妖怪との戦闘・前
それよりも……
この場にいる者の中で。
詩穂だけが、空気が重くなっている事を察知する。
目を閉じて集中する。
広範囲にたくさんの妖気がこちらへ集まっている事を確認した。
およそ十三メートルほど。ゆっくり近づいてきているのか、あまり早くない。
「おい、詩穂どうした?」
何かを探るような詩穂に気が付く。
「……千秋、敵意ある妖怪が集まってきてる」
「どこからだ」
「この道の先の左に入った林から。いつもよりも数が多いよ」
「こんな時にか。……私が行こう。いざって時の奇襲は詩穂が対応してくれ」
そう言って、千秋は少し笑いながら。
「任せたぞ」
髪を揺らし、走り林の中へ消えた。
「と、父ちゃん……」
ぽん吉君がお父さんの元へ近づいた。
女の子も緊張した空気を察したのか、少し泣き止んだが、次は怖くなったのか、また泣きそうになる。
「ほらほら、おいらと巫女さんが付いてるぽん。大丈夫だぽん」
化け狸が近づいて、女の子とぽん吉君を大きな手で包んであげる。
残った詩穂は、とても優しい化け狸だと思った。
しかし、気を抜いていられない。
少し先の右側の林からこちらに近づく妖気を感じた。その数は三。
横一列に並んでくる。
それが分かるくらいには、巡回で索敵は鍛えられていた。
詩穂は先手を打つ事にした。
流石に子供達に妖怪が斬れていくところなんて見せたくなかった。
「子供達を任せてもいいですか?少し離れて戦いますから、万が一の時は」
「任せるぽん。行ってくるぽん」
あぁ、やっぱり良い妖怪だと思った。
大体の妖怪の対処の仕方は、実は獣と大差ない。
だが、普通に生きている人間では、妖怪の相手はできない。
妖怪の纏っている妖気。
この通常では体感する事のない気。
それは相手の体に悪寒を走らせ、心を浸食する。
これにより普通の人間では、まず戦えなくなってしまう。
心が、体がすくんでしまうからだ。
だから、敵意ある妖怪は危険なのである。
勿論、そういった妖怪を討つ為に鍛えられた者達がいる。
退魔師である。
実のところを言えば、詩穂は妖怪を倒すのはあまり好きではなかった。
何故なら、さっきの化け狸の親子のように人間と良い関係を築けるものもいるからだ。
退魔師を目指して、十一年の月日が経つ。
こうして妖怪を倒し始めたのは、八年前からである。
最初の三年間は、敵意ある妖怪に対しても、まだ詩穂は交渉をしようと考えていた。
しかし、五年前の事件で考えは変わった。
結局の所、変わらないものは変わらない。危害を加えられる前に倒さねば、こっちが危険になるだけだと。
そうならなければならなかった。
もっとも五年前のあれは、交渉の余地など最初から無かったのだが。
左腰に下げられた刀。
背中には二百三十センチの標準的な弓と、十にも満たない数の矢を入れ、蓋をされている矢筒。
それらを装備しているが、詩穂は走る事に苦には思わない。
もう慣れたものである。
速度を落とさずに、右の林へ飛び入った。
その勢いに、手首まで伸びていた白の袖が肘まで下がり。
くるぶしまでを隠す赤い袴は、後ろへと大きく広がる。
退魔師は基本的に上半身に白衣。下半身に袴というシンプルなものを正装とする。
そのほうが戦いやすいためである。
その戦いやすさも勿論、個人差はある。
人によって正装を変えている、それどころかその人の趣味によって着飾られた物もある。
詩穂と千秋は退魔師である。まだ見習いの身ではあるのだが。
だが、見習いでも突然湧いて出てくる敵意ある妖怪は倒せるくらいの実力は持っている。
着地に体を下へ倒し、上体を戻す。
左腰に下げられた刀を、鞘から右上へと抜く。
刀身二尺あまりの短い太刀。
抜き終わった瞬間に、右手の刀を持ったまま走り出す。
丁度前方には蛇の妖怪が三体、視界に入れた。
相手は止まる気も無いようだ。
それならば。
一度止まり、刀を鞘へと戻す。
右足を前へ出し、重心を乗せる。
左手は鞘へ、右手は柄へ。
こちらから行くよりも迎え討ったほうが早い。
蛇の妖怪は丁寧に同じタイミングで飛びかかって来た。
それに合わせて、息を吸う。そして。
左から右へ横一閃。
斬られたとともに、刀の重さで相手の軌道を右へと変える。
居合切り。
三体の相手の動きを待ったからこそ、一撃で終わらせる事を可能にした。
後の先である。
もう近くに敵の気配は感じない。
化け狸達の所へ一旦向かう。
「おかえりぽん」
千秋の姿が無い。
「襲撃はありましたか?」
「なかったぽんね」
そうすると、千秋の所に大体が向かったと考えるのが妥当だろう。
「お友達の所に行ってあげるぽん」
頭を頷かせ、右側の林の中へと走り出した。