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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
二章 剣を求めて
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第一節 皇国軍

 皇国軍の兵舎は、城壁内の一角にあった。城の中を通って敷地の西側へ歩き進んでいくと、道は渡り廊下の下を潜り、広々とした砂地に行き着いた。調練場、兼、集会場といった所だろう。

 王城の中に入る日が来るなどとは生まれてこの方想像もしなかったリュヌにとって、司令部までの道中は驚きと発見の連続だった。あんまりきょろきょろするなよと笑うフォルテュナの声にはっとして、少年は顔を赤らめる。

 辿り着いた建物は、同じ敷地の中とはいっても白亜の王城よりはいくらか質素で、華のない作りだった。調練場に並んだ大きな建物の中には食堂や鍛冶場、医務室などが整備されており、恐らくはリュヌ自身よりも年下の少年兵から老兵まで、多くの兵士達が行き来してる。

「あっ、フォルテュナさん、ベルナールさん、お帰りなさい!」

 聞き覚えのある声がして、リュヌははたと足を止めた。見渡すと廊下の先で、赤毛の少女が手を振っている――リディーだ。呼びかけた後でリュヌの存在に気付いたのか、リディーはあらと首を傾げた。

「あなたはさっきの……」

「ああ、入隊希望だって言うから連れてきた。リュヌって言うんだ」

 だよな、と確かめるように振り向いたフォルテュナに頷いて、リュヌは一歩前へ進み出た。宜しくとぎこちなく笑いかけると、少女は愛嬌に満ちた笑顔で応じる。

「私はリディーって言います。さっきは助けて下さってありがとうございました! ああいう人達、時々いるんですけど、本当に困っちゃって……」

「どうせすぐに除隊だろ、あんな奴ら。なぁ、それより師……隊長がどこにいるか知ってっか?」

「エドワール様ですか? 皆さん、今はちょうど軍議の最中だと思いますけど……」

 少し考える素振りを見せて、リディーは答えた。文脈からすると、そのエドワールという人物がフォルテュナの上司なのだろう。そっか、と僅かに肩を竦めて、フォルテュナはリュヌへ向き直った。

「軍議だってさ。しばらく戻って来そうにないし、先に中の案内でもするか?」

 問われ、こくりと頷いた。兵舎の中は入り組んでおり、これからここで過ごす以上知っておくべきことは多そうだ。

 そこでふと、奇妙な違和感を覚えた。

「……あれ?」

「……どうかした?」

 きょとんとして見詰めるリュヌを見詰め返して、今度はベルが首を傾げた。その顔とリディーとを交互に見て、リュヌは続ける。

「今、『ベルナール』って……」

「……? 僕のことだけど」

「……え」

 ああ、と、思わず惚けた声が出た。確かに線の細い中性的な身体つきではあったが、『ベル』という呼び名のせいですっかり女だと思い込まされていた。『ベルナール』であるならば、順当に考えて『彼』は男だ。

「? 本当に……どうしたの?」

「あ、いや……ううん」

 なんでもない、と、リュヌは動揺を押し込めた。ベル――もといベルナールは不思議そうな顔をしていたが、その後ろではフォルテュナが両手を鼻の前で合わせ、『ごめん』と言っていた。多分、さして珍しくもないことなのだろう。


 ◇


 それから兵舎の内部を色々と見て回った。

 医務室では女医ミレーヌと再会し、志願兵として来たのだということを伝えると驚かれた。先日共に難民の治療に当たっていた男性はルートヴィヒといい、医師ではなく薬師として医療班の仕事に従事しているらしい。

 鍛冶場では、気難しそうな老年の鍛冶師、マティアスと出会った。フォルテュナに言わせれば見かけほど取っつき難い人物ではないと言うが、鍛冶場で働く人々はみな忙しなく動き回っていて、用もなく声を掛けるのは躊躇われる気がした。

 また倉庫の前を通りかかり、シュゾンという少女にも会った。彼女の実家は城下町にある軍お抱えの道具屋で、彼女自身は実家と兵舎の間を行き来しながら、物資の補給や整頓を手伝っているという。

 変な輩も中にはいる、とフォルテュナは言っていたが、顔を合わせた人々はいずれも悪い人間ではなさそうだった。次第に緊張が解けてきて、固く結んでいた唇が僅かに緩む。そして小さく、腹の虫が鳴いた。

「なんだ、腹減ってんのか?」

「う……うん」

 ちょっと、と、リュヌは気恥ずかしげに顔を俯けた。難民キャンプの食事というものは多くの場合、十分とは言い難い。

 何か食べに行くかとフォルテュナは言ったが、まだ正式に入隊も決まっていないのにそこまでずけずけと上がり込むのも気が引けた。また同じように腹を空かせているのではないかと思うと、城門の外で別れた幼馴染のことが気に掛かった。

「……エドワール様」

 呟くように、ベルナールがその名を口にした。視線の先を辿ってゆくと、廊下の端から如何にも軍人然とした容貌の男がこちらへ歩いてくるのが見えた。

 年は四十前後だろうか。深緑の軍服に身を包み、黒い髪を短く切り揃えた出で立ちは、どことなくフォルテュナの雰囲気に似ている――というよりも、フォルテュナが彼に似ているのかもしれない。

「師匠!」

 猫のような瞳をぱっと輝かせて、フォルテュナは男に手を振った。師弟なのか、とリュヌは内心頷いた。ならば二人の雰囲気がどことなく似通っているのは、当然のことかもしれない。 軍服の男――エドワールは眉間に浅く溝を穿ち、窘めるように言った。

「外では隊長と呼べと言ってあったはずだが?」

「はいはい、すいませんでした。それより師匠、ちょっと相談いいですか?」

 注意を悪びれた風もなく受け流し、フォルテュナはリュヌの両肩を掴むと、エドワールの前に押し出した。

「コイツ、入隊志願者なんです。志願兵の募集って、まだやってますよね?」

「ああ、まだというよりもこれから広く行う予定だ。第三師団の件があるからな。………」

 男は口を噤み、値踏みをするようにリュヌを見た。愛想がいいとは言い難い雰囲気に加えて射抜くようなその眼差しに、再び背筋が強張った。

「武器を握ったことは?」

「……武器、は」

 ないです、と言った声が、申し訳なさそうに萎んだのを自覚していた。毎日のように薪割で斧を使ってはいたが、当然ながらそれは他者を害するために使ったものではない。

 もっとも元より志願兵に戦の経験など求めていないのだろう、然して気にした様子はなく、エドワールは言った。

「分かった。丁度、アリスが新人を探していたはずだ。俺から話を通しておく」

「えっ」

 リュヌとフォルテュナとの声が重なった。兵舎での面倒はお前達が見てやれ、とすれ違いざまに言い残して、エドワールは行き過ぎる。慌てたようにその背を振り返って、フォルテュナが言った。

「そんな簡単でいいんですか!?」

「お前が大丈夫だと判断して連れてきたのなら、俺から特に言うことはない。……後で、アリスから連絡させる」

 口ぶりは淡々としていたが、その言葉の端々からは、弟子であり部下であるのだろう少年への信頼が滲んでいた。ありがとうございますと頭を下げたフォルテュナの声は喜色ばんで、尻尾があったら振り千切れているのではないかと思う――きっと、絆の強い師弟なのだろう。

「よかったな、リュヌ! これで入隊は決まりだ!」

「あ、ありがとう」

 皇国軍の兵士になる。それが今、この瞬間に決まった。全くもって、希望に満ちた船出ではない。しかし何かが動き出したことは、確かだった。

「あの……アリス、様? って?」

「その辺は、ゆっくり説明するよ。それより……お腹空いてるんでしょう?」

 ベルナールはそう言って、ちらりと窓の外へ目を向けた。兵舎の中を歩く内に、思った以上に時間が経っていたらしい。

 空はいつしか、茜色に染まっていた。東の空に滲む紫紺がじわじわとその勢力を広げれば、ミュスカデルに夜がやって来る。

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