懸賞首の実力⑥
カルは内心焦っていた。
クレアが〈鎧の象徴〉に入って早2週間、彼女はその間に自らの力を証明して見せた。実力があるのはいいことだ。すでに一目置かれる存在となったクレアだが、しかし彼女が単独で依頼を受けることはシルフィーナより禁止されていた。
理由は単純明快である。彼女は余りにも融通が利かなすぎた。
ある時には貴族の屋敷を半壊させ、激昂する貴族にカルが一緒に平謝りしたのは記憶に新しい。
とにかく、奴を一人にさせてはいけない――それは彼女を〈鎧の象徴〉へと引き入れた身としては、義務感のようなものだった。
しかし、だ。
最近になって懸賞金が跳ね上がった大喰らいのバンの依頼書を持って、クレアが森へ向かったと言うではないか。シルフィーナに言われるがままにクレアの後を追うことになったカルだが、バンの拠点なんてどこにあるんだよと心の中で舌を打つ。が、実際はそんな心配は杞憂だった。
嫌に騒がしい方へ行ってみれば、バンの拠点は魔物の群れの襲撃に遭っているではないか。
想像を超えた自体に白目を剝きそうになったその時、草むらから人の足が覗いてるのを確認する。警戒しながら見ると、虫の息の少年が横たわっていた。
周りには魔石を使った簡易結界が貼ってある。おそらくクレアの仕業だろう。一刻を争うほどの重傷の彼を見て暫し逡巡するが、カルは治癒魔法が滅法苦手である。申し分程度に使ってみるが大した変化は見られなかった。
仕方ない、適材適所だ。自分に言い聞かせて簡易結界の上から結界を重ねて張る。これでよっぽどのことが無い限りは大丈夫だろう。以前、「余ったから」とクレアに貰っていた閃光弾を打上げた。当然魔物も引き寄せることになるだろうがこの結界がある限り心配は無い。……はずだ。
意識のない彼に「頼むから頑張ってくれよ」と呟くとカルは走り出す。
が、正直に言うと気配探知もカルは得意ではない。どっちに行こうか――と悩んでいると、突然草むらから野生のイノシシが飛び出してきた。間一髪でそれを避け呆然としていると、続いてリスやら鳥やらが続いて駆けてくる。
――そっちか!
動物たちの流れに逆らうように走り出したカルが、その姿を見付けるのにそう時間は掛からなかった。大喰らいのバンは笑ってしまうほど巨大な斧を軽々と振り回していて、その顔には余裕が見て取れる。反対にクレアは肩で息をしているような状態だった。
立っているのはその二人だけ。よほど激しい戦いなのか、周りの木々は薙ぎ倒され酷い状況だった。
「……さっきの発言は取り消してやろう」
と、斧を肩に掛けながらバンが言う。
「お前は確かに〈鎧の象徴〉の一員で間違いなさそうだ」
「……」
「この状態になった俺を前に、立っていられているのがなによりの証拠」
「……」
女だからって疑って悪かったなとバンは笑う。
カルはそれよりもその含みのある言い方に違和感を覚えた。
「腕が立つ奴は好きだ、俺はお前の事が気に入った」
「……」
「お前ならこの俺の右腕になれる。――どうする? 頷けば命は助けてやるよ」
「……お断りします」
カルからクレアの表情は窺えない。バンが心底楽しそうに天を仰ぎ笑い声を上げる。
「そう言うと思ったぜ! ――ここで俺に命乞いをするようだったら、直ぐさまぶっ殺してやろうと思ってたんだけどなあ?」
闇の中で二つの影が同時に動いた。夜目が人並み以上に利くカルにはその様子がありありと見て取れる。最初はなんの冗談だと思ったあの巨大な斧を手足のように操るバンは右上からそれを容赦なく振り下ろした。普通、大きな武器は破壊力の代わりに速度が落ちるものだがこの化物には通用しないらしい。目を見張るほどのスピードで迫る斧をクレアは両手で受け止める。が、力の差は歴然。受け止め切れずに受け流そうと剣をずらし体重を移動させる。そのまま大柄のバンの懐へ潜り込み、下から切り上げるように剣を薙いだがバンは悠々と飛び退いてそれを躱した。
思わず息を止めてその応酬を見ていたカルの顔色は悪い。
(……ほんとの化物じゃねえか!)
王国の懸賞首は伊達じゃなかったらしい。以前クレアに対して「ハーヴェストさんと同レベルの化物」と表現したことがあったが、まさかここまでと思わなかった。
規格外のパワーにスピード、そして意外にも冷静な状況判断。どこをとっても勝てる気がしない。
ハーヴェストはいつもの如く一月近くかかるような大型依頼を受けて大陸中を彷徨い歩いているから、助力を期待するだけ無駄というもの。となると、連合軍が来るのを待つしか無いが――。
(いつ来るんだよ……!)
各ギルドから代表を集めるというだけでも時間は掛かる。甘く見積もってもあと数時間。しかしそんなに待っていたらクレアが死んでしまう。
カルは頭を掻いて木陰から飛び出した。自分にこいつの相手が出来るとは思えないが、やるしかない。
クレアの背中側にいたカルの存在にバンは気付いていたようだ。その目が挑発するようにカルを見ている。
手加減は無用。特大の魔術を展開させようとした、その時だ。
「下がってください」
クレアが一度も振り返らずに小さく告げる。聞き間違いかと思って一歩踏み出したクレアはそこでようやくカルを見た。
――漆黒の瞳が、燃えている。
「たぶん、きっと、自制が利きません」
「は?」
視線がカルから外れた。
彼女は一度バンから距離を取り、剣を構え直した――かと思えば方向をくるりと変えて、自分のお腹目掛けて突き刺したのだ。
あまりの奇行にカルもバンも言葉を失う。
とめどなく溢れる血がクレアの足元に垂れるのを見てハッとしたカルが慌てて駆け寄ろうとして――「来ないで下さい!」――思わず足を止めた。
それは初めて感じる感情だった。
不思議と呼吸が苦しくなる。クレアが「来るな」と言った理由が今のカルにはよくわかった。
これは確かに近付けない。
クレアを取り巻く異様な空気はやがて一帯を覆い尽くす。自分の腕に鳥肌が立っているのを見てカルはようやくその感情に気付いた。
――これは、「畏怖」だ。
カルと同じく空気に呑まれていたバンは、自分を一喝するように斧を振るった。風を切り裂く音と共に空気が割れる。
「……面白い」
カルは数歩後退してそれを見ていた。対峙する二人は距離を詰めないようにジリジリと動く。かと思えば、気付いたときには金属音が響いている。
クレアの猛攻にバンの顔が初めて歪んだ。すげえ――とカルはクレアを凝視する。すべての動きにおいて先ほどまでとは一線を画している。
型にはまらない複雑な動きに翻弄されてバンが後退し始めたその時、カルはようやく異変に気付く。
圧倒的な技量でバンを押していたクレアの口の端から血が出ているのだ。それだけではない。見れば腕、足、膝、肘――あらゆる場所から血が噴き出していた。
決定打はその顔だ。追い詰められているのはバンのはずなのに、クレアの顔は誰よりも辛そうだった。噛みしめられた口から新たな血が流れる。
まるでその動きに、身体がついていっていないような――。
考え込んでいたカルの意識が二人に向いたときには既に決着がついていた。
尻餅をつくバンの手の中に斧はない。クレアは感情の分からない底なしに暗い瞳でバンに剣を向けていた。
「――言い残すことはありますか」
「ハッ」
バンの瞳は穏やかにクレアを見上げていた。視線が交わる。「皮肉なもんだな」と前置きしてから力無くバンは笑った。
「あの方と同じ目をしてやがる……」
直後、容赦なく鉄槌は下された。
クレアが何を思いながら手を下したのはカルには分からないが、少なくともその剣筋に迷いはなかった。
――懸賞首「大喰らいのバン」の首が落とされた。
「クレア……」
何と声を掛けたら良いのかわからず、カルは微妙な顔で彼女に近寄った。振り返った彼女の顔に表情はない。「お前は悪くない」と下手な慰めをしようとしたところで、肩に置こうと持ち上げた手を止めた。
「クレア?」
漆黒の瞳は間違いなくカルを映しているはずなのに、反応がない。
――そう、一切の反応がないのだ。
そして怪訝に思ったことによってカルの命は救われた。
真横を通った突きは、おそらくカルの心臓を狙っていた。油断したままだったら、今ごろ自分は串刺しになっていただろう。
咄嗟によけれた自分を褒めてやりたいくらいだ。――なんて内心で軽口を叩きつつも、状況はよろしくない。真によろしくない。
『たぶん、きっと、自制が利きません』
クレアの言葉が頭の中で反芻される。
――こういうことかよ!
カルは考える間もなくクレアと距離を取ったが、それを向こうは見越していたのか同じだけ詰めてきた。さっきまでクレアの剣筋を見ていただけに一撃目は防げたが、流れるように繰り出された回し蹴りは到底よけることなど不可能だった。
木に叩き付けられた瞬間、意識が飛ぶ。
(おいおい、嘘だろ。骨イったぞ……)
苦笑しながらゆっくりとした動作で歩いてくるクレアを見る。その姿はどう見ても「問題児」なんて可愛い言葉じゃ収まりきらない。
しかしよく見てみればクレア自身の身体も相当キている。目や耳から血が噴き出している様は正直怖い。
(どうやったら止まるんだよ、お前……)
縋り付いてでもその術が知りたいくらいだとカルは思った。このままじゃ恐らくカルはクレアに殺され、そしてクレアも直に死ぬ。クレア自ら刺した腹の傷は見るからに放っておいていいレベルじゃない。
数メートルのところまで迫ったクレアを見ながら手の中で魔術を構成する。幸いにも魔力はまだ有り余ってる。問題はどの火力をぶち込むかだ。
(頼む、死なないでくれよ)
カルの手のひらの中に術式が浮かんでいる。赤く光りを放ち始めたそれにクレアの気が一瞬逸れた、その時。
カルの背後から黒い影が颯爽と現れクレアが吹っ飛んだ。そう、文字通りに彼女は宙を舞った。
現れた人物にカルは息を呑む。
クレアはいまの一撃で気を失ったようでぴくりとも動かない。それを確認したその人物はようやくカルを視界に捉えた。
「……ハーヴェストさん」
「化物じみた」連中の頂点に立つ男は、本当にとんでもない化物だったらしい。




