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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
第六章 敗走、そして
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第三節 痛み

 グルナード城塞の最上階に位置する軍議の間は、重苦しい沈黙の中にあった。

 ミュスカデル陥落、そして敗走。その混乱がようやく一段落し、被害の全容が明らかになってくる中、開かれた軍議は各部隊長が副官クラスまで一堂に会するものであったが、誰もが口を噤んだまま、言葉を発することができずにいた。さりとてこうして向かい合っているだけで何かが生まれるわけもなく、セレスタンは重い口を開く。

「まずは、皆が今日ここに集まってくれたことに感謝したい」

 俯きがちに黙りこくっていた幹部達が、一斉に顔を上げてセレスタンを見た。アリスティド、ラシェル、エドワールを始めとする皇国軍幹部達は、多少時間差はあったもののほぼ全員が無事にグルナードへ到達していた。これは、弓兵頭領としてミュスカデルの城壁で指揮を執っていたラシェルを除けば、部隊長の多くはあの攻撃の際、城壁の外へ出ていたことが大きい。

 しかし、と続けて、セレスタンは青い瞳を曇らせた。

「私達は余りにも多くのものを失ってしまった」

 ミュスカデルの現状がどうなっているのかは、今の所不明だ。逃げ遅れた市民達の安否が気遣われる所だが、一方で確かな事実として、皇王ファブリスは敵の手に掛かり還らぬ人となった。これはイヴェールという国家そのものの存在を揺るがす事態である。

 ある者は目を瞑り、ある者は祈るように両手を組んだ。辛いだろうけれど、と言い置いて、セレスタンは更に続ける。

「この先どう動き、何を果たすべきなのか。私達は、それを考えなければならない」

「……何をすべきか、か」

 苦い表情で、エドワールが呟く。するとアリスティドが語気を強めた。

「何をすべきかは知れている。ミュスカデルを取り戻し、ノルテ大陸からスプリングを駆逐せねば――」

「そんな大目標は分かってるのよ。そのためにどう動くかって話でしょ?」

 落ち着きなさいよと窘めて、ラシェルが言った。

「いきなり攻め返すのは現実的じゃない。でも、かといってここは徹底抗戦には向いてないわね」

「ええ……仰る通りです」

 フレデリックが、沈痛な面持ちで応じた。

「グルナードは本来、西方から攻め込んで来る敵からミュスカデルを守るための砦です。ミュスカデル側から攻撃を受けることを想定していませんから、現状では攻められれば耐え切れません。それに、またあの魔法を使われたら……」

「……同じことの繰り返しか」

 苦々しげに口にして、アリスティドが言った。攻め返すだけの余力はなく、かといって篭城には不向きな城塞はその上に手狭で、敗走した兵士達をまともな寝床で休ませることもままならないのだ。

 険しい表情で腕を組み、エドワールが尋ねた。

「スプリング軍はすぐに動くと思うか?」

「ミュスカデルを掌握した今、すぐにということはないでしょう。当面の目標は果たしていますし、何より当分の間はあちらも、ミュスカデルの管理に追われるはずです」

 しかしいずれ必ず追ってきますと、フレデリックは続けた。

「我々を生かしておけば、いずれまた衝突することは目に見えていますから」

 真っ当な考えを持った相手なら、弱体化したイヴェール軍を放ってはおくまい。そしてそうなれば、皇国軍は否が応にも戦場へ引きずり出される――ならばいつ、どこで?

 行き着くべくして行き着いた疑問に、一同の視線が一点に集まる。その中心で、エルネストは淡々と言った。

「……再戦のタイミングについては、少し時間を下さい。検討の上改めて、報告します」

「ああ、分かった」

 申し出に答えて、セレスタンは居並ぶ幹部達に向き直った。

「では、ひとまずこの場は解散とする。なかなか難しいとは思うけど、各自できるだけ身体を休めておいてくれ」

 がたがたと武骨な椅子が音を立て、一人、二人と幹部達が姿を消していく。先に戻っているようにとエルネストが伝えると、フレデリックも資料の束を抱えて出て行った。

「……軍団長」

「うん?」

 がらんとした部屋の中で、エルネストはセレスタンを呼び止める。二人の他には誰もいなくなった部屋の中で、白いマントをふわりと浮かせ、セレスタンは振り返った。

「なんだい?」

「……今回の件、責任は私にあります」

 あくまで沈着に努めながら、青年の口元には隠しきれない苦さが滲んでいた。敵の能力を見誤っていた――あらゆる攻撃手段を考慮に入れておけば、魔法で不意を打たれることもなかったはずだと、声には出さずともその瞳が語っている。

 しかしそんな胸中を見透かしたように、セレスタンは言った。

「よしてくれ。いくら君だって、知らないものの対策は立てられない。それに何度も言うようだけど、あの時ルクシスを使ってしまったのは私なんだよ」

 起きてしまった後でなら、なんとでも言える。今は過去を悔やむより、明日からのことを考えなければならないと、騎士は続けた。

「軍師たる者、いついかなる時も堂々としていなければいけない――君の持論だろう。あんまり弱気なことを言っていると、フレデリックにばらすよ?」

「……それは」

 困りますと、エルネストはこめかみを押えた。くすくすと笑みを零して、セレスタンは言った。

「じゃあ、もうこの話はなしだ。……これからも宜しく、エルネスト」

 首の後ろで結った髪を宙に靡かせて、セレスタンは部屋を出て行った。支える手を失って、扉があるべき位置にゆっくりと戻る。

(軍師たる者、常に堂々とあるべきか)

 閉じた扉の向こう側を見詰めながら、青年は回想する。

(そんなことを、あの方に言っただろうか)

 言ったのかもしれない――かつて一介の文官に過ぎなかった自分と、白兵隊長であった彼との会話の中で、或いはそんな理想論を。

 記憶を辿れば一つ二つと、過ぎし日のミュスカデルが胸に去来する。その連鎖を断ち切って、エルネストは歩き出した。

 打つべき手は、まだここにある。


 ◇


 辿り着いた食堂は、混雑を極めていた。水場を探すのに時間が掛かり、昼食時のもっとも混み合う時間に当たってしまった――というのもあるが、元々第二師団が駐留していた砦に第一師団の大半の人員が押し掛けているのだから、こうなるのは致し方ないことなのかもしれない。

 リュヌ、と名を呼ぶ声に気づいて見回すと、部屋の片隅でコレット達が手を振っていた。

「遅かったじゃない」

「ちょっと中で迷っちゃって……」

 三人が確保してくれた席に腰を下ろして、少年は長めの息を吐いた。夢中で戦い抜いた夜から解放されて、ようやく人心地つけたような気がする。

 与えられた食事は、ミュスカデルの兵舎のそれに比べて格段に質素だった。ろくに物資も持ち出せないまま都落ちしたのだから当然だ。それでも二日ぶりに口にするパンと紅茶は、胃の腑に沁みた。

「なんか大変な目に遭ったんだって?」

「うん、まあ、色々……」

 もそもそとパンを咀嚼し終えてから、リュヌはあの夜の出来事について話した。

 燃えるミュスカデルの中を走り回って、結局敵兵に囲まれたこと。そこをセレスタンに助けてもらい、王族を助けに来たというセレスタンに成り行きで同道するも、皇王を助けることはできなかったということ。そして。

(……ソレイユを斬った奴だった)

 半分ほどになった紅茶のカップの中で、酷く浮かない顔をしている自分に気付く。恐れと怒りとが綯い交ぜになったような、表しがたく、重苦しい気分だ。

 自らも戦場に在りながら、グレンと名乗ったあの男とセレスタンの攻防をただ見ていることしかできなかった。敵の血で汚れたところでこの手は、あの二人に遠く及ばない。

「リュヌ……顔色が……」

 大丈夫? と、ベルナールが心配そうに首を傾げた。

 剣の重さと肉を斬る手応え、血の臭い、揺らめく炎の熱と光。一つ思い出せば次から次へと思い出したくもない感覚が蘇り、知らず知らずに手が震えた。

 二日ぶりの食事と友人達との会話は、忘れかけていた日常の気配を運んでくる。目覚めてもどこか張り詰めていた気持ちが一気に解け、それでようやく自覚した――本当はずっと、怖くて潰れそうだったのだ。

「リュヌ」

「!」

 小刻みに震える指先に、白い手が重なる。激しい動悸に息が詰まりそうになりながら視線を上げると、ベルナールが泣きそうな顔でこちらを見詰めていた。

「君だけじゃ、ないから……我慢しないで」

 握り締める手の温かさに、期せず、涙が零れ落ちた。

 コレットもフォルテュナも、黙ってそれを見詰めていた。彼らだけではない――皇国兵の多くもまた、セレスタンとルクシスの守護の下で安定的な暮らしを享受してきたイヴェールの民だ。兵士として訓練を積んでいるとはいえ、あのような修羅場を何度も潜り抜けてきた者は多くない。

 嗚咽が溢れそうになって、空いた片手で口を押さえ、こくこくと何度も頷いた。自然に涙が止まるまで、三人は黙って傍にいてくれた。それが今は何より頼もしく、ありがたかった。

「……もう、大丈夫」

 ごめんと口にすると、ベルナールが緩く首を横に振った。

 戦いに心を痛めているのは、皆同じだ。ただ二日遅れて目覚めた分、リュヌの心の回復が追いついていないだけだ。

 恐れも、痛みも、あの夜に置いていく。手の甲で無造作に涙を拭って、残った紅茶を飲み干した。

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