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トレジャー・ノート   作者: おーこ
~NAME OF LOVE 編~
9/33

不穏Ⅱ

 エフィが驚いたのは、火災の原因が失火と断定されていることと、タバサ校長とトーレス先生が煙に巻かれて死亡と書かれていたからだ。


 しかも、あの五人のことについては何にも触れられていない。


 真実とは違う報道。


 これが何を意味するのか?


 それを考えるだエフィの背中に何か冷たいものが伝うのを感じた。


 あまりいい知らせじゃない。

 アーネストのこの言葉は間違っている。

 そんな言葉で言い表せるような事態じゃないからだ。


 しかし、深呼吸を一度して、心を落ち着けると、エフィはアーネストの瞳をまっすぐ見た。

「政府レベル、少なくとも、警察が情報操作をする必要があると認められる事件に足を突っ込んでいる。そういうことですね?」


 エフィはあまりの事態の重さに体中からいやな汗が噴き出るのを感じた。


 アーネストは、「そうだ」と言うと、胸のポケットから一枚のチケットを取り出してエフィに渡した。


「これは?」

「ガラ行きの列車のチケットだ。もし、帰るなら今の内――」

 アーネストの言葉が終わらないうちに、エフィはチケットを真っ二つに破って、アーネストを睨んだ。


「タバサ先生は、私の母親も同然の存在です。その先生からの遺言を受けておきながら、この身が危険かもしれないというくだらない理由で逃げ帰るなんて真似はしません! 二度とそんなことは言わないでください!」


 殺気立ち青く光るエフィの瞳からは、今にも涙があふれそうだった。

 今まで冷静だったエフィからは想像もつかないほどの激情。

 全身全霊を使った本気の抗議だ。


 アーネストはまさかそんな激しい拒絶にあうとは思っていなかったので、たじろいで、

「すまない。そこまでの覚悟があるとは思ってなかった」

 と謝った。


「……いえ、私の身を案じてくれているのに……ごめんなさい、感情的になってしまって。母さんが死んだだけでなく、タバサ先生までこんなことになるなんて思っていなかったから……どうしていいか……」

 エフィは肩を震わせ、唇を噛んだ。


「家族は?」

 アーネストの問いに、エフィは横に首を振った。


「いません。7年前からガゾア病で寝たきりの母さんと二人きりで……その母さんも半年前に……」

 その言葉にアーネストはぎょっとした。

 七年前から母親が寝たきりの病気。


 しかもガゾア病と言えば、病気の進行を抑える薬が馬鹿みたいに高価だ。

 その家計と薬代を支える家族は他に存在しない。

 となると、目の前の少女が母の薬代を捻出しつつ、生活の糧を得るための手段は二つしかない。


 一つは売春。もう一つは、学園で学年の上位十人にのみ支給される報奨金をとり続けることだ。

 だが、昨日の眼鏡の件の反応から売春というのはないとして、報奨金を七年連続で取り続けるのも不可能に近い。


 それは才能云々の問題ではなく、「学園より恩を受けた者は、必ず社会に返せ」という不文律により、報奨金受賞者は社会への奉仕活動を活動的にしなくてはならないからである。

 その活動に関わる時間があまりに膨大すぎて、必然的に翌年度の競争からはリタイアすることになるのだ。


 どんな天才でも二年連続で報奨金は受賞できない。と、言われる理由はそこにある。

 だが――。


「エフィ、君は報奨金を七年連続で受賞したのか?」

「はい」 

 アーネストの問いにエフィは短く答えた。


「友はいるか?」

「……昔は。今は、いません」

「そうか……」


 アーネストはふうとため息をついた。

「……ごめんなさい。私を軽蔑してください」

 エフィはうつむいたままそう言った。


 その言葉を聞いて、アーネストは聡い娘だなと思った。

 エフィはたったこれだけの質問を受けただけで、アーネストの意図を理解したのだ。

 そして、自らが七年もの間、学園の不文律を破り続けた事実を、アーネストに看破されたことを察したことのだ。


「軽蔑なんかしないさ」

 そう言って、アーネストは微笑んだ、


 だが、その言葉を拒絶するようにエフィは首を横に振って、アーネストを見た。

「いいんです。私が不義理に不義理を重ねたのは事実ですから。でも、これだけは……タバサ先生の遺言だけはどうにかして叶えたいんです。これは私の最後の戦いなんです!」


 戦い、しかも最後と言ったその言葉に、アーネストは全てを理解した。

 エフィの今までの人生とは即ち戦いとイコールだったということを。


 それ以外に何もないことを。


 敗北はただ一人の肉親の命の灯の消滅を意味するその戦いの勝利は彼女の才能ゆえ結果と断ずるのは簡単だ。


 だが、才能以上に彼女は全てをかなぐり捨てていたのだ。

 かつて友であったものに軽蔑を受け白い目で見られようとも、学園生活が針のむしろのように苦痛に満ちたものでも、エフィは戦い続けたのだ。

 全てを捨て、すべてを懸け、たった一人で。


 そして、彼女は遂に敗北した。


 ライバルではなく、母親を蝕む病魔に。


 彼女の母親の死によって、すべては失われたのだ。


 そして、エフィは敗残者となった。

 敗残者の辿る道は常に無残でみじめで救いがないという残酷な現実に例外などはない。


 だが、タバサは思ったのだ。長年にわたるその努力を、身につけた知識を、積み上げた功績を、すべて風化させたままでいいのだろうか、と。


 教育者として、学園長として、それでいいのかと自らに問うたのだ。

 タバサの出した答えは「否」だった。

 失われるままにしておくにはあまりに惜しく、あまりに残酷だ。


 だが、そう思っても手を出すことができない。

 学園長という立場故に。

 そのジレンマ。


 タバサには今消えようとしているその才能の輝きを再び輝かせる術はなかったのだ。

 手を伸ばせば届くはずの迷い子に、自ら手を差し出せないもどかしさに、幾夜身を焦がし続けたのだろう。

 そして、教育者としての限界と敗北を認める決断を下したのだ。

 それが――


「それが、俺が呼ばれた理由か」

 アーネストは呟くように言った。

 そして、一度車の天井を仰ぎ見ると、エフィに話しかけた。


「エフィ、俺の弟子にならないか?」


「……?」


 エフィは充血した瞳でアーネストを見つめた。


「聖アンドレアリアス学園は優秀な教育をしていると思う。だが、例えば大工になろうとするものに対しての英才教育をする場かというとそうではない。漁師となって魚を多くとる術を学ぶべきところでもない。大工には大工の、漁師には漁師の英才教育の現場が存在するはずだ。エフィ、エフィには自分が何者になりたいか、どうあるべきかの将来の未来予想図はあるのか?」


「…………」


 アーネストのその問いに、エフィは視線を外してうつむいた。

 そう、そのはずだ。

 自らが将来、何者になるかなどと考える暇などなかっただろう。

 今まで考えられたことは母と過ごす「今」だけだったはずだ。


 その「今」すら失われたエフィはいわば白紙のノートのようなものだ。

 過去を失い、「今」も「未来」も白紙のまま手を付けられていないノート。


「もし、何もないならそれでいい。これから、その未知を既知に変えていく旅に出ないか? これでも俺は少しは名の知れたトレジャーハンターでな。その道には詳しい。一人くらい弟子をとるくらいの甲斐性はあるつもりだ。――今となっては証明することはできはしないが、昨日、あの場に俺とエフィが二人呼ばれていたのは、タバサ校長もこの提案をするためだったのではないかと思っている」


 エフィはアーネストの言葉に目をぎゅっとつぶり泣くのをこらえるように涙を流し続けて、

「その決断は……私がタバサ校長に見放されたってことですよね」

 と言った。


「そうじゃなくて、タバサ先生は――」



「違います!」



 エフィはアーネストの言葉をさえぎってぶるぶると首を横に振った。  

「タバサ先生は決して自分から生徒を見放すような人ではありません! たとえそれが私のような出来の悪い生徒だとしても。……私が悲しいのは、私をタバサ先生がその手から離すという決断をするのにどれほど長い間、どれほどの深い苦しみを抱え続けていたのか。どれほどの深い悩みに心を痛めつけていたのか、考えるだけで悲しくて、謝っても謝りきれなくて………………」


「…………エフィ」

 アーネストは泣きじゃくるエフィに無言でタオルを差し出した。


 エフィは涙でぐしゃぐしゃの声で「ありがとうございます」と言うと、タオルを顔に押し当てて、涙を流し続けた。


 ふたり、涙をすする音だけがする沈黙の中、どれだけの時間涙を流しただろうか。

 エフィは涙でかれた声で、

「アーネストさん」 

 と呼びかけた。


「なんだ?」

 と、アーネストが答えると、エフィは、

「このタオルなんか生臭いです」

 と、言った。

 これにはアーネストはばつが悪そうに苦笑して、

「すまんな」

 と言うしかなかった。


 そして、また沈黙のまま、どれくらいたっただろうか、エフィはまた、

「アーネストさん」 

 と、呼びかけた。

 またアーネストが

「なんだ?」

 と答えると、エフィは今度は、

「このタオル妙にかぴかぴです」

 と言った。


 またアーネストは、

「すまんな」

 と言って、苦笑するしかなかった。

 そしてまたどれくらいの沈黙の時間がながれだろうか、エフィはまた、タオルで顔を押さえたまま、

「アーネストさん」

 と、呼びかけた。


 アーネストがやれやれと言った様子で、

「なんだ」

 と答えたが、エフィは沈黙したままだった。


「ん? どうした?」

 アーネストが訊くと、エフィはおずおずと口をひらいた。

「あの……」


「ん?」

「あの、さっきの、弟子の件……考えさせてもらっていいですか?」

「ん……ああ」


 アーネストは意外な申し出にきょとんとした。拒絶されるだろうと思っていたのだ。

「結論はすぐ出すことはないさ。だが、もし弟子になるなら、大サービスだ。タバサ校長がいつも使っていた高級なノートを一冊プレゼントしようじゃないか。先生はよく言っていただろう。自らの人生の宝となることを書き記し残せってな」


 アーネストのその言葉に、タオルの向こうのエフィの顔が笑った……ように見えた。

 それはアーネストの気のせいだったのだろうか?


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