21、最初の晩餐
カットされたオレンジを口にし、時折蜂蜜を落としたミルクを飲みながら、ハルナの手元を見詰めていた、ユキが言った。
「へー、ホットケーキミックス使わないホットケーキってそうやって作るんですね〜」
小麦粉を使った作り方も、ホットケーキミックスを使用した作り方も、大きく違いは無いと思うのだけれど、作り始めた時にユキが放った一言の影響で、今、彼女の頭の中にどんな手順が組まれているのかを考えると、恐ろしいので、ハルナはそれを訊ねる事が出来ない。
その、ハルナの右隣にはウィンが立っている。
彼はハルナの衣服の右袖を掴み、左側をじっとりと睨んでいた。
視線の先に居るのはアル。
アルの方は、ハルナの肩に手を乗せ、こちらもこちらで右側のウィンを同じ様に見ている。
それらを見て、ハルナは苦笑した。
ユキの部屋で料理を提案したのは、単純に、何も食べていないらしかったユキに何か食べてもらおうと思ったのと、ホットケーキなら簡単だから調理をしながら話しを出来るかな……と、思ったからだった。
けれど、先ず、ユキの部屋には調理を出来るスペースが無かったので移動を余儀なくされてしまう。
そうなると、ハルナが自由に使えるのはウィンの部屋くらいなので、部屋まで向かえば、出迎えてくれたウィンが開口一番、「ハルナがアルバート臭い」と文句を言って来たので、ウィンとアルが喧嘩になりかけた。
何とか両者を宥めて調理開始しようとしたら、ウィンもアルも何故かハルナにぴったりくっついて離れない。
とりあえず、動きにくい旨を伝えて説き伏せ、どうにかウィンが服の裾を掴んで、アルが肩に手を置くという形で落ち着いた。
しかし、いざホットケーキを作ろうとした時、今度はユキが、並べられたホットケーキの材料を見ながら、「包丁とか調理実習でしか使った事ないから大丈夫かな〜」とか言い始める。
ホットケーキに包丁を持ち出す必要は勿論ない。……ので、ちょっとユキの調理能力に疑問が生じたため、長い間何も食べて無かった胃にいきなりホットケーキじゃビックリするだろうから……と言いくるめて、そっと調理行程からユキを外し、今に至っていた。
因みに、ユキの部屋を訪れた際、別場所で待機をお願いしていたカイン王子とユキの従者の青年であるが、扉から出てきたユキの姿を認めたカイン王子が、「よろしく頼む」とハルナに告げて、渋る従者の青年を連れ、引き上げて行ったので、今は居ない。
その時の、カイン王子に対してどこかばつが悪そうなユキと、そんなユキを柔らかく優しい瞳で見詰める王子が、妙にハルナの印象に残った。
「それにしても……バートランドさんが普段そんな感じなのは意外でした。あと、その状態でハルナさんが普通にお料理してるのもびっくりです」
ハルナの様子を見て、ユキがしみじみと言った。
「私に指導をしてくれるときのバートランドさんって……えっとご本人の前でこんなこと言うのもあれなんですけど……『まぁしょうがないから教えてはあげるけど〜、それ以上おれに近寄っては来ないでね〜』ってオーラ放ってる感じの人だったので……」
間に挟まれた、ウィンを真似たのだろう部分の口調がかなり似ている。
「聖女……ユキだったか、おー…なんとかは何の事を言っているか解らんが……お前の見解は間違ってない。ウィン(こいつ)はそういう奴だ」
「あ、やっぱりそうなんですね……えっと……アルバートさん……でしたっけ?会ったばっかりでお聞きするのも……なんですけど、ずっと気になってて……あの、あなたはカインとはどういう……?」
「あれは俺の血縁上の兄だ」
「ああ、だから似てるんだ!……あれ?でも、確かカインの弟はセドリック殿下だけだって聞いたような……」
「え、アルってカイン王子の他に兄弟がいたの!?」
「以前話したと思うが……?」
「あれ?そうだっ……た……?」
アルがじっとりとした目でハルナを見た。
そして小さくため息を吐いたあと、続ける。
「下に、一人な」
「へぇ……意外」
「……どういう意味だ?」
今まで過ごして来た間に、アルはどことなく末っ子っぽい……と、ハルナは思い込んでしまっていた。
アルの弟……。
父親、兄、と来ているので、弟もこの顔の遺伝子を引き継いでいるんだろうか……?
「俺が除かれてるって事は、家族構成の説明を受けたのはあの従者か国王辺りからだろうな……だとしたら、俺は既に除籍されていて、法的にはそこに含まれていない。だから省いたんだろう」
「え……除籍?」
そこでユキが、かつての自分みたいな反応をしたので、ハルナは、やはりあの時のケイトみたいに、この国の属性反発と人間関係の因果について説明をした。
「へーぇ、属性反発……そんなのがあるんですね。大変だぁ……」
ハルナの話を聞いて、ユキが感嘆の声を洩らす。
訊かなきゃ説明されないシステムは、例え聖女が相手だろうと、健在の様である。
……が。
「ウィン、力の無い私は別として……魔力の事だし、これって、ユキは知っておいた方がいい内容なんじゃない?どうして、ユキに伝わってないの?」
「しらないよ。おれ、ジークハルトの引き継ぎだし、そもそも教えるのはハイネの担当なんだからさぁ〜」
ハイネ……というのは、少し前に会った、全身真っ白のハイネ・ハインリヒの事と思われる。
つまり、ハイネ・ハインリヒがユキの指導をメインに担当していて、ドラグナーがそのサポートをしていた。でも、ドラグナーが忙しくなった為に、ウィンがそれを引き継いだ。
あの日、ハイネ・ハインリヒがハルナの元に現れたのは、ウィンから話を聞いて、ハルナを見に来たという事だろう。
……うん、あの日の流れが繋がった。と、ハルナは心の中で、自己簡潔した。
「あれ?」
でも……と、そこでハルナは思う。
「ユキの指南役って、元々ウィンのところに来てた話よね?後から手伝うくらいならウィンが最初から教えてたら良かったんじゃない?」
「それは……おれにも事情があるんですぅー……」
そう言うと、何故かウィンはちょっといじけてしまった。
「ウィーンー?」
理由はよく分からないが、ハルナは調理をする手を止めて、そっぽを向くウィンの頭を軽くポンポンと叩いてご機嫌取りをする。
すると、ユキのクスリと笑う声が聞こえた。
「ユキ、どうしたの?」
「お二人はいつもそんな感じですか?」
「まぁ……だいたい?」
「こういう感想も変かなとは思うんですけど……なんか、親子みたいですね」
「親子……」
状況的に、自分が母親ポジションだろうな……と、考えるとちょっと複雑な気分だった。
「あ……いや、仲がいいなって思ったんです!……お互い……心を許してる感じ……」
「いいなぁ……」と、ユキがポツリと溢した。
ああ、恐らく、『これ』なんだろうな……と、ハルナは思う。
ユキが、カイン王子に「こちらの人だから」と言ったのも、「私の気持ちなんてわからない」と言ったのも、根本的な理由は、この一言に集約されている気がした。
ユキは責任感が強い。
会ってそんなに一緒の時間を過ごした訳ではないけれど、それが、ハルナの感想だった。
突然呼ばれた異世界で、いきなり求められた聖女という役割をきちんとこなそうとしいて、あまつさえ召喚に巻き込まれてこちらに来てしまったハルナを「自分のせい」だと思って心配してくれていた。
ただ、全部を抱え込み過ぎているのだとも思う。
そして、『憧れ』と『理想』も強い。
こちらにきた最初の日、ユキはその場所を『異世界』だと言い、状況を『召喚された』と、認識していた。
きっと、そういうものを扱った媒体が好きで、たくさん見てきたのだろう。
だから、自分が『聖女』だと知った時、『役目を果たさなきゃいけない』と、思った。
でも、ユキは、元々はハルナと同じ、聖女の役割が無い世界の人間だ。
出来る事、出来ない事、直ぐには出来ない事……様々あるはずだ。
出来る事はいい。
出来ない事、直ぐには出来ない事、そんな事があった時、きっとユキは自分を責めた。
責任感が強くて、背負い込んでしまうタイプだから、きっと、全部自分の責任だと思って、自分を責めていた。
そして、『聖女に寄せられる期待』故に、それを誰にも打ち明けられなかった。
周りは、『聖女への期待』を持っているが故にそれに気付いてあげられなかった。
その中で、カイン王子はユキのために一生懸命だったみたいだけれど……。
タイミングが少しずれてしまって、その時はもう、ユキは周りの言葉を受け入れる余裕がないくらいに頑なになってしまっていた。
「私はたぶん運が良かったのよ」
「運?」
「私の事を受け入れてくれるウィンが、たまたますごくいいタイミングであの場所にいてくれたから」
ウィンがハルナを受け入れてくれて、ケイトを連れて来て。
ドラグナーさんと遭遇して、仕事を手伝わせてもらえて。
ケイトの繋がりでアルと出会って。
ケイト……おまけにアルと二人から剣を教わって。
今、再びユキと会って、こうして料理をしながら、他愛ない話が出来ている。
免れざる客であったハルナが、こうして居られるのは、本当に運が良かったとしか思えない。
「でも、ユキにも居るでしょう?そういう、受け入れてくれる人」
タイミングがずれてしまって、素直にはなれていなかったけれど、ユキは確かに、カイン王子には本音をぶつけていた。
カイン王子も、戸惑ってはいたけれど、それを受け入れていた筈だ。あの優しい表情が、何よりもそれを表している。
ユキもそれはしっかり解っているのだろう。
目元を和らげて、「はい」と頷いた。
「カイン王子って、王様の子供でアルのお兄さんなのに、とっても心が広いわよね」
「ちょっと待て、どうしてそこで兄が出てきて、俺は比較されてるんだ!?」
「っていうかハルナが知らないだけでオウジサマもたいがい心狭いよ〜?アルバートほどじゃないけど〜」
「なぜお前にまで落とされないといけない……」
「あははっ!」
ウィンとアルのやりとりに、ユキが声を上げて笑った。
(きっと、もう、ユキは大丈夫)
ハルナは安心して調理を再開した。
「それ、なんですか?」
「メレンゲ。ホットケーキミックスやベーキングパウダーを使ったものほどは膨らまないけど、ホットケーキをふわっとさせるのに使うのよ」
「メレンゲって焼き菓子だと思ってました」
「あれは、このメレンゲを焼いたものね……メレンゲ、好き?」
「はい!」
「じゃあ、それも作りましょうか」
そう言って、ハルナは、焼き菓子用のメレンゲ作製に取りかかる。
一つの世界を救う事は、決して簡単な事じゃない。
けれど、異なる世界から呼ばれて、一人、その救世の運命を背負わされた女の子が、その運命に潰されて仕舞う事が無いように……ホロホロと甘いメレンゲの様に、優しい助けが、ユキにあり続けます様に……そう思いながら、ハルナは雪の様に白いメレンゲを泡立てた。




