ブローチは何処へ
「……ここは?」
メジルは酒場の円卓に座っていた。周りでは他の客がジョッキを片手に騒いでいる。
「ほら、ちゃっちゃと思い出しなさい」
声のした方を見ると同じ円卓に頬杖をついた復讐の魔女が座っていた。
「思い出す?」
メジルは動揺を隠せない。
「だってこれはーー」
「あなたの記憶よ」
そうなのだ。今メジルが見ている景色は復讐の魔女たちを宿に案内した後の夕方に来た酒場の店内だった。
「あなたはここに居たときはブローチを持っていた」
円卓の上には黒猫の魔女が探している緑色の宝石が埋め込まれたブローチ。
「それをどうしたの?」
「俺はブローチをーー」
何とか思い出そうとするメジルの正面に人が座った。
「このブローチ、あなたのですか?」
相手の声は女性だった。高級そうな絹のローブを羽織り、手には錫杖と呼ばれる修行僧が使う杖を持っている。顔は白い布で覆われて表情は分からない。
「そうだぜ! この人に売ったんだ。譲ってほしいって言うから」
興奮ぎみにメジルは女性を指差す。
「……最悪」
復讐の魔女は女性を一瞥すると頭を抱えて絶望の溜め息を吐いた。
「どうして、この人なのよ~!?」
復讐の魔女が円卓に顔を伏せる。
「で、でも売った金はあるから返してもらえるかもしれないぜ」
「この人なら絶対返してくれるわよ。場所は分かるの?」
「あ、ああ。酒場と同じ宿に泊まっるって」
「それなら復讐の魔女が力を貸してほしいと言っていたと伝えなさい」
「お、おう。分かった」
そこで記憶は覚める。
「売った物を無くしたって、酔っ払ってたの?」
「すまねえ」
復讐の魔女に睨まれてメジルは平謝り。
「それでどうだったんだ?」
「見つかりそうよ。私にとって最悪な形で」
「お前にとって?」
深く溜息を吐いた復讐の魔女は指示を出す。
「メジルは早く探してきなさい。アルはメジルを守って。時間がないわ」
「み~つっけた~」
暗い路地から現れたのは黒猫の魔女。
「よく私たちから逃げられたね。ん?」
黒猫の魔女はリクの肩のネズミを見ると嗤った。
「裏切ったの、ネズミ?」
ネズミはビクリと震える。
「私は、自分が死ぬ前、に、恩返しが、したかった、だけ、です」
肩から下りた一匹のネズミは―― 一人の幼い少女になった。
「君はあの時の!?」
「そう、だよ。ご飯、美味し、かった。ありが、とう」
ボロのワンピースの少女はリクに微笑む。
「私たちの街に居ても襲われないように人の姿をあげたのに。一緒に殺しちゃうよ?」
「走りなさい、メジル!!」
メジルとアルは駆けだす。
「逃がさないよ」
「行かせないわ」
追いかけようとする猫たちを復讐の魔女は撃ち殺す。
「ひどいな~。動物は大切に愛さないと呪い殺されるよ」
「魔女が動物の呪いを恐れるわけないでしょ」
弾を込めて黒猫の魔女に銃口を向ける。
「あと何発あるのかな?」
数え切れないほどの猫の軍団が復讐の魔女たちを囲む。
「アンタも戦いなさい!」
「武器がねえよ!」
「男なら素手でどうにかしなさい!」
「そんな無茶な!?」
「ああもう! 数が多い!!」
爪や牙で攻撃してくる猫たちを愚痴りながらも撃退していく。
だが――
カチン、と虚しく拳銃がなった。
「……弾がない」
「……勘弁してくれよ」
「復讐の魔女様、魔法で解決できないのですか?」
「私の魔法は攻撃に向いてないのよ。使うにも条件があって、ね」
復讐の魔女はナイフで猫の首を掻っ切る。
明日の噴水広場は憩いの場所ではなくなるだろう。
石畳は毛皮と血で覆われ、鉄臭さが充満し始める。
服も顔もどろりとした液で不快だ。
「あ~あ。いっぱい殺しちゃったね」
惨状を見続けていた黒猫の魔女が言った。
「仲間を殺されたのに淡白ね」
顔の血を拭い、鼻を鳴らす復讐の魔女。黒猫の魔女は、また嗤った。
「何度も死ぬとね、分かんなくなっちゃうんだ。死の恐怖とか、生への執着とか。あなたは死んだことある?」
「あるわけないでしょ。死んだら魔女になってないわよ」
復讐の魔女は嗤い返す。
「哀れね。何度も死んだくせに今度は死なずに魔女になるなんて。生への執着がない? ならとっとと自殺しなさいよ。どうせ転生するんでしょうけど」
「しないよ。もう八回死んだし。これが最後の魂」
黒猫の魔女から笑みが消えた。
「だから邪魔しないでよ。私の最後を」
「あのブローチがそんなに大事なの?」
黒猫の魔女は復讐の魔女を睨む。
「不幸を運びしは我なり」
黒猫の魔女が囁くように言った。
「!?」
胸からこみ上げてきたものを復讐の魔女は吐いた。
どろり、ぼとりと赤黒い塊が猫の血と混ざる。
「復讐の魔女!?」
リクが支えるが復讐の魔女は膝をつく。瞳からは生気が失われている。
「すご~い。不幸って怖いね。魔女でも簡単に死んじゃうなんて!」
黒猫の魔女は腹を抱えて笑い出す。
「何を、したの――!?」
ネズミの少女が声を震わせる。
「魔法だよ、魔法。私の魔法。命の確率を死に傾ける力。でも、普段はちょっと怪我させるぐらいなんだよね。私、魔女でも魔力が弱いから。でもでも愉快だよ! この広場は魔力で満ちている! 確実な死を与えられる力が!! 死んだ皆には感謝しないとね!!!」
黒猫の魔女は笑みを絶やさぬまま、ぬちゃり、ぐしゃりと仲間を踏みつけて復讐の魔女の前に立つ。
「ご主人様、復讐の魔女様!?」
ベルベットが二人を守ろうと黒猫の魔女に拳を――
「うるさいよ、メイドさん。あなたのご主人様殺しちゃうよ」
振るえなかった。
「今の私は強いよ。魔導人形であるメイドさんは殺せないけどね。でもメイドさんの大事なものは、すぐに奪えるから。大人しくしてね?」
「……従いましょう」
ベルベットが退がると復讐の魔女に向き直る。
「そういえば、どんな魔法だったのかな? 死んだ今じゃ分からないけどね!」
力なく垂れた復讐の魔女の顔を覗き見る黒猫の魔女。
笑ったのはリクだった。
「知りたいか、こいつの趣味の悪い魔法を?」
「教えてくれるの、お兄さん? !?」
黒猫の魔女の腕を掴む力強い手。
「教えてほしい? 後悔しない?」
復讐の魔女が顔をあげる。
「知ってる? 好奇心は猫も殺すらしいわよ」
復讐の魔女は嗤った。