16、「所望します」
ウィンの寝起きは悪くない。
ハルナはどちらかと言えば起床時間がまちまちで、物凄く眠たい事もあれば、逆に全く眠れない日もあったりするが、ウィンは一度寝ようと決めて仕舞えばストンと寝るし、起きる時だってスッキリと起床して来て直ぐに行動を開始する。
そんなウィンが、しかし、今日は朝食の用意が済んでも寝所から姿を表さない。
「あ〜……まいる〜……これは、ほんと、まいるよね〜……」
「どうしたの?」
余りにも寝床から出て来ようとしないため、ハルナが気になって様子を見に行くと、ウィンはうーうー唸りながら寝台の上を転がっていた。
「具合悪い?」
それを見て心配になったハルナは、近寄ってウィンの姿を覗き込もうとする。すると、布団から両腕が伸びてきて、腰の辺りをがっちりと掴まれてしまった。
「ちょっと、ウィン!?」
「ハルナー……何も言わずに補充させてー……」
「補充って何を?」
「なんでもいいからー……」
そう言ったウィンは、朝の……一日も始まったばかりだというのに、心なしかぐったりしている。
「もしかして、最近お仕事辛かったりする?」
自分のやりたい事があると、それを優先してとかく仕事を後回しにしがちなウィンが、ここ暫くはその様子がなくどこかに詰めているのはハルナも認識はしていた。
けれどウィンはどこで何をしているか話したがらなかったので、ハルナも深く問い質してはおらず、どんな仕事をしているかは知らなかった。
今までは、ケイトに剣を習っていたりドラグナーの仕事を手伝っていたりすると、どこからともなくひょっこりと姿を見せていたのに、最近はそれもない。
実験の方も滞っていた。
よほど大変な仕事をしているのだろうかとハルナは気掛かりになる。
ハルナの問いにウィンは「あはは…」と力なく笑ったが、何があったのかは答えてくれなかった。
朝にそんな出来事があったその日。
ハルナは魔法省の廊下で、風変わりな人物に遭遇した。
ただ、魔法省の人間はウィンを含め変わっているといえば変わっているのでそれは通常設定とも言える。
着ているものは魔法省の者が使用している形の服なので、魔法省の人間である事は間違い無いだろう。
けれど、ハルナが普段目にしているそれとはだいぶ色彩が異なっていた。
一言で言うと……白い。
ウィンやドラグナー、そしてその周辺の人たちが着ている服は、黒や黒を基調としているものが殆どだが、その人物が着ている服は布地から装飾まで完全に白で統一されていた。
おまけにこの人物は、髪の色が銀を通り越した白髪で、肌の色も透ける様に白く、雪の精霊だとでも名乗られたら信じてしまいそうだった。
唯一、赤紫の瞳だけが違う色を持っている。
白い人物は、気が付いた時には無言でハルナの背後に立っており、赤紫の瞳でハルナを凝視していた。
「ええと……何か?」
「ふむ」
ハルナの言葉に、白い人物は顎に指を当ててそう一言だけ発する。
「あの……?」
「よし、わかりました。貴女が私の頭を撫でる事を所望します」
何が分かった結果なのかハルナにはさっぱりだったが、白い人物は一人で勝手に納得し出して、ハルナの前に跪いた。
「あの……何を仰ってるか皆目理解出来ないんですが……?」
「何ですか?バートランドは撫でられて、私は撫でられないと言うんですか?」
「そんな事は一言も……って、バートランドってもしかしてウィン?」
白い人物が魔法省の人間であるなら、同じ所属のウィンを知ってい可能性もあるだろう。
けれど、予想外のタイミングでその名前が出てきたのでハルナは驚いた。
「私の知り合いでバートランドは、ウィンニフレッド・バートランドしか居ないので貴女の言うウィンが彼ならそうなります」
「はあ……そうですか……」
確かに、ウィンニフレッド・バートランドはハルナの知っているウィンでもあるので、この白い人物は彼の知り合いである事は間違い無さそうだ。
しかし、このマイペースな人物と、同じくマイペースなウィンが会話を成立させているところは想像出来ない。
というか現在進行形でハルナとも会話がしっかり噛み合っている様には今一つ思え無なかった。
「それで、撫でるんですか?撫でないんですか?」
白い人物は相変わらず跪いたまま、頭を撫でる事を促して来る。
別段何がどうなる訳でも無いので、頭を撫でる事は構わないが、完全な初対面の相手にそれを気安く出来るかというと、そうではない。
……さてどうしたものかとハルナが考えていた時、背後からの助け船があった。
「廊下の真ん中で何をしているんだ?」
「アル!」
聞き覚えのある威圧的な言葉に振り向けば、そこにアルが立っていた。
アルは怪訝な表情をしてハルナの足下を見ている。
「……おい、何でお前がここに居る?」
「これはこれは王子様。ご機嫌麗しくなさしゅう」
「王子じゃない」
「『元』王子様」
「うるさい、質問に答えろ」
苦虫を噛み潰した顔でアルは相手を睨んだ。
銀髪のアルと白髪の相手が近くに並ぶと画面が白い。
それはさておき、白い人物は、ウィン同様アルとも顔見知りの様だった。
ただし、アルの方とは、とても友好的には見えない。
「えと……アルとこのかたは知り合い……なのかな?」
「知り合いとは思いたくないが、残念ながら顔見知りだ」
「連れないですねぇ……身体中の黒子の位置を、それこそ口に出しては言えないところまで知っている仲だというのに」
「はぇ…?」
白い人物の言葉に、ハルナは間抜けな声を出してアルを見た。
「誤解を生みそうな言い方をするな!……ハルナ、こいつとは単に昔馴染みなだけだ!」
「え……でも暗に裸を見る様な仲だって……」
「それが激しく誤解だ!!」
アルは血管が切れてしまうのでは無いかというほど、赤く必死の形相でハルナの肩を揺さぶってくる。
それに合わせてハルナの視界がくわんくわんと揺れた。
「おやおや、大変ですねー」
「誰のせいだ!だ・れ・の!!」
他人事の様に頑張ってくださいと言う白い人物にアルが噛み付く。
「こいつは宮廷魔法師だ!元々が貴族の出で幼い時から王宮に出入りしているから知り合いというだけだし、昔からこういう奴だから俺はさして仲良くした覚えもない!」
白い人物はそう怒鳴るアルの声に耳を塞ぎながらも艶やかに微笑みを浮かべて、言った。
「ご紹介に預かりました宮廷魔法師のハイネ・ハインリヒです。以後末永くお見知り置きを『おれのハルナ』さん」
「え……」
そう自己紹介すると、白い人物ことハイネ・ハインリヒはハルナの手を取り、その甲にそっと唇を落とした。
「今回は邪魔が入りましたが次会うときは、ちゃんと私の頭を撫でてくださいね?」
そして、ハイネ・ハインリヒはふわりと笑むと同じ様にふわりとハルナたちの目の前から姿を消した。
ハルナはアルに呼ばれて我に返るまで、呆然とその跡を見つめていた。




