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リアス  作者: 佑加
10/12

懸賞首の実力⑤


 クレアが村に着いたとき、全ては終わった後だった。ほんの数日前に来たばかりなのに、その面影はどこにもない。家は踏み荒らされた後に火を放たれ、木々は薙ぎ倒されていた。

 震える足を叱咤しながら歩く。この震えが一体何によってもたらされたものなのか、クレアには分からなかった。


 やがて見知った顔を見付けた瞬間、彼女の心がざわめいた。


「大丈夫ですか!?」


 バンに連れて行かれた青年の妹と母親は、潰れた家に挟まれ身動きが取れない様子だった。クレアが急いで駆け寄るも、反応はない。

 娘を守るように腕に抱きかかえている母親の顔には生気が感じられない。唇を噛みしめながら、身体にのし掛かっている木片を蹴散らしていく。

 最後の木片を取り除いたとき、小さな呻き声が聞こえた。

 どうやら女の子が意識を取り戻したらしい。母親の腕に守られていたからか、外傷はあれども重傷ではないようだ。クレアは女の子と視線を合わせるようにしゃがみ込む。そしてその顔が異様に青ざめていることに今更気付いた。


「おかあさん……?」


 震える声に、掛ける言葉が見つからなかった。

 クレアは無言で自身の外套を二人に掛けてやる。そこでようやく、初めて女の子の瞳がクレアを捉えた。


「おねえちゃん、おかあさんが冷たいの」


 嫌々、と駄々をこねるように首を振る姿が目に焼き付く。腹の底から燃えさかるように沸き上がる感情に呼応して、グレイディアが熱を帯びていくのが分かった。


「ここから、絶対に動かないでください」


 目線を合わせて静かに告げると、女の子と、母親の亡骸を囲うように魔石を五つ並べた。石と石が共鳴して、一つの簡易結界が浮かび上がる。

 行かないで――と縋る女の子を振り切ってクレアは立ち上がった。いつか使った閃光弾を空に放ち、森へと歩いて行く。


 〈鎧の象徴〉の誰かが気付いてくれると良い。あの閃光弾がクレアのものだと、シルフィーナ辺りは気付くはずだ。

 ――グレイディアを抜いたクレアの瞳は、漆黒を宿していた。




 時折魔物が現れるシュバルツ山脈の奥深くには、余程のことが無い限り足を踏み入れることはない。――普通の人は、の場合だが。


 山道から外れて道なき道を進む少女が放つ異様な空気を、動物たちは本能で感じたのか、一斉に散っていく。少しずつ日が傾いてきて、生い茂った木々のせいか森は暗闇に呑まれつつあった。

 シュバルツ山脈のどこかにある大喰らいのバンのアジトをクレアは知らなかったが、絶対に見つけ出せる自信があった。理由は簡単。奥へ進めば進むほど、性根の腐った人間が発する「悪臭」がするからだ。


 本能のままに突き進んだクレアは、見事そのアジトを突き止めた。

 木が積み重ねて作られたそれは、小屋と言うよりは屋敷に近い。山賊という荒くれ集団の割には緻密な結界で守られていて、更には見張りがざっと見ただけでも数名確認できた。

 木陰に潜みながら突破口を探すクレアは、背後から聞こえた唸り声に気付くのが遅れた。闇の中から飛び出してきた鉤爪をすんでのところで躱すと、その爪は今し方クレアが寄りかかっていた木を薙ぎ倒した。

 木が倒れた音に気付き、見張りの目がこちらへ向いた。


(――これだ)


 クレアはグレイディアを諸手で構えると、魔力を込めて力強くぶん回した。グレイディアがクレアの魔力に反応し鈍く光った瞬間、斬撃は生き物のように飛んでいく。

 あまりに一瞬の出来事で、全てを理解できた人はクレア本人のみだったに違いない。轟音と共に結界に亀裂が入り、見張りは瞬く間に体系を崩した。

 クレアの実力を前に、本能が彼女に敵わないと感じたのか、はたまた人間の声に引き付けられたのか、鎌のようなかぎ爪を持った魔物は大きな巨体に似合わないスピードでアジトへと突進していった。

 結界にぶつかり一度は跳ね返されるも、クレアの一撃で崩れかけていた結界から嫌な音がなった。魔物は懲りずに体当たりをくり返す。亀裂は次第に結界全体に及び始めた。

 流石にまずいと感じた見張りの一人が持っていた笛を吹いた。どこか切羽詰まるその音は、「非常時」を知らせる音。


 蜘蛛の子が散るようにアジトへと見張りが引っ込んだ途端、結界が崩壊した。


 代償として身体中に傷を負った魔物が、大きく吠えるのをクレアは木の上からじっと見ていた。少し間を置いて、地響きが聞こえて来る。

 顔いっぱいにある巨大な一つ目に、人間の二回りはありそうな巨体。鋭い鉤爪も勿論怖いが、この魔物が本当に恐ろしいのは群れを成す(・・・・・)ところだ。


 咆吼に寄せられた魔物が次々にアジトを襲う。混乱に乗じて中に入ったクレアは、視界の端で魔物に喰われている人間共には目もくれず進んだ。

 ――ただ一人、奥でふんぞり返っているだろう男を目指して。





 カイルの耳にくぐもった悲鳴が聞こえる。誰かが「魔物だ!」と叫んでいるが、残念なことにカイルの身体がもう一ミリたりとも動かせそうになかった。



 忌まわしき大喰らいバンが「サザンカ村を襲う」と言い出したのは今朝のことだった。

 小耳に挟んで、居ても立っても居られなくなったカイルは自分の今の身分など考えずに直接バンに抗議した。

 しかし話が違うと叫んだカイルに、バンは笑いながら言ったのだ。


『だからなんだ?』

『な……に……?』

『お前との約束を守る必要がどこにある? ――弱い奴に選択肢なんざ無ェんだよ』


 言いながら、バンはカイルを殴った。料理人である彼は当然身体を鍛えたことなんか無く、面白いくらいに跳ばされる。壁に打ちつけられた衝撃で息が止まった。部下たちが血を吐くカイルを見下し、笑いながら通り過ぎていく。

 ――限界だ、と思った。

 それは奥の手。一度だけ使える最後の手段。

 成功してもきっと自分は助からない――覚悟はあった。

 だから実行した。


『……俺の酒に毒を盛ったのはお前か?』


 ――現実は残酷だった。

 覚悟はあったのだ。だけどまさか、失敗する(・・・・)とは夢にも思わなかった。致死量の毒を盛ったのに、軽く血を吐く程度で他には何の影響もなさそうな化物(・・)は笑いながらカイルを殴った。笑いながらカイルを蹴った。


『良い度胸だ。が――賢くは無ェな?』


 笑いながら告げられた一言は、どんな仕打ちよりも痛かった。

 けれどカイルに止める術はない。力は無い。

 全身の血が煮え切るほど憎いのに、自分に出来ることは何も無い。



 ――サザンカ村から帰ってきたバンはわざわざカイルの元へやって来た。ほとんど開かない視界で、その隣に立つ少女を見てカイルは息を呑む。


『エ、リー……』


 ほとんど声にはならなかったが、彼女には聞こえたらしい。大きく肩を揺らして、目いっぱいに涙をためてカイルを見ている。

 バンは彼女の肩に腕を回して抱き寄せる。そしてその手に何かを握らせた。


『殺せ』

『え……?』

『聞こえなかったのか、嬢ちゃん。あいつを殺せ』


 彼女は震える手でナイフを拒んだ。当然だ。二人は恋人同士だったのだから

 それを知ってか知らずか、バンは語気を強めた。


『村の奴らが死んでも良いのか?』


 明らかな脅しだった。彼女が泣きながらカイルを見る。カイルは出来るだけ優しく映るように微笑んだ。

 ――頼む、君が、殺してくれ。

 こんな男に殺されるくらいなら愛した人の手で――それは彼女にとっては辛いことなのかもしれないが、カイルは強くそう思った。

 彼女はナイフを受け取り、嗚咽を上げながらカイルに近付いてくる。後ろでバンと部下が笑っているのが見えた。


 ――全ては、余興だったのだ。


 彼女が近くまで来たのを見て、カイルは最後の力を使って彼女を抱き締めた。瞬間、身体がカッと熱くなる。彼女は驚いて身を引こうとしたが強い力で離さなかった。

 わざとらしく手を叩きながらバンが彼女を連れて行く。

 彼女の泣き顔を最後に、カイルは瞳を閉じた。



 ――の、だが。

 自分は意外としぶとかったらしい。事実、まだ(・・)生きている。

 部下たちの慌てた声と、バンの声。どうやら拠点を捨てて逃げるつもりらしい。

 死ぬのが先か、魔物に喰われるのが先か。

 出来ればこのまま――という淡い期待は、開いた扉によって残酷にも砕け散った。


 が。


「だ、大丈夫ですか……!」


 現れたのは少女だった。驚いた顔の後、すぐに険しい表情をして止血をする。聞きたいことはたくさんあったが、口を開くのは億劫だったし、何より少女の強い眼差しを前に訊ねることが躊躇われた。

 とりあえずの応急処置を施した少女は、それでもまだ顔が険しい。


「あなたは……カイルさん?」


 まさか自分を知っているとは思わなくて驚いたが小さく頷く。すると彼女はカイルを背負って歩き出した。驚いて身体を捩ると、肩越しに少女が「動かないで下さい」と言い放つ。


「魔物に殺されたいんですか」

「……」


 大人しくなったカイルを見て少女は歩き出す。裏口から出た二人は少し離れた木陰で足を止めた。傷に触れないようにゆっくりとカイルの身体を下ろした少女はその周りに魔石を置く。簡易結界に包まれたカイルを見て「少し待ってて下さい」と告げ、走り去ろうとする。

 慌ててその背を止めた。


「ど、こへ……」

「大喰らいのバンのところへ」

「……あいつらは、あっちだ」


 バンたちが話しているのを聞いたことがある。剛胆な奴は意外なことにも逃げ道の確保を怠ってはいなかったのだ。

 それを告げると少女は初めてカイルに笑顔を見せた。


「私はクレアです。必ず助けに戻りますから」


 強い言葉と共に少女――クレアは駆け出す。夜の森の中でも輝きを失わない銀髪が揺らめいていた。




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