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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
第三章 エチュード
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第三節 初めての調練

「リュヌ――おい、リュヌ! いつまで寝てんだよ!」

 呆れたような声が頭上から降って来ているのは知っていた。またそんな朝に、既視感も覚えていた。

 しかし頭で分かってはいても、数日ぶりのまともな睡眠はあまりに心地よく、手放しがたい。うんうんと唸っていると突然、刺すような冷気が襲ってきた。

 ひゃあ、と情けない声を上げ、リュヌはその場に跳ね起きた。何が起きたのか解らずに目を瞬かせていると、剥がした毛布を隣のベッドへ放り投げて、フォルテュナが深い溜息をついた。

「ったく先が思いやられるなぁ……ほら、そろそろ起きねーと調練に遅れんぞ!」

「ちょう、れん?」

 秋口とはいえ、朝は冷える。寒さに涙目になっていると、白いものが飛んできた。

「むがっ」

 白くて大きな丸いものを顔面で受け止めて、少年はくぐもった声を漏らす。足の間にずり落ちて来たのは布袋だった。口を開ければ中には、新しい軍服の上下がきちんと畳んで仕舞われている。これはと半ば無意識に尋ねると、寝巻きのまま訓練をする気かと呆れた声が返ってきた。

「師匠が昨夜のうちにアリス様に話をつけといてくれたんだ。そしたら伝言があって、今日の調練から参加するようにってさ。俺はもう行くけど、ちゃんと遅れないように顔出せよ?」

 場所は調練場だからな――そう言い置いて、フォルテュナは足早に部屋を出て行った。ベルナールの姿は既になく、部屋にはリュヌ一人が取り残されていた。

「……起きよ」

 初日から遅刻などしようものなら、やる気がないと見なされても反論の余地がない。仕方なくのそのそと起き出して、紫色のジャケットに着替える。そういえば朝食はどうするのだろうと部屋の中を見回すと、テーブルの上にパンが二つ、かごに入れて置いてあった。もしかしたらフォルテュナ達はとっくに朝食を済ませていて、その間リュヌを寝かせておいてくれたのかもしれない。

 二人の気遣いに感謝しつつ、急いでパンをかじり、食べかけを咥えたまま部屋を出た。外気はやはり冷たく感じたが、秋晴れの気持ちのいい朝だ。

「……あ」

 寮から中庭へ続く扉を開けて、少年ははたと足を止めた。昨夜、寝に帰って来た時は暗くて気がつかなかったが、中庭の中心に花壇が設けられ、白い花が朝風にさわさわと揺れている。その手前に、見覚えのある後ろ姿があった。

「ベル?」

 驚いて声を掛けると、振り返ったベルナールもまた、僅かに瞳を見開いた。しかしすぐに、おはよう、と淡い笑みを浮かべる。男だともう分かっていても、まだ少し心臓に悪い。

「パン、もらっておいたんだけど……分かった?」

「ああ、うん、ありがとう。ちゃんと食べて来たよ」

 それよりここで何を?

 そう尋ねようとして、少年の手に小さな金属のジョウロがあるのに気付いた。多分、花壇に水をやっていたのだろう。

「この花はベルが?」

「うん。……元々何も植わってなかったんだけど」

 一人で種を植えていたら、フォルテュナが見兼ねて手伝ってくれたのだ、と、ベルナールは少しだけ嬉しそうに語った。何の花、と問えば短く、ヒナギクと答えが返る。愛おしむように花の傍らに屈み込んで、ベルナールは続けた。

「この花の、花言葉は……」

 ガラン、ガラン。

 鳴り出した鐘が、続く言葉を掻き消した。いけないと背筋を伸ばして、ベルナールは告げる。

「もう行かなくちゃ。白兵隊の集合場所、分かる?」

「調練場でしょ? 多分、大丈夫」

 ありがとうと再度礼を述べ、リュヌは駆け出した。


 ◇


 演習場に入ってきた新兵は、恐らくリュヌで最後だった。幸いまだ朝礼は始まっていないようで、老若男女入り乱れた志願兵達は、ある者は不安げに、またある者は意気軒高として、彼らの上官になる人物が現れるのを待っていた。

 始まっていないなら慌てて走らなくてもよかったな――そんなことを考えながら、少年は演習場の片隅に腰を下ろす。すると不意に、声が降った。

「遅かったじゃない」

 来ないのかと思ったわ、と、声の主は言った。下ろしたばかりの腰を再び上げたのは、上げざるを得なかったのは、その声の主を知っていたからだ。

「コレット!?」

 両頬の辺りで結った髪を解き、見慣れた紺色のエプロンドレスもかなり活動的な服装に変わっているが、見間違えるはずもない。腰に手を当ててこちらを見据えているのは、紛れもなくコレットだった。

「何してるのさこんな所で!?」

「それはこっちの台詞よ! 志願兵になるんだなんてカッコつけていなくなったクセに。あんたのことだから、どうせまた寝坊したんでしょ!」

 それは同室の二人が寝かせておいてくれたからだと反論しようとして、言い訳にもならないと気付いた。そんなことよりも、何故彼女がここにいるのかの方が重要だ。

 絶句した少年を横目に、コレットはつんと顔を背けた。

「あんたがどうしても入隊するって言うなら、あたしも一緒に行くしかないじゃない。だから昨日の内に志願したの」

「ダメ、絶対。帰って早く」

「どうしてよ!?」

 どうしてと、言わなければならないのか? 少年は眉をひそめる。

 畑仕事をしている分、そんじょそこらのか弱い少女よりは腕っぷしは強いかもしれない。だがそれもあくまで同年代の女子と比べた場合の話であって、彼女に兵士の適正があることにはならない。戦場に出るのは危険だと、死ぬかもしれないと、昨日自分で言っていたではないか。

「とにかく、危ないからダメ!」

「なんであんたに決められなきゃならないのよ!? あんただってあたしの意見なんか聞かなかったじゃない!」

 最初は周囲に気取られないよう抑えていた声が、次第に大きく激しくなる。こうなったらもう、ちょっとやそっとのことでは収拾がつかない。五歳の時にケーキのイチゴで争った時から解っている。

 それとこれとは話が違うでしょ――思わず大声を出したその時、ふと、手元が暗くなった。

「まーまー、そう怒んなよ、かわいー顔が台無しだぜー?」

 いかにも軽薄そうな声の主は二人の肩をそれぞれ掴むと、左右にぐいっと引き離した。何事かと相手の顔を見やると、コレットがはっとして声を上げた。

「ジルさん」

「おっはよ、コレット♪ お、新しい服も似合ってんじゃん!」

 凡そこの場には相応しくない言葉を吐いて、声の主はにかりと笑った。波打つ長い金髪を首の後ろで一つに束ね、垂れ目気味の瞳は見事な碧眼。絵に描いたような美形と幼馴染とを交互に見比べて、リュヌは尋ねる。

「知り合い?」

「うん、昨日城門の所でどうやって志願しようか悩んでたら、アリスティド様に取り次いでくれたの」

 それでと、リュヌは唇を噛んだ。城門の前で別れた後、コレットは自分とは別の

ルートを通じて正式に皇国軍に志願したのだ。こんなことになるのなら、せめてキャンプまで送って行けばよかった――いや送り返した所で彼女の行動力を考えれば、ここで顔を合わせるのは時間の問題だったのかもしれないが。

 昨日はありがとうございました、とコレットが頭を下げると、ジルは陽気に笑って返した。

「いーのいーの、可愛い子が困ってたら助けるのは男の義務なんだから! な、そうだろ美少年」

「え? うぇっ!?」

 突然の、そして予期せぬ事態に、思わず声が上ずった。ジルの手があまりにも自然に、リュヌの手を握ったからだ。

「ちょっ、ちょっと」

「俺はジル。お前は?」

「りゅ……リュヌです」

 よく解らない迫力に気圧されて、リュヌは素直に答えた。そっかと満面の笑みを浮かべ、上機嫌にジルは続けた。

「じゃーリュヌ、困ったことがあったらなんでも相談しろよ! 可愛い子には男も女も関係ねーからな!」

「えっ」

 シュバッ、と手を引っ込めて、リュヌは数歩後ずさった。助けを求めてコレットを見たが、そっと視線を外される。当のジルはといえば冷たいなぁと笑うだけで、全く気にした気配がなかった。

「ジル、その辺にしてくれ」

「お」

 はいはいと軽い返事をして、ジルが身を引いた。見ればその後ろに、銀色の甲冑に身を包んだ騎士が数名の兵士を従え、立っている。その姿を認めるや、コレットが慌てて姿勢を正した。

「お、おはようございます!」

「ああ、いや、畏まらなくていい。今日から宜しくな、コレット」

 はい、と嬉しそうに、コレットは答えた。どうしていいか分らずに固まっていると、甲冑の騎士は少年へと向き直る。ジルとは少しタイプが違うが、青みがかった銀髪にアイスブルーの瞳が目を引く美男子だ。昨夜掴み掛かった時に目にしたセレスタンの顔を思い出して、要職につくには顔も大切なのだろうかと、つまらないことを考えてしまう。

「君がリュヌか?」

 背筋を伸ばして肯定すると、そうかと頷いて騎士は続けた。

「話はエドから聞いている。俺は白兵隊長、アリスティド=ミュッセだ。今日から君の上官になる」

「宜しくお願いします」

 緊張気味に頭を下げるのを片手で制して、アリスティドはジルを含めた数人の部下を連れ、調練場の奥へ歩いていく。無秩序に散らばっていた志願兵達が誰からとなく列を作るのに倣って、リュヌは手近な列の後尾についた。隣ではコレットが同様に、複雑そうな面持ちで列に並んでいる。

「おはよう諸君。今日は初めて参加する者も多いだろうから、改めて我々の方針を確認しておく――第一に覚えておいて貰いたいのは、我々は現在、志願兵を募ってはいるが、誰でもいいわけではないということだ」

 よく通る声に、自然と背筋が伸びた。志願者達の視線を一身に集めながら、アリスティドは続ける。

「君達は志願兵である前に、我が国の国民だ。戦う力のない者が無理を押して戦場へ出、無為に命を落とすことを我々は望まない。訓練の期間は、入隊から数えて二週間――その間、君達には俺達の下で剣を学んでもらうことになるが、期間内に一定の基準に到達できなかった者についてはその時点で除隊となる」

 整列した志願兵の列が、俄かにどよめく。聞いていないと誰かがぼやいたが、リュヌ自身は特に疑問は抱かなかった。戦う力がない者が戦場へ出れば、本人どころか周りの命をも危険に晒すだろうことは素人のリュヌでさえ容易に想像がつく。人命を最優先に考えた結果だというアリスティドの説明は、尤もな話と理解できた。

(でも――)

 横目に隣の少女を盗み見て、リュヌは眉間に皺を寄せた。

(できるわけないだろ。薪割だってろくにしたことないくせに)

 ジルに割り入られてすっかり毒気を抜かれてしまっていたが、コレットとの話はまだ終わっていない。しかしアリスティドの説明を聞いて、心のどこかで安堵している自分がいた。二週間という限られた時間の中で、コレットが『一定の基準』に到達できるとは――もっともそれは、リュヌ自身にしても他人事ではないのではあるが――考え難かったからだ。

 実力が身につかなければ、彼女は一市民としてミュスカデルの市街へ戻される。戦場に出るよりはその方がよほど安全だろう。

「ではこれより、基礎訓練を行う。まずは此方の指示に従って、グループに分かれてくれ」

 アリスティドが目配せすると、彼に従っていた兵士達が動き出した。恐らくは彼らが指南役で、数十人の志願兵を手分けして指導に当たるのだろう。

 長い二週間になりそうだ、と、本能的にそう思った。

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