次は無事に逃げていると言う事だ。


「ハッ、ハッ、なんだいあんたら、俺に何か用かい」


「海野屋の杏だな」

「人に名を尋ねる時は、先ず、自分の名を言うもんだろ」


「おい」

 かしららしい男が、顎を振り手下に指示を出す。

 手下たちが囲んだ輪を縮める。

 俺は捕まらない様に、川の方へ下がる。

 男たちが、俺に川の方向に向かう様に圧力をかけるのだ。


「大の男が三人で、女一人を襲うなんざ。見下げた根性だね。ほら、銭入れを渡すから俺の前から消えておくれ」


 懐から銭入れを取り出し、男たちの前に投げつける。

 その銭入れを拾い上げて、頭の男は嗤う。


「女、世話をかけるな。この銭入れは後でお前の懐に戻しておいてやる。お前は物取りに襲われる訳ではないからな」


「へえ、あんたらは盗人じゃないのかい」

「俺たちはお前を助ける者さ」


「助ける?」

「ああ、足を滑らせて川に落ちた娘が、溺れている処を助けるのさ。だが、残念な事に、娘はもう死んでいたがな」


「へえ、可哀想な娘さんだね」

「ああ、全くだ。不幸な事故さ」


 男たちに押し込まれて、川の縁まで来ていた。


「覚悟は良いか」

「まだだね」


「いや、もう十分だろ。やれっ」

 と、頭の一声で、男たちに体を強く押された。




 押されてゆっくり傾く自分の体。


 何かに捕まろうと伸ばす腕。


 水に落ちる音。


 深い。


 もがく。


 何とか水面に顔出す。


 息を吸う。


 水を飲む。


 沈む。


 もがく。


 着物がまとわりつく。


 重い。


 苦しい。



 何度か、水面に顔を出し息継ぎができたが苦しい。体が思うように動かない。

 男たちが、浮き沈みしながら流される俺を、追って来るのが分かった。


 もがく。


 苦しい。


 苦しい。


 何でも良い。


 捕まりたい。


 苦しい。


 もがく。



 もがく手が何かを捕まえた。

 これを離したら死ぬ。


 何とか、両手でそれを掴み、顔を水面に出して息を吸う。


 誰かが見ている。


 まだ、苦しい。

 でも、離すものか。


 掴んだ物に曳かれるのが分かった。

 離すなと自分の両手に言い聞かせる。



 川の岸に引き寄せられ、片腕を捕まれて岸に引き上げられた。


 息を吸っては咳き込み、咳き込んでは息を吸う。咳きが治まると仰向けになり、何度も大きく息をする。


 助かった。


 近くに人がいるのが分かっていたが、構ってはいられない。息をするのが先だ。



 茅を掻き分けて川の岸に近づく声が聞こえる。

「どこ行った」

「この辺のはずだ」

「探せ、逃がすな」


 逃げたいが、体を起こせない。力がでない。


「いたぞ、こっちだ」


 見つかった。

 だけど、体が動かない。

 駄目か。


 福、秋助、……蕎麦蔵。


「しぶとい女だ」

 声の方向に顔を向けると、茅を掻き分け、音を立てて男たちが近づいて来た。


「くくくく」

「誰だ」


 男たちが立ち止まり、嗤い声に怒鳴る。

 すると、釣り竿を持った武家が立ち上がった。


 頭の男が舌打ちをした。


「武家様、申し訳ねえが、その女に用事がありやす。釣りなら他でお願いしやす」

「ほう、釣った魚を逃がせと言うか」


「ちっ、面倒な」

 男が再び舌打ちをする。そして、手下に目配せをした。


「分かりやした。では、釣った魚の代金を支払いましょう」

「一万貫」


「は?」

「一万貫だ。くくくく」

「一万貫だと」

「その女の命だ。一万貫ぐらい安かろう」


 男たちは武家を遠巻きに囲んだ。


「ふざけた武家様だ。あまり欲を掻くと武家様も困った事になりますぜ」

「ほう、その困った事やらを聞かせて貰いたいものだな」


「武家様、刀はいつも身につけた方が良いですぜ」


 武家の男は釣り竿しか持ってない。小刀さえ脇に差していない。


「では、如何する」

「そうですな。こう言うのは如何ですか。武家様はそこの女との情事がもつれて、女に刺されて死んでしまう。女は、川に身を投げて後を追うって処で」


「くくくく」

 武家は、頭の男を見て嗤うだけだ。


「お前たち、殺れ」

 頭の指示で男たちは、懐から合口を抜いて武家を左右から突いた。


 武家はひらりと左右の合口をかわし、いつの間にか持っていた刀で、上段から一人の男を、薙ぎ払ってもう一人の男を、切り伏せた。


「なっ」

「くくくく、刀は茅と同じ様に立てていたからな。見えなかったか?」


 だらりと刀を下げて、武家が嗤う。


「てめえ」

 頭の男が合口を抜いた。だが、そこまでだった。踏み込んだ武家によって上段から切られていた。


 あっという間の出来事だった。

 釣りをしていた武家が男たちを切り伏せた。


 助けてくれた?


「武家様、ありがとうございます。助かりました」

 何とか、上半身を起こして武家に礼を言う。


「くくくく」


 何が可笑しいのだろう。


「いや、礼は不要だ。これも役勤めの内よ」

 武家は刀を収めると、釣り竿と魚籠を持って立ち去ろうとする。


「女、歩けそうか」

「はい、何とか。大丈夫かと」


「では、暫くしたら、ここを立ち去るが良い。後で役人を来させる故」


「あの、武家様の名を教えて下さいな」

「俺か。そうよのう。名は、もへじだ」

「もへじ?」


「へのへのもへじよ。ではな」

「……」


「くくくく」


 唖然としている間に、嗤う武家は去っていった。


 暫くして、遠くから俺を呼ぶ平次の声が聞こえてきた。







 三日後、青海、海野屋にて

 海野杏



「こらあ、蕎麦蔵、秋助。楽しみに取って置いた俺のかすてえらを食べやがったな」


 部屋に入って、蕎麦蔵と秋助を見つけ、怒鳴る。


「不味い、見つかった。秋助、逃げるぞ」

 蕎麦蔵が秋助を抱える。

 抱えられた秋助が、きゃきゃと喜ぶ。


「あらあら」

 着物を畳む福が、手を止めて笑う。


 俺が部屋の真ん中まで進むと、蕎麦蔵と秋助は部屋の隅をぐるりと回り、入り口に向かう。


「歌、助けてくれ」


 秋助を抱えた蕎麦蔵が、丁度部屋に入って来た歌の背に隠れた。


「きゃ」

 人数分の茶を盆に持った歌が慌てる。

「危ないよ、蕎麦蔵」


「歌、退きな」

「歌、助けてくれ」


「今度は何したの」

「蕎麦蔵が、俺のかすてえらを食ったんだ。秋助といっしょにな」


「それは、蕎麦蔵と秋助が悪いよ」

「だろう。良し、蕎麦蔵と秋助は悪い子だ。殴らせろ」


「杏、あまり痛くしないであげてね」

 歌は、背にいる蕎麦蔵の味方にはならず、部屋の真ん中に入っていく。茶を配るようだ。


「蕎麦蔵、秋助、観念しろ。悪い子には仕置きだ」


「ぎゃあ」

 蕎麦蔵が秋助を降ろし、頭を両手で隠す。

 すると、秋助も蕎麦蔵を真似て、両手で頭を隠した。


「覚悟は良いな」


 ほら、蕎麦蔵、秋助、拳固だ。痛くしないからさ。


杏の生活の一コマでした。

あの武家様が、全部持っていったような気がしますが、良しとします。

なお、あの武家様、若い頃は上泉信綱の弟子だったという設定です。

ちなみに破門されました。破門理由は分かりません。


次の閑話は、歌の予定です。


新潟では、女子が「俺」を使うんじゃないの? それとも、あれは「オーレ」だったのか?

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