妖怪との戦闘・後
ほんの少し、林を抜けると。
「ヤァッ!」
千秋の声が響いた。
およそ十体のヘビの妖怪に囲まれていた。
だが、相手は容易には攻めに行けないようであった。
炎だ。
千秋の腕、膝から炎が燃え盛っていた。
武器が得意ではない千秋は、主に肉弾戦を好む。
それゆえ手甲と膝当てを付け、主に打撃とする。
炎は効率よく相手を破壊する為である。
詩穂にはそういったことができなかった。
詩穂の家系は、使い魔を使役することに長けてきた家系。
元より属性変換は苦手である。
しかし、詩穂は使い魔を制御できない半人前である。
拳と肘で次々に襲い来る蛇を倒していく千秋。
標準よりもかなり短く、二の腕すら覆っていない小袖。
袴も同じように短く、膝より少し上に丈を合わせてある。
そのほうが戦いやすいとのことだ。
「千秋、加勢するよ」
「あぁ、任せた」
千秋の近くで待機していた蛇を、右腕の振りで下から上へと切り飛ばす。
詩穂の声に気づいた五体ほどのヘビが、こちらを睨んだ。
まずい。一度に五体など相手した事はない。
これほど数が多い場合、一旦引き先に出てきたほうを叩くのが定石。
それでは千秋に狙いが集中してしまうかもしれない。
負けられない……!
ここでやらずして、いつやるのだ。
私は強くなければならない!
五体、相手の動きに集中する。
覚悟を決める。
近くにいる相手へと狙いを定める。
一度斜めに振り、自分から隙を作りだし相手の攻撃を誘う。
飛び込んできたところを右足のかかとに重心を集め。
体を右にずらし避けると同時に、振り下げた刀を振り上げることで、一体目を切る。
後ろから来た二体目を、刀を左に寝かせる事で口から突き刺した。
相手の口から刀を抜く勢いを利用し、前方から来る三体目を横へ薙ぎ、抜ける。
振り返り、前に出た左足を擦り、前へと出し、横に寝かせた刀は、次に飛び出してきた四体目を、口から尾へ一閃。
初めて行う刹那の連続戦。
詩穂の戦い方は、基礎の基礎。
力を物質に変えたり、術式の書かれた札を使い、現象を起こしたりはできない。
かといって、千秋のような変換もできない。
そもそも属性変換は、その人の持つ素養のようなもので特殊な能力扱いなのだ。
使い魔さえ使役できない詩穂は。
剣術といった武術を鍛え、昇華させていくしかなかった。
詩穂と千秋は見習いとして扱われている。
だが実際の所、数少ない戦闘能力だけなら、一人前の退魔師、いや、その上へ達していた。
千秋の炎の持続性は、かなり長いものである。一人前の退魔師でも長く出しておくことは難しい。さらに千秋はそれを四つやってのけるのだ。
詩穂にはそういった目立つものは何もない。
しかし、体術、剣術のスピードなら、千秋の能力と同じくらい目を見張るものがある。
気を緩めてはならない。
強く、深く自分の思いを心に刻む。
倒していくうち、詩穂は何かを感じた。
心から染み出るような黒い何かが。
お腹の辺りから痛みという熱を滾らせ、支配していく。
どこからかヒビが入るような音を聞いた気がした。
そして。
相手がただの敵意と悪意の塊のように見える。
だんだん視界がぼやけていく。
相手の輪郭がはっきりとしない。
しかし気配だけで、相手の居場所が分かる。
はっきりと鮮明に。
五体目だけが仲間が倒されていく姿に一瞬、怯んだのか飛び出すのが遅れる。
正面から来るヘビは、細く斬りにくい。
遅れがあれば、話は別である。
腕を上げ振りかぶる。
遅ければ細いことなど関係ない。対象を捕える猶予がある。
一閃。
しかし、その斬撃は相手を斬る事ができなかった。
相手を叩き落としただけであった。。
七体の妖怪を斬り、太刀の切れ味が死んだのである。
幸いにして、その打撃に相手は頭が眩む。
立て直しに少しの時間がかかるようだ。
太刀を地面に落とす。
詩穂は弓を構えようと考えたが、狙いをつける時間はない。
右手を相手へと向け、掌へ力を籠める。
想像する。刀の形を。
そうすることで、詩穂の手前の何も無い空間に、白い糸が何十にも現れる。
それらはお互いがお互いを絡ませ合う。
段々、刀の形へと変化させていく。
しかし、それは完璧な刀の形にはならない。
なんで!なんでよ‼
私はできなければならないのに!
白い糸で紡がれた刀は四散した。
先ほど落とした太刀を、持ち直す。
相手は姿勢を低くして、牙を向きだしにする。
飛び出す前に、太刀で上から叩きつける。
だが、やはり致命傷にはならず。
二度、三度、四度。
幾重にも続ける。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息が切れる頃には、相手は絶命していた。
千秋のほうも動きが無くなったようだ。
全て倒し終わったようだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……まだ」
まだ近くで妖怪の気配を感じた。
駆ける。
「おい!詩穂、どこへ行く‼」
林から抜けると、二メートルほどのものと、一メートルほどの妖怪の二体。
化け狸二体。
感覚が気配を捕える。
殺さないと。
即座に近づき、振りかぶる。
仕留められるとそう確信した心が生んだのか。
口元が「ははっ」と笑う。そしてすぐに。
「アァァァァァァァァァッ!」
不意に耳を裂くような声が、詩穂の口から発せられる。
「父ちゃん!」
何か声が聞こえた気がしたが、関係ない。
「やめろ‼詩穂!」
振り下ろそうとした詩穂に追いついた千秋は、そのまま走り続ける。
後ろから抱き着かれるような感覚。
振り上げた腕が下ろせないように拘束される。
「もう終わったんだ。終わったんだよ詩穂……」
千秋の体の温もりを感じ声を聞いて、ぼやけた風景が段々形を成していく。
「あ、あ……」
力が徐々に抜けていき、太刀が下ろされていく。
「詩穂……」
腕の下にあった千秋の腕が、体へと回され抱きしめられる。
「わ、私……また」
「そう自分を責めるな。いつか抑えられるようになるから」
体からも力が抜けていき、その場にへたり込む。
「歩けるか?」
小さく頷く。
「お前はいつもの場所にいてくれ。そこのほうが落ち着くだろ?」
再び頷く。
女の子は怯えたように、体を震わせていた。
仕方のない事だった。
詩穂はいつもの場所へ歩き出した。