重吾、刻をこえて7
改稿済
ファナは一度だけ、フリーのリムに、森であったことがある。
「あら…あなたはフリーのリムなの?」
成熟したリムは前の主にもらった白いポンチョマントと、白い布靴はずいぶんと汚れてはいたが、 ファナに自慢するように見せつけひらひらと舞った。
「お祖父様が…います……」
主を得たことのないファナが裸体のまま言い澱むと、リムがふわりと笑う。
そしてファナの目を見て両膝を着くとひれ伏した。
「あなた様はモルト…わたしたちとは違う特別な存在。楽園に戻りませんと」
「楽園に…?でも、おじいさまが…」
随分と大人のそのリムは近くの領主様に仕えていたらしいが、領主様が病死してしまい跡継ぎには反応しなかったから、東の楽園騎士団支部へ行き、そこから馬車で白の楽園に行くのだと話してくれ、さらには主であるマスターが、どのように接してくれたかも話してくれた。
「主…マスター…って…」
「ええ、私たち白のリムの主は、マスターピース。自然に愛された豊穣のマスター。私たちはマスターの手助けをする存在です。そしてマスターを私たちを愛します」
「愛する…」
「ええ、マスターを見つけると、胸のリムが脈打つように輝いて、心臓が早鐘を打つようにときめくのです」
主から一身に与えられる『愛』は全身を満たし、心も身体もマスターなしではいられなくなる至福は、主持ちのリムにしか分からないのだと教えてくれた大人のリムが、
「あなたにも、よい主が見つかりますように」
と告げて旅立って行き、ファナは育ての祖父には何も言えず帰宅するなり、掛布に丸くなった。
近頃は物思いに耽り早春の暖炉から離れなくなった祖父に気に止められることなく、ファナは大人のリムのことを思い起こす。
ファナは自身がリムだということは理解していたし自覚もあり、時には祖父が人の服を着せてくれ、祖父と村に買い物にも出向き、祖父が内密に品定めしているように様々なヒトと会わせているのも感じていた。
ただ、服を着ると疲れてしまい、次の日はベッドから出られなかったが…。
目下まで前髪を伸ばしているのは、白目が片方だけ黒いのが嫌だから。
いつもおどおどしているのは、自分が人とは違うから。
マスターが名前をくれてこの目を認めてくれたら変わるのかしら…私…変われるのかしら…白いリムと会ってから、いつも思っていた。
その日は嵐のようだった。
早春の冷たい雨風に木々が悲鳴を上げ唸るよう中、巻き上げる突風が家を揺らし、近くで雷光が轟く。
「春雷か…」
祖父が呟くのをじっと見ていたが、胸が締め付けられるようなか痛くなり、ファナは泣きながら祖父に訴えた。
「おじいさま…胸の刻印が痛いのです…」
五つの花弁に放射の差し込みのある一風変わったリムが、痛くて痛くて心臓すらも痛い。
未成熟の蕾のようななだらかな胸の色づきがずきずきと尖り、リムの刻印と共に痛みをファナに告げていた。
「見せてみなさい…おっ…」
ド…ンッ…と地鳴りがして、掛布を剥いだ祖父がたたらを踏んで窓から外を見た。
「雷が…落ちたのか…」
強烈な痛みに胸を押さえ、何かに弾かれたような感覚がして思わずファナは外に飛び出し、稲妻が行く筋も走る夕方の冷たい雨の中に、歩いてくる巨漢を見つける。
「ファナちゃん、出迎えかな?」
「騎士団長の…ラビット…様」
胸のリムの刻印が急に、更なる痛みを伴い赤く輝いた。
強烈な痛みの中でファナはうずくまる。
「いかん、いかん。小屋に入ろう」
小屋では祖父が待っていて、ファナはラビットに抱き上げられると暖炉に連れて行かれた。
「刻印が…痛いのです」
リムが発光するように輝き続け、ファナは痛みに気を失いかけつつラビットと祖父に訴えかける。
「…ふむ…」
発光して点滅を繰り返すファナの刻印は、次第に収まっていく。
「主を見つけると刻印が反応すると聞きました。ラビット様が私の…マスターですか?」
はげ上がった頭をぺしぺし叩きながら、ラビットはファナに首を横に振った。
「ファナちゃんはマスターのいらないリムのはずだな。なあ、クサカ先生」
祖父は静かにほほえみながら、ラビットにうなずいた。
「お前はリムの至高全ての力を持ち、妖精をも凌駕する時空の扉を開くリムの国の女王になるものだ。胸の刻印が光っても主を求めるものではない」
日頃緩慢な動きの祖父がファナの頭に手をやり、ファナの刻印を見やると再びうなずく。
「何かを感じ取ったのは確かだが…刻印は静まった」
ラビットは祖父の旧知らしく、アギト川沿いの小さな小屋に来ると必ず会いに来てくれる。
今回の滞在はいつもより長かった。
「ファナちゃんは九つ。うちの甥っ子は十五になる。兄貴は甥っ子を王として立てることにしたようだな。リムにるリムのための建国が始まるな」
「あ…あの…」
ラビットの顔を見上げた。
「私…私…女王なんて…無理です」
ファナは泣きそうになりながら告げた。