復讐の魔女
「どうしてこうなった」
「ほら、ちゃっちゃと運びなさい」
方位磁針を握る復讐の魔女に先導されながらリクは四輪のリアカーを引いていた。
「仕方ないじゃない。あなただってベルベットを置いていきたくなかったんでしょ」
「それは、そうだけど」
リアカーには毛布にくるまれたベルベットが眠っている。初めはデータが保存されている頭だけを運び、いつか修理して再起動するつもりだった。だが、いざバラそうとしたら復讐の魔女の反感を買ってしまった。どうなることかと思ったが復讐の魔女の提案でベルベットを直せる場所に行くことになったのだ。だけど問題が一つ。それはベルベットが非常に重たいことだ
「リアカーが見つかったのは良かったけど。それでもキツいな」
「だから言ったじゃない。私の魔法を使えば楽になるって」
「半日気絶するんだろ。誰がそんな恐ろしい魔法」
「なら我慢しなさい。早くしないと日が暮れるわ」
「へい、へーい」
リクたちは永遠に思われる天照らす荒れ地を進み続ける。
「なあ、お前の目的地って何処なんだ?」
「北部の国よ。山脈を越えた先にある灰が降り続ける滅んだ大地」
「灰が降り続ける?」
リクの反応に復讐の魔女はゴーグルを額に上げて、ああ、と納得する。
「そう言えばアンタ何も知らないんだったわね。良いわ。話してあげる」
この大陸には大きく五つに分けられる。
・東部の国ーー復讐の魔女たちが今居る場所。複数の小国で形成されている軍事国家。魔導人形という兵器の大量生産により西部の国と大陸の覇権を争っている。
・西部の国ーー大陸最大で唯一の帝政国家。人間主義であり、魔導師や魔女、後に説明する賢人や愚人を排斥して大陸の統一を目論んでいる。
・南部の国ーー工業と海洋貿易によって興された軍を廃した中立国家。だが元々半分以上は西部の国の隷属国家であったため反帝国感情が根付いている。
・北部の国ーー今亡き王国があった灰降る便宜上で国と呼ばれる国家。賢人と愚人の戦争により全てが荒廃し、山脈と死の灰により生者に忘れられた魔の住まう土地。
・中部の国ーー神の遣いである賢人によって治められた国家。ここから派遣された賢人が各地の戦争を裁定して停戦と処罰を行っている。
そして五種類の人間が居る。ただの人間と魔導師と魔女、神の遣いと……そのどれでも無くなってしまった者。
その中で神の遣いである賢人と愚人が殺しあった。その結果が北部の国の惨状。
・賢人ーー火族、金族、木族、土族、水族の五種族。世界を創造して守護するのが役目。
・愚人ーー魔族、夢族、死族、影族、牢族の五種族。世界を破壊して転生するのが役目。
相対するようで、しかし絶対の機構。このバランスが崩れたら世界は終わる。そう謡われているのに……今から五百年前、死族が金族の大量虐殺を行った。理由は不明。だが、これが引き金となった。死族の行いに対して賢人は糾弾及び宣戦を布告。愚人は死族を擁護し、応戦。十年以上も続いた戦乱は賢人の勝利によって幕を閉じる。
「まあ説明としてはこんなものかしら」
「何か俺が寝ている間にファンタジーになったな」
「幻想? 何言ってるの、これは現実よ」
復讐の魔女が皮肉を言うとは思ってなかったリクだったが、意識は視線の先に吸い寄せられる。
「あれは、城壁か?」
「ん? ああ、見えてきたわね。あれが目的の街よ」
二人が見つけたのは遠くからでも巨大だと分かる石壁の城壁。いや正確に言うと市壁らしい。
だが、そこに辿り着くためにはリクは世界の残酷さを見る必要があった。
「何だ、これ――!?」
街まで残り一キロと迫ったとき、リクたちが足を踏み入れたのは、もう一つの街ーースラム街
「さあ、行くわよ」
復讐の魔女は先を行く。
「何なんだ、この臭い?」
スラム街から吹いた風を浴びたリクは思わず口と鼻を覆っていた布を手で押さえた。
「止めなさい。彼らに失礼よ」
復讐の魔女はリクの行いを見咎めると釘を刺した。
「だけどーー」
リクは反駁したかった。何故ならスラム街が余りにも酷かったからだ。
地面は泥濘なのか、糞尿なのかも分からない。建物は今にも崩れそうな木材とボロ布の継ぎ接ぎ。骨と皮だけで横たわる犬も居れば、それを食らう犬が居る。ボロの薄い麻服を着た住人たちは時折吹いてくる風に身体を震わせている。
「止まらないで。ここは私たちが居て良い場所じゃない」
復讐の魔女は冷たく言い放つと、周りの光景を無視して先を行く。リクも緩くなった地面から抜け出すため力を込めてリアカーを引き、それに続く。
だけど、すぐに足が止まった。
「ご、は、ん」
リクのローブを幼い少女が摘まんでいた。
簡単に振り払えるはずなのにリクは動けなくなってしまっていた。まるで自分の影が地面に縫いつけられたようだった。そこで気付いた。幼い少女以外の射殺すような多くの視線がリクに集まっていた。警戒心、恐怖心、敵愾心、色々混ざっていた。リクの額から出た一滴の汗が頤へ流れる。それが首から上の呪いを解いた。彼は幼い少女へ首を回す。
「お腹空いてるの?」
そんなこと訊かなくても幼い少女が痩せ細り、空腹を訴えていることは感じられた。そしてリクは幼い少女に何かをしてやりたいと思い始めていた。
リクの問いかけに幼い少女はコクン、と頷く。
そういえば、とリクは思い出す。リアカーのナップザックにベルベットが用意してくれた乾物が有った、と。それを与えれば幼い少女を喜ばせてあげられるかもしれない。
だが、それは叶わなかった。
「早く…振りほどきなさい」
復讐の魔女がリクを睨み、待っていた。
「優しさでは誰も救えないわ。その子供から離れなさい」
「でも腹を空かしているんだ! 少しくらいなら分けてもーー」
リクの反駁は途中で止まった。復讐の魔女が彼にリボルバー拳銃を向けていたからだ。
「何だよ、それ」
「見て分からないの? 拳銃よ。ほら、そこの乞食、服を放しなさい」
復讐の魔女は親指で撃鉄をあげる。
「別に良いじゃないか!? 俺が飯を我慢すれば良いだけだろう!」
必死に訴えるリクをーー復讐の魔女は鼻で嗤った。
「アンタ馬鹿なの? このスラムの住人全員に食料をあげるつもりかしら。周りを見なさい。食べ物が欲しいのは他にも居るわよ」
リクはそこでハッとなり、周りを見た。先程よりも住人が増えてリクと復讐の魔女を取り囲んでいた。
「乞食だからって哀れんでいたら死ぬのはアンタよ。非力だろうと数が集まり、目の前に餌が転がっていたら食いつかないわけないじゃない」
そして引き金を引いた。
「まっ!?」
銃弾はリクの頬を掠め、リアカーから荷物を奪おうとしていた男の頭から血が噴き出す。バタンと音を発てて地面に崩れ落ちる男を恐ろしくてリクは見ることが出来なかった。
「さあ、行くわよ」
ゴーグル越しに復讐の魔女と目が合った。
周りでは掠れた悲鳴と怒号が響いている。それさえもリクには遠く感じた。彼には先を急ぐ復讐の魔女の背中しか見えていなかった。彼女に従うことだけが正しいと思えた。それ以外は何も考えられない。いや考えることさえ復讐の魔女に不義だと思った。
「いつまでボーッとしてるのよ」
額に痛みを感じ、それが復讐の魔女にデコピンをされたのだと遅れて気付いた。
「俺は……何を」
「アンタはずっとリアカーを引いていたでしょ。ほら着いたわよ」
復讐の魔女が示したのは市壁にポッカリと開いた、この街の出入り口だ。その前では列になった旅人たちが各々の荷物を抱えて門兵と入場の手続きをしている。列は進んでいき、復讐の魔女たちの順番になる。
「アンタは少し待ってなさい」
復讐の魔女はリクに言うとフードとゴーグルを外し、門に敷設された受付の門兵と話す。
「この街への目的は?」
いかにも事務員然とした門兵が紙とインクペンを手に問いかける。
「仕事で来ました! 滞在は二週間を予定しています。はい、これが許可書です!」
それに対して外部から来た営業マンのようなスマイルの復讐の魔女。
「後ろの連れは?」
受付の門兵が顎でリクを示す。
「あれはタダの下男です。お気になさらず」
ホホホと復讐の魔女はわざとらしく笑う。
「荷物を拝見しても?」
「ん? ああ良いですよ」
もう一人の武装した門兵に訊かれたリクは適当に答えて、刹那焦った。
「あっ!? やっぱダメです!」
リクの反応に明らかに怪訝そうな顔の門兵。
「何故だね」
「それはーー」
リアカーに載っているのは毛布に包まれた機能が停止したベルベットだ。だが、どこからどう見ても人間にしか見えない。そんな彼女が発見されたら何を疑われるか。
しかし、リクの妨害は簡単にあしらわれる。そして毛布が剥がされる。
「なッ!? 人間! お前ら何をーー」
「うちの商品に何か?」
復讐の魔女が笑顔で答える。
「商品だと?」
「ええ。私のところの魔導人形ですよ。今から依頼主と会うんですがーー」
そこで復讐の魔女から笑みが消えた。
「その商品に埃が付いたら……何人の首が跳ぶんでしょうね?」
周辺の空気が凍った。
「しっ失礼しましたあ!?」
門兵は平謝りで復讐の魔女たちを街に通した。
「なあ、さっきの兵士の反応って」
「あそこでイチャついてるカップルの女性。そこで荷車を引いている老人。通りで子供たちに芸を披露しているピエロ。そして今、私たちの前を通った巡回中の二人の赤服憲兵」
俺の問いかけに復讐の魔女は街の人々に指を差す。
「その他の人間みたいで人間じゃないモノ。全て魔導人形。東部の国の一大工業であり、生活基盤を支える無くてはならない存在」
「彼らがーー」
リクには平和な人間の街にしか見えなかった。だけど復讐の魔女には、どう見えているのだろうか? そして、この街の人々は人間じゃないモノたちを、どう認識して暮らしているのだろうか?
「つまり、それを作っている魔導人形師は東部の人間にとっては素晴らしき人材であり、人に限りなく近い魔導人形を作れる技術者は雲の上の存在なのよ……着いたわ」
そう言って止まったのは並ぶ煉瓦住宅街の一つだった。