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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
第四章 ミュスカデル防衛戦
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第五節 不穏

「しかし、拍子抜けだよなあ」

 槍の穂先を磨きながら、フォルテュナが言った。スプリング軍は聖剣ルクシスの前に成す術もなく撤退した――公的にはまだ警戒態勢を維持しているものの、兵舎の中には総じて楽観的な空気が漂っている。

 とはいえ流石に部屋に戻る気にもなれず、リュヌとコレット、フォルテュナ、ベルナールの四人は、ヒナギクの咲く中庭で次の指令を待っていた。

「セレス様の剣を抜きにしたって、あんな火矢程度でミュスカデルを落とせると思ってたのか?」

「どうだろう……よく分からない、けど」

 フォルテュナの隣に脚を崩して、ベルナールが応じた。

「ルクシスの力が、想定以上だったってことなのかな」

「でも、それじゃあんまりお粗末だろ」

 仮にも第三師団を滅ぼしてイヴェールに乗り込んできたというのに――そう言われればそうだなと、リュヌは首を傾げる。そして、あることに気付いた。

「どうしたの? コレット」

「……………」

 いつも口やかましいコレットが、兵舎へ戻ってからこちら、じっと口を噤んでいた。ねえ、ともう一度促すと、我に返ったように少女は言った。

「あんなだったかな、って思ったの」

「何が?」

「エーレルが襲われた時はあたし、納屋の中にいたから、あの人達がどうやって村に火を付けたのか分からないんだけど……もっとこう突然っていうか、どっちかっていうと――」

 続く言葉を最後まで聞くことはできなかった。

 硬質な足音と共に、難しい顔をして歩いてくるアリスティドの姿が目に入ったからだ。

「アリス様?」

 自然にその場に立ち上がり、リュヌは上官の前で姿勢を正した。

「どうかなさったんですか」

「ああ、緊急指令だ。正規兵は至急城門へ向かってくれ」

「えっ?」

 思わず、眉間に皺が寄るのを感じた。中庭に居合わせた他の兵達も皆、耳をそば立てていた。急げと彼らに指示をして、アリスティドはリュヌとコレットへ向き直る。

「正式に試験もできないままですまないが、お前達には市中の警備を手伝ってもらいたい。できるか?」

「え、はい、もちろん」

 できますけどと、二人は顔を見合わせた。具体的には分からないが、何かよくないことが起きようとしているのは確かだった。

「シュゾンに言って、新しい剣を出してもらってくれ。フォルテュナ、ベルナール、お前達は外だ。詳しいことはそちらで説明がある」

「はい!」

「……分かりました……」

 フォルテュナが応え、ベルナールが続いた。気を付けて、と交わして、走って行く友の背を見送る。戦いを終えたはずのミュスカデルで何が起きようとしているのか、今のリュヌ達には知る由もなかった。


 ◇


「とうとうあたし達も本物の剣を持つのね……」

 緊張するなぁと、コレットが零した。

 これで緊張しているようでは実戦など無理もいいところだが、リュヌ自身、全く緊張していないと言えば嘘になる。調練で模擬戦を行う時も、リュヌ達に与えられていたのは刃のない剣だった。

 慌ただしくすれ違う人々の表情は、一様に硬い。通路の角を折れた所で、コレットが知った顔を見つけた。

「あっ、ジルさん」

 ちょうど倉庫の前辺りで、三人の兵士が立ち話をしている。一人はジルだが、後の二人は知らない顔だ。うち一人は、どうやらイヴェール人ではないように見える。

 声を掛けると、三人が共にこちらを振り返った。

「おうリュヌ、コレット。なんか大変なことになっちまったなぁ」

 軽口を叩ける状況にないのか、ジルは困惑を露わに金髪を掻いた。それがまた不安を煽り、リュヌは尋ねる。

「一体何がどうなってるんですか?」

「さあな、俺らにゃさっぱりだ。聞いた所じゃ、撤退したはずのスプリング軍がまた前進し始めたって話だが……」

 二人の兵士のうち、イヴェール人の方が答えた。歳はジルともう一人より少し上だろうか。槍を持ち、飄々としていかにも戦い慣れしていそうな風体だが、どことなく愛嬌のある男だ。

「お、紹介しとくな。うちの班長のマルセル。こっちは同じ九班のバティスタってんだ」

「知り合いか?」

 バティスタと呼ばれた青年が、こちらはお世辞にも愛想がいいとは言いがたい口振りで訊いた。聞き慣れない言葉の響きと褐色の肌、異国風の戦装束と無骨な長柄の斧は、一見して彼がこの国の出身ではないことを教えてくれる。

「志願兵のリュヌとコレット。俺が育てたんだぜー」

 そう言って、ジルは誇らしげに胸を張った。その様子に少しだけ安堵したリュヌであったが、反して状況は憂うべきものだ――大打撃を受けて一度は退却した軍が間をおかずに再び攻め込んでくるというのは、尋常ではない。

「次は外で迎え撃つんだって?」

「ああ、俺とバティスタは前線に出る」

 マルセルの言葉にはっとして、ジルは小さく、そっか、と応じた。

 前線での任務は、必然的に危険を伴う。しかし年かさの槍兵は、心配してくれるなと笑った。

「前進してるって言っても、数自体は大したことないらしいしな。今は軍団長もルクシスが使えないから、万一にも皇都に敵を近づけないように外で迎え撃とうってだけの話だ。さっと終わらせて戻ってくるさ」

 じゃあなとマルセルが踵を返し、バティスタが無言で追従した。二人の姿が見えなくなるのを待って、ジルは小さく吐息する。

「ばーか。そんな単純な話じゃねえだろうがよ」

 何の策もなしに引き返してくるような相手ではない。そんなことはお互いに、分かり切っているだろうに。

「ジルさん、あの……班、って?」

 コレットがおずおずと尋ねた。

「ん? ああ、まあ、読んで字の如くだよ。会戦じゃ普通、兵科ごとに配置されっけど、少人数で動かなきゃならねえ時もあるだろ」

 通常、四~五人の兵士で構成される部隊の最小単位――それがイヴェール皇国軍における『班』だ。中でもジル達は三人一組と少数だが、欠員や統合などによって人員が増減することそれ自体は珍しくもない。

「んじゃ、俺も行ってくるわ。お前らも気をつけろよ」

 またな、と言い残して、ジルは去って行った。不穏の気配が充満する中、リュヌとコレットは倉庫で支給品の剣を受け取り、腰に帯びた。

 振り返れば血のように赤い斜陽が開け放しの窓を通し、漆喰の廊下に鮮烈な光線を投げかけている。


 ◇


 サリエット西の平野、スプリング王国軍前線基地――。

 茜色に染めた天幕の傍らに立ち、ルネは遥かなる皇都を見詰めていた。今の所、ことは全て予定通りに運んでいる。

「魔法兵団長ビアンカ=ルーン様、ご帰還です!」

 伝令の兵が声高に告げ、継いで馬の蹄の音がキャンプの入り口で停まった。逆光に影となったその姿を認めて、ルネは女将軍の元へ歩み寄る。

「お帰りなさいませ、ビアンカ殿。お怪我はありませんでしたか」

「ええ……ユーイン様も、お変わりありません」

 肯定を返しながらも、女の表情は浮かなかった。戦況についてお聞かせ願いたいのですが、と、努めて淡白にルネが告げると、ビアンカは重苦しく口を開いた。

「前線の部隊は、敵大将と思われる騎士の攻撃で壊滅しました。弓兵は消耗していますが、撤退には成功しています」

「ユーイン殿はご一緒ではないのですか?」

「ミュスカデル近辺にて待機するとのことです。いざという時に、ジェラルドを支援すると」

「…………」

 勝手に動かれると困るのだがと、ルネは柳眉をひそめた。もっとも将に任用されて間もない少年は、その能力こそ『別格』であるが、精神的には未熟な所が多い。今回に限ってはまあいいと、特に言及はせず納得する。

「……彼らを呼び寄せたのには、こんな理由があったのですね」

 続けるビアンカの声音には、咎めるような響きがあった。しかしルネは無表情に頷くだけだ。

「ブリュイエール卿のルクシスは、守りに使えば最強の盾となり、攻撃に使えば最強の矛となります。私達にとっては紛れもない脅威です――が、一度使えばすぐにはまた使用できません。とはいえまともに交戦したのでは、こちらが甚大な被害を受けてしまいます」

 ミュスカデルを安全に攻めるには、まずはルクシスを敢えて使わせることが肝要だった。しかし訓練した兵士達を、むげに敵の的にするわけにはいかない。

 そこでルネは、失っても懐の痛まない捨て駒を用意させたのだ。

「いやはや、なかなかのご趣味ですな」

 粘着質な声が、会話に割り入った。見ればモスグリーンの軍服に身を包んだ小男が、ルネの背後に音もなく立っていた。

「ヘルマン殿ほどではありません」

「ご謙遜を、虫も殺さぬような顔をしてその辣腕、感服いたしました」

 男――ヘルマンは芝居掛かった仕草でゆらりと歩き、そして小さな目でルネを睨めつける。

「罪人を盾に使うとは、考えたものです」

 ミュスカデルの攻略にあたって、ルネはスプリングの全国で幽閉されている罪人――それも悪質な傷害や殺人で刑に服する重罪人ばかりを片っ端から掻き集め、兵士として徴用した。そして、イヴェール軍との会戦において前線に立ち、生きて戻れば特赦を与えることを約束したのである。

 戦の基礎も知識も一切を身につけていない彼らの行動は非常識だが、撹乱にはなる。火矢を使って城下に被害を出そうとすれば、セレスタンはルクシスを使わざるを得ないだろう。そうしてルクシスを撃たせればしめたもの――敵は防御の手段を失い、こちらは国中の『穀潰し』を処分できる上に、練度の高い兵士を失うことはないという寸法だ。

 それでも本音ではやり切れないのか、ビアンカは複雑そうな表情で暮れ行く平原に目を向けた。

「グレン殿とジェラルドは、もう配置につく頃でしょうか」

「ええ、恐らくは」

 さあ――見ていて下さい。

 いつか憧れた後姿を脳裏に想い描き、ルネは白い掌を握り締めた。胸の中で昏い欲望が、青い炎となって燃え上がる。

 彼方に聳えるミュスカデル城は、夕映えの地平に小さな影を象っていた。

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