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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
第七章 遥かなるブリュンヌ
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第四節 セピアの城郭

「おい……あれじゃねーか?」

「え? どれ?」

 フォルテュナの声に顔を上げて、リュヌは目を瞠った。緑に霞んだ地平線の向こう側に、茶色がかった灰色の影が覗いている。この地方には大きな都市はないと聞いた。遥か地平の先にも見える建物があるとすればそれは彼らの目指すアマンド城塞ただ一つだ。

 皇国軍の本隊とはぐれて、丸二日。山麓の森を抜けた後に分かったことであるが、四人が滑り落ちた斜面は山の西側、即ちブリュンヌ地方につながっていた。お蔭で山を登り直す必要はなくなったが、本隊が今どこにいるのかということについては全く見当がつかない。そこで四人は太陽を頼りに、単独で西へ進むことにした――結果、目指す砦は彼らの前に姿を現したのである。

 やったぁ、と、コレットがはしゃいだ声を上げた。

「ゴールが見えればこっちのもんだわ! ほら、早く行きましょ!」

 寝苦しい、しんどい、お風呂に入りたい、等々と、数時間おきにぼやいていたというのに現金なものだ。強行軍の疲れなどどこ吹く風で、少女は平野を駆けていく。

「調子いいんだから、ほんとに……」

「仕方ないよ。終わりの見えない旅って、きついものだし」

 フォローするベルナールの表情にも、深い安堵が滲んでいた。本隊の現在地は依然として分からないが、アマンドには西方警備隊もいる。とにかく辿り着けさえすれば、後はなるようになるだろう。

 早く、と呼び掛けるコレットの声が、既に遠い。吹く風にはほのかに、潮の匂いが混じり始めていた。


 ◇


 岸壁を背に聳え立つアマンドのシルエットは、砦と言うよりも城のそれに似ていた。城門から延びる緩やかな坂道を今は無人の屋舎が縁取り、主なき聖堂と止まった噴水を経て、更に石段を登りながら中心部へと至る。

「随分と寂しい所ですわねえ……」

 バルコニーから城壁の内部を見渡して、皇女ベアトリスは言った。

「なんというか、華がありませんわ。潤いがありませんわ! いくら戦のための城といったって、生活を楽しむ心の余裕は必要なのではなくて?」

「では、第一中隊の到着にはまだ少し掛かるということだな?」

 高貴な少女の独り言には聞こえない振りをして――と、いうよりも、耳が集音を拒否しているのかもしれない――軍師エルネストは言った。は、と姿勢を正して、伝令の兵士は続ける。

「概ねあと二日ほど掛かる見込みです。しかしながら、ブリュイエール卿、フレデリック殿はご無事であります」

「そうか。ならばいい」

 山越えの途中、予期せぬトラブルで複数名の兵士が滑落したと聞いた時には肝が冷えたが、その二人が無事であるならば後は数名で済めば安いものだ。寧ろ気掛かりは、時間の方――思ったよりも、山越えに時間が掛かっている。今後のことを考えると、すぐにでも次の動きに掛かりたい所であるのだが。

「ねえ、エルネスト。裏庭に花を植えてもいい?」

「船の方はどうだ?」

 今度は明らかに自分に向けて発せられた言葉を右から左へ受け流し、エルネストは別の兵士を振り返る。はい、と答えて、兵士は続けた。

「全て準備は完了しております。操船に必要な人員も既に確保しました。後は実働部隊が到着すれば、すぐにでも船を出せますが」

「分かった。第一中隊が到着次第、すぐに実働部隊を選抜する――」

 ふと、視界の端に違和感を感じて、軍師はバルコニーの下方に目をやった。皇国兵だろう――円柱を並べた手すりの向こう側に目を凝らすと、セピアトーンの小路の先にどこかで見た覚えのある姿が四つ、見え隠れしている。

「あれは……?」

「あっ。ちょっと、エルネスト!」

 どこへ行くのと咎めるような皇女の声に無視を貫いて、エルネストはバルコニーに背を向けた。セレスタン達の到着にはまだ時間が掛かると聞いたばかりなのに、なぜ末端の兵士達がここにいるのか――いずれにせよ、会話をしなければなるまい。

「ひっろいお城ねー!」

 高台に建つ楼閣と城壁の内側に広がる景色を見回して、コレットが感嘆の声を上げた。

 規模だけで言えばアマンドの城塞はミュスカデルの王城よりも大きく、道の左右に連なる兵舎らしき家並は小さな城下町のようにも見える。全体に茶褐色で統一された色彩は華やかさには欠けるが、長い間この西の果てでイヴェールと言う国を守り続けてきた戦城の歴史を思わせる。

「でも、なんだかちょっと寂しい感じもするわね」

「そりゃ、ほとんど使われてないんだからな」

 かつては兵士に限らず大勢の人で賑わっていたのだろう通りも、今は人気がなく、閑散としていた。錆びついた酒場の看板がきぃきぃと空しい音を立てる様には、なんとも物悲しい気色がある。

 道中、フォルテュナ達から聞いた所によれば、海岸線の監視にあたる西方警備隊は、各師団から毎年数十人、一年間の期限付きで派遣される人員から構成されているそうだ。

 城塞の規模に反してその数は百名にも満たない小さなものであり、西方諸国の脅威が薄れたという不確かな事実よりも寧ろ、一人でも多くの人員を皇都防衛に残しておきたかったという軍の事情が透けて見える。

「おい、お前達」

 かつんと、石畳を硬い足音が叩き、リュヌは辺りを見回した。坂道の先に腕組みをした軍師の姿を認めて、フォルテュナが咄嗟に背筋を伸ばす。

「エルネスト様!?」

「どうしてここに……」

 少なからず驚いた様子で、コレットが続いた。グルナードを発ったのは第一中隊――即ちリュヌ達自身が最初だとばかり思っていたが、先発隊がいたのだろうか。

「それはこちらが聞きたい。皇国兵のようだが、なぜ本隊から離れてここにいる?」

「えっと……」

 どうも、この人は苦手だ。

 味方のはずなのに尋問されているような気分になり、リュヌは適切な言葉を探して口ごもる。どこから話せばよいものかと考えていると、ベルナールが先に口を開いた。

「山越えの途中で、本隊とはぐれたんです。山頂近くで、ヒクイドリに襲われて……滑り落ちた斜面の先が西側に通じていたので、そこから森を抜けて来ました」

「ふん、それで本隊を追い抜いたのか。悪運の強い奴らだな」

 追い抜いた、ということは、セレスタン達はまだこの到着していないのだろう。それきり黙り込んだエルネストを前に、リュヌは落ち着かない気分で両手を組み合わせる。隊からはぐれたのは不可抗力であるし、何を咎められるということもないだろうが――。

「あら、リュヌ!」

 黙考するエルネストの眉が、ぴくりと動いた。そうやって名を呼ぶ女の声に、心当たりは一つしかない。

 コレット達がきょとんとして見詰める中で顔を上げ、リュヌは石段の上に手を振る少女を見つけた。その姿は、皇女ベアトリスに相違なかった。

「姫様」

「……え?」

 なんで、という顔で、コレットは幼馴染の顔を覗き込む。続いてフォルテュナも、訝るように首を捻った。

「なんで姫様がお前の名前なんか知ってんだよ」

「えっと、……それはまあ、色々あって……」

 そういえば伝えるタイミングがなくて言いそびれていた――グルナードで交わしたベアトリスとの会話を思い出しながら、リュヌは困ったように眉を寄せた。しかしそうこう思案する間に、ベアトリスは石段を軽やかに駆け下りて、困惑する少年の手を取った。

「無事で何よりですわ。道中、怪我などはありませんでしたこと?」

「え、ええまあ、なんとか」

 厳密には、ベルナールに治してもらっただけでそこそこの大怪我をしているのだが、話がややこしくなりそうなので黙っておく。そう、とベアトリスは嬉しそうに微笑み、そして続けた。

「ねえ、ところでセレスはどこ? あなた達がいらしたということは、セレスももう着いているのでしょ?」

「え、え、ええと――」

 輝く瞳に気圧されていると、ごほんとわざとらしい咳払いが聴こえた。姫様、と呼ぶエルネストの声には、隠しきれない苛立ちが混じっている。

「私は彼らと少し話があります。お部屋へ戻っていて頂けませんか?」

「あら、わたくしだってリュヌ達とお話したくてよ?」

「…………」

 じろりと睨みつける瞳に、これ以上は無理と悟ったのだろう。ベアトリスは唇を尖らせながら、仕方ないですわねとぼやいた。

「それではリュヌ、ごきげんよう。後でゆっくり話がしたいわ――ああ、もちろん、お友達もご一緒にね!」

 くるりとブーツの踵を返すと、ベアトリスは再び石段を駆け登り、護衛らしい兵士達を伴って建物の中へと消えて行った。喉元過ぎれば、という声もあろうが、いつまでも落ち込んで思い詰めていられるよりはマシかもしれない。

「お前達、所属は?」

 苛々とした様子で眉間の皺を揉み解しながら、エルネストが言った。

「槍兵隊です。俺はフォルテュナ」

「ベルナール、弓兵隊です」

「白兵隊のリュヌです。こっちはコレット」

 それぞれに名乗るフォルテュナ達に続いて、リュヌも答えた。エルネストはしばらくの間じろじろと四人の顔を見比べていたが、やがて何らかの結論に達したのか、分かった、と口にした。

「ついて来い。話がある」

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