混迷するオアシス10
ラーンスは既に死にかけている…。
辺境の楽士に告げるのもはばかられる言葉だった。
多分、辺境の優しく幼さすら感じさせる彼は、絶望の淵に立たされてしまう。
辺境とはあまりにも平和な世界だったのだろうか。
闘いを厭い、諍いを好まず、話し合いを普段とするミクを、同じ気風のシャア陛下は気に入っているらしい。
「どうしてこうなったのだ」
「は、はい。殿下…」
ミクの話によると、砂漠の主である砂ムカデを倒すために、ラーンスは閃光を放って斬りかかった。
しかしラーンスは既にリムではなく、リムから人に転化した人もどきだ。
「バイオリンを弾いて…僕はそれしか出来ないから」
ミクの言葉に、イーズは背に冷たい物が走った。
楽士が無意識に応援した気持ちのそれが音色に乗り、ラーンスの命を繋ぎ止めるためのリムの残力を表面に引き出したのだと感じた。
ミクの力は刃ともなるが、しかし諸刃の剣だ。
最後の力はラーンスが求める力となったが、生命の力は一気に枯渇したのだ。
あとは…。
ラーンスには緩慢で緩やかな死の眠りしかない。
起きるという莫大なエネルギーはもはやないのだ。
ミクが長に連れて行かれ、イーズは客室にラーンスといる。
「浴槽に湯を張れ」
「沸かしてまいります!今、すぐに」
ドラグーンも湯に入る風習はなく、慌てて運ばれる湯は煮えたぎっていて、それはそれで好都合だ。
腰にあるポーチは変幻してきた時から手にしていたもので、モフルの森の乾燥薬草が入っている。
それを浴槽に入れるとふわりと花の香りが広がり、薄黄の液体で満たされた。
「これでいい」
客間の寝台に寝かしたラーンスが浅い小さな息をしている。
医術師でなければ分からない、ラーンスの気の薄さは、仮死を通り越していた。
「悪いな、ラーンス。俺はお前の顔も体も心も気に入っている」
自然の妖精と言われる可憐さと、人の持つ貪欲な力への渇望。
汚れてもなお気高く在ろうとする、神聖なる森の湖の薄桃花のようなラーンス。
イーズの下に組み伏され死にたいと言いながら、誰よりも生きたいと叫ぶ魂がとても好ましい。
そそられる……。
「俺はお前を生かす」
部屋から人払いをすると、薬湯につけるため剥かれたラーンスの前で、イーズは自分の胸の真ん中へ手をやった。
太陽のような母を思い出す。
明るく強く、誰よりも家族を大切にしていた。
イーズは金に輝く自らの胸元を押さえ、ラーンスの口許に唇を運ぶ。
微かな息を感じるが唇は閉じたままで、イーズは下顎を掴んで無理矢理唇を開かせると、そのままそこへ深く口を寄せた。
「ふ…」
光がイーズの胸元から喉を通り越して、ラーンスの口内へ移され、そして白い喉を通り消えていく。
「はあっ……」
イーズは弱々しく光る自分の胸から手をのけると、同じように小さく発光をしているラーンスの胸元を撫で、それからつぷん…と薬湯にラーンスの身体を沈めた。
「ラーンス…生きろ」
倦怠感が一気に襲ってきて、イーズは浴槽の縁に手を当てたまま、床に膝から崩れ落ちる。
ラーンスが起きるときには、側にいてやりたかったからだが、寝台の横に浴槽を置けば良かったと、薄れる意識の中でイーズは自身に苦笑した。
イーズがラーンスの命の火を取り戻しかけている間、ヴェスパに混迷の火種が届いていた。
二人のドラグーンに抱えられて夕闇に帰宅した一人の死体、それを追うように静かに向かってる幌馬車。
「この岩場で待ちたいねえ。砂漠で夜を越すのも悪くない…が、存外早く動くかも」
ロングビスは前金に上乗せして砂金をネズミ型モフルーに渡した。
「毎度。岩場はムカデも来ないから夜くらいなら平気だよ。ねえ、カート」
「おう、ナノ。野営の準備をしろ」
「はいはーい、っと。今日もピコに会えなかったなあ」
「君のようなモフルーの者かい?」
ロングビスの言葉に、くしくしと鼻を撫でるナノは、
「はい、弟なんです。ブルーラグーンからオアシスを巡ります。僕は港待機で依頼によりオアシスを巡るんで、たまにしか会えません」
と笑う。
「それはお気の毒に」
本当にお気の毒に…。
みなみなさま、お気の毒に。
ロングビスは闇に透けて見える空飛ぶ亡骸を、目を細めて見つけた。