7、聖女の指南役
「ハルナ」
廊下を歩いていたら、重厚なバリトンヴォイスに引き止められて、ハルナは思わずビクリとしてしまった。
「済まない……」という声のした方へ振り返れば、最近では割りと馴染みになってしまった眉間に皺を寄せた顔。
「ドラグナーさん」
今日のハルナはそれを深く刻ませる元凶とは一緒に居ない為、皺は幾分穏やかな谷間を描いている。
ドラグナーは「これを」と言うと、一枚の紙を差し出して来た。
「バートランドに渡しておいてくれないか」
ウィンに仕事をさせる為にその同行を申し出てから、ハルナはなんやかんやと魔法省の小さな仕事を手伝う様になった。
と言っても、魔法を使えないハルナは細々とした作業を手助けする程度なのだが、そうして魔法省の色々な所に出入りする内に、これ幸いとばかりにウィンへの言伝ても頼まれる様になってしまっていた。
「ご自分で渡したらいいのに……」
そんな風に伝えると、ドラグナーは、「あれが素直に私の言う事を聞くと思うか?」と、返して来る。
確かに、ウィンはドラグナーが何か言えば即座に「やだ」と答えるだろう。
ウィンはドラグナーの言う事を、極端に聞かない。
ウィンが……ものによっては不満気にしつつも……ハルナの言う事をよく聞くからそれが目立つというのも勿論あるが、ドラグナーがどストレートに物を言い過ぎるというのが原因でもある。
(不器用な上に素直過ぎるんだよなぁ……ドラグナーさん……)
ウィンがハルナの言うことを聞くのは、初めからハルナに好意的だったのもあるが、もう一つ絡繰りがあった。
ハルナはウィンにお願い事をする時、交換条件というかちょっとした提案をしていた。
例えば、ウィンが「ハルナと居たいから仕事したくない」と言えば、一緒に居るから仕事をしましょうと言ってみたり、
「研究やるから仕事したくない」と言えば、仕事場への移動でデータを取るのはどうかと言ってみたり、
……如何せんハルナが原因で仕事を嫌がっている事案が多い様な気がするが……そんな具合だ。
対し、ドラグナーは要件を伝える際には、ああしろこうしろと簡潔に用件や問題だけをぶつけてしまう。序でに物言いがきつくなってしまうというおまけ付きなので、ウィンが反発する。
(ドラグナーさんだって、ウィンの性格は理解しているだろうに……)
他の条件を付ける事が騙している様で落ち着かないのだろう。
ドラグナーはドラグナーで難儀な性格をしているし、そんな彼が心配になってしまう。
そう思いながら暫しドラグナーと見つめ合っていたら、ハルナの顔の横から二本の手が伸びてきた。
「勝手にハルナにちょっかいかけるの止めてって言ったよねぇー……ジークハルト」
かなり背後に居るために姿は見えないが、ちょっと不機嫌なウィンの声が後ろからする。
ウィンは伸ばした手でハルナが受け取った紙を奪い盗ると、ハルナの肩に顎を乗せ、それを眺め始めた。
「聖女さまの指導って……またこの話しか……おれやんないって言ったよね?ってかジークハルトがやんなよむしろ適任じゃん」
内容を確認すると、ウィンはうんざりしたとばかりにそうボヤく。
ハルナは、へぇそんな事が書いてあったんだ……と、直ぐ側の紙とウィンの顔を交互に見ながら思った。
目の前で開かれた紙の文字を未だハルナは読めない。
ウィンは読める術を掛けてくれ様と取り計らったが、ハルナは自力で覚えるとそれを辞退した。
ウィンはちょっと残念そうだった。
それはさておき。
ウィンの言葉に、ドラグナーは今度こそ、お馴染みの眉間の皺を深くして、顔を顰めた。
「それはどんな嫌味だ、バートランド」
ドラグナーが『嫌味』と言いたい理由も解らなくは無い。
魔法省に出向いて、仕事の手伝いをする様になってハルナが知ったのは、この世界の人間は大なり小なり魔力を宿しているという事だった。
そして、その魔力には属性がある。
基本は、風、水、火、土の4属性、これに加えて数はぐっと減るが光、闇が入り全6属性となるのが、この世界に存在する魔力の属性だった。
そしてこの6属性の他に、特殊な3つの力を持っている者が存在するのだという。
先ずは、光の力が増幅されたものであるところの『神気』。
これは聖女が持っている稀有な力とされている。
王族や神官職にも強い光の力を持つ者が居るが、浄化の力を持つ程の神気を持ち、放てるのは聖女だけなのだそうだ。
次に、闇の力の大きなものであるところの『邪気』。
この力を持つのは大概が魔物だが、こちらも稀に人間が有している事があるという。
更に、ほぼ全員がこの邪気を持った一族も居るらしい。
それから、それらとは全く異なる……第7の属性とも言える『空』。
今、生きてる中でこの属性を持っていると確認されているのは、ウィンしか居ない。
単体で使える力以外に、他の属性の効力を増減する事が出来、異世界から聖女を召喚するのにはこの力が使われる。
ウィンがハルナの巻き込まれた召喚に携わっていたのはこの為だ。
加えてケイトに聞いた話しや、本人の申告を繋ぎ合わせると、ウィンはこれ以外にも大小差があるが、他の6つの属性も全て持ち合わせている様だった。
対しドラグナーが持っているのは風の力と光の力そして少しの水の力の3つの属性なのだという。
だから、ドラグナーが嫌味だといったのはその辺りが理由なのだろう。
異なる魔力を二つ以上持っているということはそれだけで凄い事らしいのだが……。
因みに異界の一般人であるところのハルナにはこの属性の力が一切微塵も無い。
どころか、ともすると気配を見失う程に何も無いという。
かつてウィンの機嫌を損ねた原因でもあったが、今は首輪……ならぬ首飾りを付けられ、その心配は無くなっていた。
ペリドットに似た、魔力を込められた石が一つ付いたペンダントで、その石の色はウィンの瞳によく似ている。
石の気配で城内ならば問題なくハルナの存在が探れるというので、一応の単独行動も許される様になった。
そんな、ハルナの首から下げられた魔石を弄びながら、ウィンはドラグナーに言う。
「嫌味じゃないよ。聖女さまに必要なのは穢れを祓う神気だろ?あれは光の力が基だから、おれより力の強いジークハルトが、使い方を教えた方が効率いいんだよ……」
ウィンの持っている力と比べて、光の力はドラグナーの方が強いのでこの役が適任だ……というのが彼の言い分だった。
「話しがそれだけならもう行くよ……行こう、ハルナ」
そして、話し終わるや、「次この話持って来ても知らないからね」と言い捨ててウィンはハルナの手を引き歩き出す。
引っ張られる形になったハルナはウィンに従うしかないので、ドラグナーに一礼した後彼に付いて行く。
ドラグナーは何か言いた気にしていたが、引き止めて来る事は無かった。
ウィンに手を引かれて、ハルナは仕事部屋兼研究室に連れてこられる。
部屋に入ると、ウィンは崩れる様にソファへ腰掛けた。
手を繋がれたままのハルナは、釣られる形で一緒に座る事になる。
ハルナと繋いだ手の反対側に持っていたドラグナーから受け取った紙を、ぽいっと放ると、ウィンは深く息を吐いた。
「あー……何度もやらないって言ってるのにホント困っちゃうよねー……」
そう言いながらハルナの肩にペソんっと頭を乗せて来たウィンは、どこか疲れている様子だった。
「ねぇ、ウィン……ウィンよりドラグナーさんの方が何かを教えるのに向いてそうって言うのは私も同意見なんだけど……」
「……言うねぇ、ハルナ」
切り出して来たハルナの言葉に、ウィンはあははと笑う。
「それに関しては年齢的な貫禄とかもあるんでしょ」
「まぁねー……」
その年齢的なものと、ウィンとドラグナー双方の性格を合わせて考えても、ドラグナーの方が指南役には向いているとハルナは思う。
しかし、今ハルナが言いたいのはその事では無く……。
「そうじゃなくて……ウィンが聖女さまの指導役を頑なに断るのは何で?ウィンなら異世界の事を知りたいって理由でユキと接触出来る機会を寧ろ喜びそうだと思ったんだけど……」
今回の話の紙を見た時、ウィンは『またこの話しか』と言っていたので、既に何度か話を断っていたという事になる。
しかし、聖女であるユキもハルナと同じ異世界の人間だ。
異界の事を知りたいとハルナの話に目を輝かせながら聴くウィンが、そこまでして聖女の指南役を突っぱねる理由がハルナには分からなかった。
「ユキ?……ああ、聖女さまか。前も言ったと思うけど、おれが調べたいのは『聖女さま以外の人間』が異界に渡れる可能性なんだよ……だったら聖女さまに敢えて接する必要なんて無いし、話を訊くならハルナが居る……それに……」
「それに?」
そこまで言ったところで、ウィンは唐突に、膝枕……と言ってハルナの膝に倒れ込んで来た。
「聖女さまの……だと、おれは……だからねー……」
「え、何?」
それから不明瞭に何かを言ったと思ったら、すぅすぅと寝息が聞こえ始めた。
「寝ちゃった……確かに疲れてたみたいだけど……」
手持ちぶさたになったので、ウィンの頭を撫でて、その髪を梳くとサラサラとした感触が心地好くて、ハルナは暫くその動作を繰り返す。
繰り返す内にハルナ自身もいつの間にか眠りに落ちていた。