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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
第六章 敗走、そして
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第二節 虜囚の街で

 狂騒の夜から数日を経たミュスカデル市街は、不気味な静寂に包まれていた。

 あの夜、巨大な炎は都市全体を呑み込んだかのように見えたが、城壁と王城の損壊を除けば、市街地への被害はほとんどと言っていいほど見られない。

 スプリング王国軍は逃げ遅れた――或いは自ら、残ることを選んだ者もあったかもしれないが――ミュスカデルの市民達を広場に集め、総司令官ユーイン=ステュアートによる演説を行った。それは本日を以てこのミュスカデルと以東の地域をスプリング王国の支配下に置くと言う宣言であり、またそれに従う者には、スプリングの市民権を与え、安全を保障するという通告であった。

 思いも寄らぬ敗北と皇国軍への失望に打ちひしがれた市民達は、この演説に大いに動揺し、火の消えたような街は重苦しい空気に包まれている。

「お疲れ様でした、ユーイン殿」

 城門の袂、演説を終えて戻ったユーインを出迎えて、ルネは一礼した。身に纏ったフード付きのローブは、士官候補生として数年を学び過ごしたこの街で、知り合いに顔を見られるのを避けるためのものだ。

 すると肩の荷が下りたというように、総司令官は長い息を吐く。

「慣れないことをするものではないな。あれでよかったのか?」

「ええ、十分です」

 ミュスカデル市民の反応は、想定の範囲内だ。寧ろ思ったより好感触と言ってもいい。というのも、ミュスカデル侵攻に当たっては民家や無抵抗の市民に決して危害を加えないよう、ユーインが全軍に厳命したからである。

 騒乱の中にあってそれがどこまで守られていたかは不明だが、結果からすれば命令は一定以上機能していたと見え、武人然としたユーインの誠実な演説と相まって奏功したようだ。

 また市民達の多くは皇王の死を知って嘆き憤っていたが、逆らえばエーレルの村の人々のようになるかもしれないという恐れからか、それを露骨に表に出す者は少なかった。

「他の者はどうした?」

「ビアンカ殿とヘルマン殿は、それぞれ市内の視察に向かわれました。グレン殿には、城壁の外で警戒に当たって頂いています……少々、気が立っておいでのようでしたから」

 付け加えられた言葉に、それでいいとユーインは嘆息した。皇女ベアトリスとセレスタン=ブリュイエールを取り逃したことが余程腹立たしいのか、昨夜も酷く荒れていた――万が一にも市民との間に何かあれば、ミュスカデルと周辺地域の併合に支障を来たしかねない。

「それから、ジェラルド殿ですが……」

「ユーイン様!」

 続く言葉を、少年の声が遮った。噂をすれば影と言おうか、道の向こうから数人の護衛を従え、金髪の少年が駆けてくる。名を、ジェラルド・アルヴィン=ノースクリフ――巨大な火球でミュスカデルの防壁を砕いた少年だった。

「ジェラルド殿。少しお休みになられるのでは?」

「ああ、そのつもりだったけどやめた」

 首を傾げたルネに、ジェラルドは素っ気なく応じた。しかしその言葉を聞き漏らさず、ユーインは怪訝そうに眉を寄せた。

「『最後の火』の反動か? 体調が悪いのなら、無理に起きて来なくても」

「いえ、本当に大丈夫です。それより、お父様がいらっしゃるというのは本当ですか?」

 そう言って、少年はそわそわと辺りを見回した。明るいグリーンの涼やかな目元とすらりと長い手足は少年を大人びて見せていたが、平時、ことユーインの前で見せる表情は年相応に幼い。

 ああ、と答えてユーインは続けた。

「予定では、二日前にはサリエットを発っているはずだ。早ければ明日にも、到着されるだろう」

「そうですか」

 そう言って、ジェラルドは嬉しげに笑った。しかしその右腕には、真新しい包帯が幾重にも重ねて巻かれている。あれほどの規模の魔法だ――術者の身体に掛かる負担も、半端ではない。それが、ユーインにとっては気掛かりだった。

 ジェラルドは貴族の出身だ。それもノースクリフ家と言えば、古王国より三百年をゆうに超える歴史を誇る名門で、当主は代々、スプリング王国で国王の次に強い権限を有する『護国卿』の職を任ぜられる。

 そんな由緒正しい家柄の出でありながら、なぜ彼が軍人としてイヴェール遠征に同行させられたのかといえば、それは恐るべき魔法の才に恵まれ、またその年齢から国内外に存在を知られていない彼が、王国軍の『隠し玉』としてこれ以上ない人材だったからに他ならない。

 彼の父親、即ち現職の護国卿であるノースクリフ公爵は、将官に任用することを条件に嫡子の入隊を認めた。そしてかねてより剣の師として親交のあったユーインの下、少年は遠征隊に加わったのである。

 城門の外が俄かに騒がしくなったのは、その時だった。

「ノースクリフ公のご到着です!」

 高らかに伝える兵士の声は、門内の三人の耳にもはっきりと届いた。お父様、と表情を綻ばせ、ジェラルドが駆け出していく。ルネに同行を促して、ユーインはその後を追った。

「お父様!」

 護衛の兵士に先導され、葦毛の馬が城門を潜り入ってくる。その背中で、初老の貴族が微笑みを浮かべた。薄紫を帯びた灰色の髪に血色の悪い肌の色は、美しい少年とは直接に結びつかないが、それこそがジェラルドの父にしてスプリング王国護国卿、ノースクリフ公爵であった。

「久しいな、ジェラルド。随分と活躍したと聞いているぞ」

「……! は、はい、その……少しはお役に立てたのでないかと」

 飾り気のない賛辞は不意打ちで、少年は頬を赤らめた。その背中に歩み寄り、ユーインは現れた護国卿に敬礼する。

「長旅お疲れ様でした、ノースクリフ公。お早いお着きでしたね」

「それは、ミュスカデルを落としたと聞かされてはな。一刻も早くこの目で確かめたくて、馬を飛ばして来たというわけだ。ジェラルドは役に立ったかね?」

「ええ、これ以上はなく」

 淀みなく答えると、少年の頬が更に赤味を増した。公は満足げに頷いたが、すぐにミュスカデルの街並へと視線を移した。

「まずは市街地の状況を視察する。戻り次第、今後の行軍について打ち合わせるとしよう」

「今後の行軍、ですか?」

 思い掛けない発言に、ユーインは片目を見開いた。ミュスカデルは名実ともに、イヴェール皇国の心臓だ。そこを掌握した今、逃げて行ったイヴェール軍を敢えてこちらから追撃する必要はないと考えていたからだ。

「ステュアート卿、あなたは優秀だが少々甘いな。あちらにはまだ『聖剣』の守護者と、皇女が一人残っているのだろう?」

 皇王亡き今、イヴェールという国を象徴するのはその二人だ。彼らを生かしておいたのでは、イヴェールの息の根は止められない。

「祖国スプリングの繁栄のため、今後ともよろしく頼むぞ、ステュアート卿」

 反論の余地を与えず言い切ると、護国卿は悠然と三人の脇を抜けて行く。その後ろ姿に一抹の違和感を覚えて、ユーインは軍師の少女を見た。

「理屈は分からなくもないが……この状況で、そこまでする必要があるのか?」

「そうですね……ミュスカデル市民も当分は監視と統制が必要ですし、しばらくはここで体制を整える必要があるでしょう。ですがその先のことを論じるならば、是非もなしです」

 イヴェールがこのまま泣き寝入りを決め込むような軟弱な国であったなら、そもそも両国はこんなに長々と争っていないだろう。まして敵の軍師は、彼のエルネスト=シャセリオーだ。

「コワン砦の戦いに始まり、私達は奇襲に奇襲を重ねてミュスカデルを手に入れました。ですが、ここから先はお互いに騙し合いは通用しません。依然として敵軍には聖剣ルクシスがありますし、ジェラルド殿の能力が明らかになった今、その対策も考えて来るでしょう」

 それに力押しの勝負で敵を打ち負かしても、つまらないではないか――?

 最後の本音は胸にしまったまま、ルネは続けた。

「彼らが対策を整え、ミュスカデルを取り戻そうと動き出せばその時は、もう今回のようには行きません。いずれ育つかもしれない反撃の芽は、早めに潰しておくべきでしょう」

「……そうか」

 提言を受け、ユーインは険しい表情で頷いた。

 何か得体のしれないものが、この戦争を取り巻いている――そんな気がした。敵国皇都の占領という輝かしい戦果を得てもなお、漠然とした違和感は消えることなく胸に渦を巻いている。

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