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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
第五章 戦禍
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第二節 皇都炎上

 赤い屋根の街並みは今や、なお赤い炎の中に沈んでいる。

 城門外に展開したイヴェール皇国軍は敵の攻撃に頭を飛び越えられた形となり、急ぎ引き返した時にはもう、市街地の状況は混迷を極めていた。

「……私のせいだ」

 駆け付けた城門で呆然と惨状を見詰め、セレスタンは奥歯を噛み締めた。あの時、早まってルクシスを使わなければ、ここまでの被害は防げたかもしれない――。

「いいえ」

 軽やかに蹄を響かせて、栗毛の馬が横につける。その鞍上で、エルネストが言った。

「責任を問われるべきは、この状況を予期できなかった我々の方です」

 パニックを起こした市民達は、その多くが皇都の外への脱出を図り、閉ざされた城門に代わって崩れた城壁へと殺到していた。一方で城壁の穴はスプリング兵の侵入口ともなっており、今のミュスカデルはどこで何が起きても不思議のない状況にある。

 ひらりと白馬の背を降りて、セレスタンは言った。

「エルネスト、アンを頼む」

「軍団長はどちらへ?」

「陛下と姫様をお助けしないと」

 今にも駆け出して行きそうな背中に、なりません、と軍師は言った。

「陛下の所へは既に救助隊を向かわせていますし、市民の避難誘導にも人員を割いています。ですから、今は撤退を」

「だめだ。それはできない」

 言い募る腹心に、セレスタンはいつになく強い口調で言い切った。

 平時、彼は軍策に関して意見を述べることはあっても、エルネストらの決定を強権的に覆すことは絶対にない。それは、彼らの献策が最善であるということを信じているからこそであるが、逆に言えばこの強い抗弁は、問答の余地はないという宣言に等しい。

「聖剣を掲げて、何度敵を追い払おうとも。主君を見捨てて逃げた騎士に、他の誰がついてくる?」

「……おっしゃる通りです」

 苦渋の表情を浮かべて、エルネストは反論を飲み込んだ。言い争っている時間がないというのがまず一つ――もう一つには、セレスタンの言葉もまた真理であるからだ。今や火を見るよりも明らかなこの劣勢にあって、トップの求心力の低下は避けねばならない。

「すぐに追い掛けるから。みんなのことは頼んだよ」

 預かった手綱を握り締め、エルネストは眉を寄せた。戦う力のない己が身が、今ほど呪わしく思われたことはない。

「どうか、ご無事で」

 燃える市街を抜ける背が、見る間に小さくなっていく。軍師として、そして一人の私人として、先のことよりも今はただ、彼の無事を祈るしかなかった。


 ◇


「救援部隊以外の人員は、王城の裏から脱出して下さい! グルナードで合流します!」

 副軍師フレデリックは声を枯らしながら、味方の兵士達の誘導に当たっていた。敵の魔法による被害を最も受けたのは、城壁上に展開していた弓兵達だ。

 転んだ負傷者に手を貸して立たせてやり、安全な道の先へと送り出す。この退路もいつまで保つものか分からないが、敗北が決定的となった今にあっては、一人でも多くの者を生かさねばならない。

 燃える火に煌々と照らされたその足元が、不意に翳る。はっとして振り返るとそこには、剣を掲げた大柄な王国兵の姿がそこにあった。

「うわああっ!」

 白刃が揺らめく炎を照り返し、妖しく光った。斬られる――反射的に頭を抱えて屈み込むと、肉の切れる嫌な音がして、生温かい飛沫が頬に触れた。

 ところが、痛みは感じなかった。

「あ……アリスティド様!?」

 恐る恐る目を開けるとそこには、銀の鎧を血に染めたアリスティドの背があった。敵兵の巨躯を一太刀に斬り捨てて、騎士は安堵の息を吐く。

「無事か、フレデリック」

「は、はい。でも、アリスティド様は」

「大丈夫だ。俺の血じゃない」

 それよりも、と、アリスティドは眉を吊り上げた。

「避難誘導は俺達がする。お前は早くグルナードをめざせ」

「ですが……」

「口答えするな。お前達の代わりは、他の誰にも務まらんのだぞ!」

 手勢の一人にフレデリックの護衛を言いつけて無理矢理その場から引き離すと、アリスティドは長剣を構えた。

 敵兵と見てここぞとばかり斬り掛かってくる王国軍の勢いを逆に利用して、流水の如くに斬り捨てていく。そして辺り一帯の敵を片付けてようやく、路地の暗がりから見詰める姿に目を留めた。

「リュヌ、コレット、何をしてる!」

 早く逃げろと促され、答える声が重なる。リュヌとコレットは弾かれたように、路地の隙間から飛び出した。

 巨大な火球がミュスカデルを襲った後、何が起きたのかは把握しきれていない。

 始めは街を逃げ出す市民の手助けをしていたが、そんな余裕は程なくしてなくなった。炎に巻かれて道を見失う内に街は侵入者達で溢れ、いつしか身動きが取れなくなっていたのだ。懸命に足を運びながら、コレットが半ば叫ぶように言った。

「王城の裏から逃げろって言ってたわよね!?」

「うん、王城の裏って……!!」

 ぎょっとして足を止めたのは同時だった。いたぞ、と誰かの叫ぶ声がして、金属質な足音が近づいて来る――後ろだ。

 咄嗟にコレットを前に押し出し、剣を抜きながら反転した。シャラリと軽やかな鞘走りと共に、抜き放たれた剣はそのまま、敵の刃にぶつかって火花を散らす。

 初めての実戦などということを意識する間もなかった。繰り出される突きの一つ一つを、無我夢中に弾き返す。しかし無理な姿勢からの切り返しは長続きせず、後退を続ける内にずるりと足が滑った。

(しまった……!)

 研ぎ澄まされた切っ先が、妙にゆっくりと迫ってくる。これは訓練ではない――倒れれば、殺られる。しかしその前に体勢を立て直す方法を、少年は知らなかった。

 もうダメだと目を瞑った瞬間、ぎゃっと短い悲鳴が聞こえた。地面に背中を打ち付けると同時に生温かいものが横腹に染み、次いで重たいものが落ちてくる。

 剣が石畳を滑るような、掠れた音がした。目を開ければ敵の兵士が、腹の上にもたれるように絶命していた。そして見上げればそこには、血塗れの剣を握ったコレットの姿があった。

「コレット」

 群青の瞳からぽろりと、玻璃玉のような涙が零れ落ちた。それは堰を切ったように溢れ出して、震える手をぱたぱたと濡らして行く。

「あ……あたし――あたし」

 人を殺した。

 望んだか望まなかったかは、関係ない。

 この手で、人を殺したのだ。

「リュヌ」

「っ、いいから、早く逃げて!」

 腹の上の死体を払いのけ、リュヌは素早く起き上がった。この状態ではもう、コレットはまともに戦えないだろう。ここにいればお互いに危険が増すだけだ。

「行って! すぐに追いかけるから!」

 また別の足音が近づいて来る。それも今度は複数人だ。一刻の猶予もなく、突き飛ばすようにコレットを道の向こうへ追いやって、リュヌは剣を握り直す。

 今度ドジを踏めば、次はない――血と泥に汚れた頬を、冷たい汗が伝って行く。

 建物の角を曲がって、王国兵が姿を現した。二人――否、三人はいる。普通に相手取れば、囲まれて終わりだ。

(それなら……!)

 壁を背に、足を前後に開いて立ち、剣を構える。これで背後を取られることはないが、同時に逃げ場を失った。この場を逃れるにはなんとしても、目の前の敵を倒し切らねばならない。

「……来い!」

 琥珀の瞳を細め、精一杯敵を睨み据える。こんなところで、死ぬわけには行かない――コレットを残して行くことはできないし、何より自分が死んでしまったら、誰がソレイユを覚えておいてやれるのだ。

 先刻、目の当たりにしたアリスティドの剣捌きをイメージして、刃を水平に倒した。突っ込んで来る一人を鎧の上下で斬り開き、次いで二人目を左肩から渾身の力で斬り下げる。そして一歩前へ踏み込むと、相手の喉を目掛けて思い切り剣を突き出した。

 それは言わば背水の陣。鬼気迫る剣撃に、押し負けたのは相手の方だった。

 三人目がかはりと血を噴きこぼし、誰かの名を呼んで崩れた。それは呪いだ――記憶に残せば、永遠に縛られる。

 頭を振って敵の最期の言葉を払い除け、リュヌは周囲を窺った。三人を下して尚、状況は好転していない。それよりも寧ろ、だ。

「これはちょっと、マズイ……かな……」

 肩で息を切りながら一人ごちる。王城の裏手に回れとフレデリックは言っていたが、少々時間を掛け過ぎたらしい。

 王城は目と鼻の先だ。しかしそこへ至る道の左右からは、スプリングの国章を身に付けた兵士達が集まって来る。裏を返せば他の仲間達は、逃げ延びたということだろうか――だったらいいなと、他人事のように思った。

 ここまでかと剣を下げたその時、声が響いた。

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