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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
第七章 遥かなるブリュンヌ
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第三節 理由

 暗闇の中、意識はゆっくりと浮き沈みを繰り返していた。

 痛みはない。寧ろ、清らかな水の流れに身を任せているような心地よさがあった。やがて深淵に淀んでいたそれは、青い光の中に引き上げられていく。そして伸ばした腕の先が、水面に踊る光に触れた――瞬間。

「……!」

 覚醒は、正に一瞬だった。最初に目に入ったのは、見慣れて久しい青色の瞳だ。

「ベル?」

 爆ぜる炎の赤に照らされた髪はいくらか紫を帯びて見えたが、それは間違いなくベルナールだった。

 山の稜線から望む景色と、巨鳥の翼。最後に見た景色と記憶がうまくつながらずに、リュヌは何度か瞬きする。

 日は既に、とっぷりと暮れていた。森らしい暗がりに横たわった胸に添えられた掌は、癒しの光を纏っている。

「僕、どうなって……あいたっ」

「動かないで。骨が、折れてるんだから」

 声を殺したベルナールの額には、珠のような汗が滲んでいた。彼は優れた癒し手に違いないが、重傷の治療はそれなりに術者への負担も大きいのだろう。

 申し訳ない気持ちになりながら眼だけを左右に巡らせると、覗き込むフォルテュナと、コレットの顔がそこにあった。

「……何やってるんだよ、みんなして」

 助けるために無茶をしたのに、これではまるで意味がない。むすりと唇を引き結んで、リュヌは二人から顔を背けた。

「何よ! せっかく助けに来てあげたのにその態度……」

「しっ! 大声出すなよ、また変なのが寄ってきたらどうすんだ」

 慌てて窘めるフォルテュナに、コレットは何やらもにょもにょ言っていたが、程なくして口を噤んだ。やれやれと仰々しく溜息をついて、フォルテュナは続ける。

「大体お前もお前なんだからな。何の計算もなしに飛び込みやがって、俺達がいなきゃ普通に二人とも見捨てられて終わってたとこだ」

 もっともな話だ。たかが二人、それも末端の兵士が滑落したからといって、隊全体がその場で足踏みをするわけには行かない。だからこそ自分だけで済むのならと、あの時咄嗟にそう思ったのだが――。

「なに他人事みたいに聞いてんだよ。言っとくけど、俺はお前に一番怒ってんだぞ!」

 憤りを露わに、フォルテュナは語気を強めた。再びぱちりと琥珀の双眸を瞬かせ、リュヌは尋ねる。

「なんで?」

「なん…………お前なぁ」

 呆れたような口調には、わずかだが困惑が混じっていた。そんなにおかしなことをしただろうかと、リュヌは記憶を手繰り寄せる。

 自分の行動は、決して間違いではなかったはずだ。あのまま後手の対応を続けていれば、より多くの兵士達が怪鳥によって谷底へ突き落されていたのは間違いない。誰が犠牲になるべきかという議論はさておき、誰かがああしなければならなかったのだ。

「なんでって、こっちが聞きたいくらいだっつの。なんなんだよ、あの判断の速さは」

 一瞬でも動きを止めれば、あの鳥を射落とせる。その判断に至った者は、何もリュヌだけではないだろう。だがどうやって止めるかということを、即座に考えて実践できるかと言えば話は別だ。

 指示を仰ぐでもなく、それが最善と判断した時点で、リュヌは動いた。問題はなぜ、動けてしまったのかだ。

「お前、自分は死んでも仕方がないくらいに思ってるだろ?」

 そうでなければあんな風に動けるはずがないと、フォルテュナは言った。その声は今までになく厳しい響きを帯びて、リュヌはじっと押し黙る。

 言われてみれば、そうかもしれない。勿論、積極的に死にに行きたいとは言わないけれど、他に道がないのならと考えてしまうことは確かにある。

 難民でいることと、志願兵になること。

 殺されることと、殺すこと。

 思えばソレイユを目の前で失ったあの日から、ずっと何かを秤に掛け続けてきたような気がする。

「色々あったのかもしんねーけどさ……自分の命を、簡単に諦めんなよ。命懸けで守ったからって、感謝されるとは限んないんだぜ」

 溜息まじりに言って、フォルテュナは視線を横に流した。反射的にそれを追いかけると、焚火の灯に照らされて、コレットの頬に涙の痕が見えた。彼女を一人にしてはいけないと気負っていたことを今更に思い出して、いたたまれない気持ちになる。

「……わかったよ」

 もうしない、と口にした瞬間、投げ出した四肢から力が抜けるのを感じた。施術もちょうど一段落したようで、胸に置かれたベルナールの手がするりと離れていく。

「迷惑掛けて、ごめんね」

「……ううん」

 詫びるリュヌの傍らで、ベルナールは緩く首を振った。

「こうするって決めたのは、僕だから」

 フォルテュナが滑落した二人を追おうとした時、ベルナールは止めようしたのだ。けれどフォルテュナは諦めなかった。

 急斜面ではあるが、断崖ではない。怪我で済んでいれば、助けられるかもしれない――そう言われては、ついて行くしかなかった。誰かが怪我をしているとして、治せるのは自分しかいないのだから。

「あーあ、後でめちゃくちゃ怒られんだろーな、俺達」

「ちゃんと合流できればの話だけどね……」

 フォルテュナのぼやきに釘を刺し、もう動いていいよとベルナールは言った。恐る恐る、リュヌは体を起こしてみたが、特に不具合は感じなかった。

 ほっとした様子で口元を緩め、コレットは木の葉の天蓋を見上げた。

「でもあの鳥、どうしてあたし達を襲って来たんだろ」

「多分、だけど……」

 少し考え込む仕種で、ベルナールが答えた。

「斜面の途中に、巣があったから。卵を、守りたかったのかも……」

 伏しがちにした瞳に、憂いが滲む。親鳥を失えばその卵も、孵ることはないだろう。

「戦いたくて戦ってる奴なんて、どこにもいないのかもしんねえな」

 ぽつりと零したフォルテュナの言葉は、どこか寂しげに響いた。

 スプリングはなぜ、戦争を仕掛けてきたのだろう。

 この期に及んで今、初めてその理由を知りたいと思った。

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