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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
第四章 ミュスカデル防衛戦
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第一節 最後の火

 ミュスカデル東の平野に再びその姿を現した王国軍は、凡そ三千――数だけで言えば、本拠に一万五千を超える兵力を有する皇国軍第一師団の敵ではない。

 伏兵によるミュスカデル襲撃を懸念したエルネストらは、部隊を二つに分け、皇都防衛に兵力の大半を割く一方、東の平野に複数の部隊を向かわせることを提案し、幹部達はこれを了承した。

 沈みかけた太陽が紫紺の空の端に不気味な紅を飾る中、エドワールの先導する騎馬槍兵は街道に沿って平野を急進し、その左右を同じく騎馬兵の中隊が固めて追従する。

 数の上では劣るべくもない相手だけに、上はこれを警戒し、十分な数の兵を攻撃部隊に配した。これまでの経緯を鑑みるに、それが陽動であれ罠であれ単純な作戦とは考え難い。しかしながら敵が何を隠しているのか、その手の内は杳として知れなかった。

「見えたな」

 道の先を睨み据え、エドワールは顔をしかめた。

「あれは……?」

 街道を跨いで横陣を展開する王国軍――その中心で兵を従えるのは、小柄な金髪の武将だった。真紅のマントを風に靡かせたその容貌は幼く、若いと言うよりも少年と言っていいほどの年齢に見える。

「子供か?」

「そのようだな……」

 並走する馬の背で、マルセルが訝り、バティスタが頷いた。線の細いシルエットは凡そ歴戦の勇士とも見えず、兵士達は首を捻る。

(やはり、囮か……?)

 それとも何か、隠しているのか。上官の背を追いながら、バティスタは思考する。目前に迫る少年将の存在は現状に対して余りにもちぐはぐで、それ故に嫌な予感がする。

 そして、予感は見事に的中した。

「――来たれ、最後の炎」

 目を閉じ、何事か唱えた言葉の最後だけが、妙にはっきりと届いた。掲げた少年の左手が、明々と輝き炎を帯び始める。

「!? 魔法兵か!」

 散開せよと、エドワールが叫んだ。しかし少年の手に宿った炎は瞬く間に火勢を増し、個人の操る魔法としては考えられないほどの規模に膨れ上がっていく。それをこの距離で撃たれては、どう足掻いた所で逃れる術はなかった。

 呆気ないものだ。

 気怠い諦観の中で、バティスタは手綱を握る手を首飾りの銀環に寄せる。贈り主の顔が脳裏に過り、ちくりと胸が痛んだ。

(悪いな)

 帰れそうにない、と、心密かに詫びた。その間にも、炎はますます膨張していく。そして、

「焼き尽くせ!」

 渦巻く火球が少年の手を離れた。その場の誰もが、終わりを覚悟しただろう――ところがその瞬間が訪れることは、なかった。

「何……!?」

 誰かが、或いは誰もが、愕然として口にした。強烈、かつ強大な熱の塊は、風を巻き起こしながら皇国軍の頭上を飛び越えたのだ。

 何が起きたのか分からぬまま、火球の行方を反射的に追い掛ける。そして彼らは、目撃した――巨大な炎は道の半ばで幾つもの筋に分かれながら、皇都に火の雨を降らせたのである。

「……!」

 弾ける光と炎に照らされて、ミュスカデルとその一帯が一瞬、昼間のように明るくなる。遠雷の如き音と共に白亜の王城が炎に包まれ、城壁の内外で火の手が上がった。それは実に、一瞬の出来事であった。

「……馬鹿な」

 全く馬鹿げていると、バティスタは歯噛みした。

 こんな魔法があり得るのか――これではそれこそ、ルクシスの力でもなければ防ぎようがない。だからこそ敵は、両軍に敢えて連戦を強いたのだろう。

「撤退だ! 急げ!」

 幼さを多分に残す声に急き立てられ、敵の軍勢が後退して行く。数千人の兵士達の実態は攻め手ですらなく、あの少年の護衛に過ぎない。敵は最初から、彼一人をミュスカデルに手の届く場所へ送り込めればよかったのだ。

 くそ、と吐き捨てて、マルセルは手綱を引いた。

「あのガキ……!」

「! よせ、追うな!」

 あの少年がスプリングの切り札であることは明らかだ。その安全を確保するために、敵はあらゆる手を打っているだろう。しかし激昂したその耳に、エドワールの制止は届かない。マルセルを筆頭に十数人の槍兵達が、敵将の背を追って駆けて行く。

「連れ戻します」

 簡潔に言い置いて、バティスタは馬の進路を変えた。とはいえ戦場の時間は一秒を争い、前を行く騎兵達の勢いも相まってその差は簡単には縮まらない。

 いつしか平原は低木の茂みを経て、疎らな林へと姿を変えていた。あと少しで敵に届くと見るや、馬を駆るイヴェール兵達が一際強い殺気を放つ。

 藪の中で何かが光ったのは、その時だった。

「マルセル!」

 左だと、バティスタは声を張り上げた。しかし警告は無情にも、風の唸りに掻き消される。正面の敵を追い上げることだけに必死のイヴェール兵達が横槍を防ぐことは不可能であり、咄嗟に右手へ集めた魔力も、この距離では届かない。

 交錯する凄絶な怒号と悲鳴を前に一人、できることは何もなかった。喧騒に驚いて若い敵将が振り返ると、その背を庇うように一騎の騎兵が躍り出る。

 空はいつしか、西の果てに残照を残すのみ。暗がりに沈む世界の中にあって、男の赤毛はよく目立った。

「ユーイン様!? どうしてここに……」

「殿は我々が務める。お前は先に行け」

 追撃のイヴェール兵達は、敵の伏兵の前に無力だった。落馬した者は林に潜んだ敵の歩兵の餌食となり、辛くも馬上に留まった者も、敵の騎兵に敗れるか、馬を失って同じ道を辿った。役目を果たしたスプリング兵が悠然と道の果てへと消えていく中、最後に残った将の背で、一人分の影が立ち上がる。

「っ……待て……!」

「……まだ動けるのか」

 腹に風穴を開けられながら、マルセルは槍に縋って立ち上がった。しかしだらりと下がった右腕はもう、槍を握るには能わない。その姿を一瞥して、男――ユーイン=ステュアートは言った。

「戦えない者を相手取る趣味はない」

 去れ、と短く告げて、男はその場に背を向ける。馬が向きを変え、一歩、踏み出そうとした刹那、甲高い嘶きが闇を裂いた。

「……見くびったか」

 すまなかったな――真摯に詫びて、ユーインは前髪に覗いた右目を伏せた。その手にはいつの間にか、一振りの剣が握られている。突き出した槍は男の左腕ごと、斬り落とされて地に落ちていた。

「撤退だ。ぐずぐずするな」

 足を止めた配下達を急き立てて、敵将は林の中へと消えて行く。その気配が消えてしまうのを確かめて、バティスタは馬を降りた。

「マルセル」

「……バティスタか……」

 見てたんなら助けろよと、男は弱々しく笑った。軽口に眉をひそめてその傍らに跪き、バティスタは首を横に振った。

「俺までここで死ぬわけには行かない」

 言いたいことがあるんじゃないのか――問えば、ああと弱々しい声が震える。

「隊長に謝っといてくれ。……それと」

 動かすのもやっとの右手で、マルセルは軍服の襟元に触れた。代わりに留め具を外してやり、バティスタは服の内側に隠れていたペンダントを取り上げる。

「これか?」

「ああ。もし……あいつが、無事だったら」

 渡してやってくれと、男は言った。そしてそれが、最後だった。

 生存者は他になく、難を逃れた馬達も逃げて見えなくなっていた。預かったペンダントを首に重ねて、バティスタは馬の背に登る。そして振り返ることはなく、告げた。

「世話になったな」

 もう動くことのない友に背を向けて、緩やかに加速する。死に行く者の言葉を伝えるのは、生者の役目だ。


 ◇


 王城の高みに掛かる満月は、燃え盛る炎の熱に歪んでいた。

 平野を横切ってミュスカデルを直撃した火球は、街に火の雨を降らせると共に爆発的な威力で城壁と王城の一部を破壊した。

 本来は堅固な都市の守りも、こうなってしまっては意味を成さない。ぽっかりと穴の開いた皇都の城壁を間近に眺め、王国軍第二将軍、グレン=バーンハードは嘲るような笑みを浮かべる。

「これが『皇都』ミュスカデルか……ノースクリフ家の御曹司が、生意気な真似を」

 だが、これで少しは美しくなった。

 瞳に燃える炎は、破壊と征服の衝動そのものだ。整然と居並ぶ兵士達に向け、男は餓狼の如く言い放った。

「進撃だ――手向かう者は殺せ! それが兵士であれ、市民であれな!」

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