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(閑話)杏と蔵田屋、そして武家 その一

この(閑話)は「商人と悪人」の前の出来事となります。

ネタバレの関係で、時系列が逆になっております。


(閑話)は読み飛ばしても問題ありません。本編には、ほぼ影響ありません。


 永禄二年(1559年)五月、越後、直江津にて

 海野杏


 安く売っているのに何に不満があるのさ。さっぱり分からないねえ。一体、この男は何に不満があるのか。


「それでは蔵田屋さんは、このままで良いと言うのですか」


 近江屋と言う男が睨んだ目を俺に向けてから、蔵田屋に訴える様に言う。

 この男には何度睨まれたか分からない。だけど知ったことかい。勝手に睨むが良いさ。


「ええ」

 近江屋から訴えられた蔵田屋の主人は、何の問題があるのか分からないと言う様に軽く受け流した。

 すると、近江屋が再び睨み付けて来た。


 はあ、面倒な男だねえ。


 ため息しかでない。一言言ってやりたい気もあるが、蔵田屋に止められているのでそれは飲み込む。


「蔵田屋さん。私は納得がいきません。なぜ、海野屋に咎めはなしなのか。説明して下さいな。ただ塩を小売りしていないからだけ、では皆さんも納得できないでしょう」

 近江屋が同意を求める様に、寄合に出席している旦那衆を見回す。


「ねえ、皆さん。海野屋は座を持たぬのに、勝手に塩を作り、そして売っている。これは塩座を蔑ろにする行為。塩を小売りしていないからと言って、海野屋を見逃せば、海野屋に続けとばかり、勝手をする者が現れましょう。私はそれを心配しているのです」


 大演説だねえ。ああ、眠い。

 これじゃあ、寺の和尚の話の方が面白い。






 今日は、直江津で越後の塩問屋の寄合があるからと言われて糸魚川からやって来た。

 海野屋は、塩を各商人に大量に卸しているので主賓、いや、吊し上げのために呼ばれたのだ。


 寄合が始まる前に、越中屋の番頭から蔵田屋の主人、五郎左衛門を紹介された。

 蔵田屋は越後一の大店で、長尾家を筆頭に武家にも顔が聞く人だと言う。

 そして、その蔵田屋からは会合では口を開くなと事前に言われたのだ。黙って座っているだけで良い、後の事は蔵田屋がやると一方的に言われたのだ。

 返事の言葉は、世話になった越中屋の番頭のために止めた。何も言わず、ただ単に頷いた。


 寄合に集まった商人で、声を発するのは近江屋と蔵田屋のみ。他の商人たちは口を挟む事はない。


 近江屋は海野屋を責め、蔵田屋は海野屋を庇う。二人の商人は、海野屋と言う戦場で争う。

 二人の話は平行線をたどり、結局は寄合衆による採決となった。


 結果、蔵田屋の主張が通り、海野屋には咎めなし。


 蔵田屋の影響力の前に近江屋は敗れた。海野屋を貶めるだけの票を集める事ができなかった。


 海野屋によって損をしている商人はいない。ましてや、一番得をしているのが近江屋とあっては非難する事に説得力がなかったのだ。

 なぜなら、近江屋の話には海野屋を潰し吸収しようとする意図が見え過ぎていた。





 寄合の会合は終わった。

 近江屋は、暗い目で俺を睨んでから部屋を出て行く。


 俺を睨むな。

 蔵田屋を睨め。

 お前は蔵田屋に負けたんだ。俺に負けた訳じゃないだろう。俺や、海野屋のせいにするな。


 結局、何をしに直江津までやって来て、この会合に出席したのか分からない。そして、そのまま会合が終わった。

 勝手に責められ、勝手に守られ、勝手に沙汰を決められた。


 海野屋の事など、何も知らない者たちが、自分たちの都合だけで話し合い、そして結論を出した。

 そこに、海野屋に関係する者の意思は一切関係がない。




「海野屋さん、杏さん、少し良いですかな」

 暇だった会合から帰ろうとすると、蔵田屋が声をかけてきた。越中屋の番頭は、既に帰ったのか姿が見えない。


「今は帰らないほうが良いでしょう。近江屋さんが帰られたばかりです」


 出会えば因縁でもつけられ兼ねないと。


「ええ、構わないですよ」

「では、こちらへ」


 蔵田屋に連れられて控えの間に入り、腰を下ろす。


「杏さん、今日はわざわざ直江津まで、ご苦労様でした。それに、会合の最中は口を閉じていろなどと申し訳ない」

「いえ、ええと、礼を言わなければならないのは、海野屋ですかね」


「茶番劇でしたかな」

 蔵田屋が苦笑する。


「ええと、近江屋さんと蔵田屋さんは仲が悪いというのは良く分かりましたよ」

「これは、見苦しい処を見せました」


「蔵田屋さん、教えて貰って良いですかね」

「なぜ、蔵田屋が海野屋を助けるか。ですかな」


「ええ」


 蔵田屋は顎に手を当てて考える。話すか、話さないか、どこまで話すかを思案している様に見える。


「杏さん、私はね、最初は近江屋さんと同じで海野屋さんなど潰しても構わないと思ったのですよ。塩座でもない者が勝手に塩を作り始め、取引しだした。憤怒しました。この蔵田屋を蔑ろにする気なのかとね」

 そう言う蔵田屋に敵意は感じられない。


「処がです。その取引のやり方を聞いて驚きました。高価な塩を安い塩と同量で交換するなど、商人としてあるべき姿ではない。商人などとは認められないと思ったのです。だから、海野屋さんに興味が湧いたのです。そして、海野屋さんが次に何をする気なのかを見たくなったのです」


「そんな理由で、海野屋を助けた?」


「蔵田屋が圧力をかけても抜け駆けする者は出ます。それだけ海野屋さんとの取引は旨みがあるのです。であれば、蔵田屋が一番儲ければ良い。それだけです。他の店が蔵田屋より儲ける様なら……」


 蔵田屋が口角を上げて笑う。


 蔵田屋が不利な商売となるなら、海野屋ごと潰すって事かい。


「ですが、今日、あなたとお会いして、そんな気もなくなりました」

「どう言った事だい」


「どうやら、海野屋さんは争ってまで商売をする積もりはないようだと思ったのですよ」

「分かり易く言って貰えるかい」


「杏さん、世間では、あなたが海野屋を仕切っていると見ています。海野屋はあなたの店だと皆、思っているのです。あなたは自分の姿を見た事がありますか」

「自分の姿?」


「そうです。着ている服。身に付けている物。そして、その言葉使い」

「悪いな、俺に学がなくて。だが、服は悪くはないだろう。反物を買って仕立てたんだ。借り物じゃない」


「それでは駄目ですよ。安く見られます。海野屋が格下に見られてしまいます。もっと銭を使いなさい。海野屋の力を示しなさい。でなければ、いつまでも近江屋さんのように海野屋を下に見る者がつきません。銭を湯水の様に使い、海野屋には敵わないと思わせなさい。海野屋さんにはそれだけの財があるでしょう」


 知っていますよと蔵田屋の目が言う。


「先ずは、服でも、かんざしでも何でも良いのです。海野屋の財力を示せるものならば何でも」

「蔵田屋さん、本当にそんな事で敵が減るのかい」


「ええ、減りますとも。世の中と言うのは虚構なんです。皆、見た目だけで、その人を判断する。その家を判断するのです。中身など関係ありません」

「言葉使いは? 俺には学はない、言葉使いなんか簡単には治らないぞ」


「それは困りましたね。ですが、ご自分の言葉使いが相手にどのように聞こえているかさえ分かっていれば、今のままで宜しいと思いますよ」


「だけど、言葉使いを変えれば敵が減るんだろう」


「ええ、三下の敵がね。確かな目を持った商人は言葉使いなどに騙されません。そして、三下商人は海野屋の財力の前に引き下がるでしょう。であれば、言葉使いを直した処で意味はありません。今、困っていますか」

「全然」


「それでは、ゆっくりと覚えれば宜しいかと。杏さん、言葉使いとは飾りです。飾りはとても有効ですが、飾りは飾りです。立派に飾り立てても、中身は変わらないのですよ。中身が無いものほど、中身を見せたくないものほど、飾り立てるものなのです」


「そんなもんかね。分かったよ、蔵田屋さん。言葉使いはゆっくりと覚えるようにするよ」


 蔵田屋が頷く。


「さすが、大店の蔵田屋さんの旦那だ。学がある。もう一つ俺に教えてはくれないかい」

「私で良ければ」


「恩を返したいって思っているんだが、どうしたら良んだい」


「ほう、恩を返す。杏さん、あなたの恩人は、恩を返せと言うのですか」


 蕎麦蔵の顔を浮かべる。

 俺たちを助けて、俺の困った顔を見てニヤニヤと笑う顔だ。

 助けた事など、どうでも良くて。助けられた者が、安心したり喜んだりする姿を見るのが好きな奴の顔だ。


「いいや、そんな事を言う奴じゃないね」

「それでは、杏さんが借りたものを返したいと」


「借りたものじゃない。恩だ」

「なるほど。ですが、恩は返すものではありません。恩は感じるものです。返せ、返すと言うのであれば、それは恩ではありません。貸し借りです。あなたが感じるのは恩ですか、借りですか」


「借りなんかじゃない。恩だ。じゃあ、俺はどうしたら良いのさ」

「杏さん、恩は返さなくて良いのです。恩を受けた時に感謝を言うだけです。それが恩を受けると言う事と私は思いますよ。それでも何かしたいと言うのであれば、相手が望む事をしてあげなさい。でも、それは返すのではなく、普段通りで良いのです」


「普段通り?」

「そうです。恩人の方は、杏さんが何をしたら喜びますか」


 蕎麦蔵が、俺の普段で喜ぶ事。


 蕎麦蔵は、いつも姉ができたと喜んでいる。

 福の事は優しくしてくれる姉だと、歌の事は世話を焼いてくれる姉だと、皆に言っているらしい。


 俺の事は。


 俺には、弄るなよ、殴るなよと言うが、皆には、いっしょにふざけてくれる酷い姉だと、嬉しそうに言っているらしい。


 だったら、蕎麦蔵を弄って、殴って、そして、いっしょにふざけているだけで良いのか。


 甘えるぞ、俺は。


 蕎麦蔵は「仕方ないなあ」と言ってくれそうな気がする。


「杏さん、恩人は喜びましたか?」


「分からない。でも、普段通りで良い気がします。蔵田屋さん、ありがとうございます。恩に着ます」


「杏さん、勘違いしないで下さい。これは恩ではありませんよ。貸し借りです。蔵田屋は、これから海野屋さんに大儲けをさせて貰いますよ」

 蔵田屋が口角を上げて笑った。







「それでは杏さん、お気をつけて」

「蔵田屋さん、お世話になりました」


 蔵田屋に礼を言って、寄合の場所となった旅籠から出ると平次が待っていた。

 俺を見つけた平次が駆け寄ってくる。


「姉さん。大丈夫ですかい」

「大丈夫も何も。俺は、一言も話さずに寄合は終わったよ。海野屋には何も咎めは無しさ」


 まあ、咎めがあっても、蕎麦蔵は無視しそうだけどね。


「それは良かった。さ、日が暮れねえうちに船に戻りましょう」

「ああ」


 空を見上げると一面雲に覆われている。ただ、白い空からは雨は落ちてこない様に見えた。

「行くよ」と声をかけ、平次を連れて歩き出す。


 海野屋の船が直江津に停泊している。糸魚川から直江津まで荷を運んで来た船だ。その船に便乗して直江津に来ていた。

 本来であれば直江津からは蝦夷地方面に北上する船なのだが、一旦、自分たちを送り届けるために糸魚川まで戻る手筈になっている。

 南蛮船までは、面倒だが関川の河口まで徒歩で行き、そこから小舟で南蛮船に寄る。乗船には荷卸し用の滑車を使って引き上げて貰う予定だ。



 そう言えば、始めて南蛮船に乗った時は、船に乗るための女の服が必要だと思った。

 男衆の服の様な、自由に動き回れる服が。


 蔵田屋が言っていた「銭を使え」をやってみるかね。自分たちでやるのではなく、人を雇って銭を払ってやらせる。

 海野屋は、この様な事もできるのだと誇示する様に。


 ふふ、蕎麦蔵が面倒がる様だったら、俺がやるさ。


 

 そんな事を考えていると、平次が隣に並んで囁いた。

「姉さん、つけられていますぜ」




「その二」につづく

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