沈黙の司書Ⅵ
エフィとアーネストが第二応接室に戻ると、アンナが、特級司書の決まりについて話し始めた。
「まず、最初に言っておきたいのですが、本の中身については、決まりで伏せられているものなので、特殊開示申請を経ない今の状態では、その内容についてお話しすることはできません」
アンナの説明にエフィは目を丸くした。
「え? それじゃあ、何もできないってことですか?」
「いえ、できることはあります。用語の検索についての質問を受けるこができます」
「用語の質問?」
「はい。例えば、アンナという名前が、蔵書にあるかという質問に対して、同じ記載がなければ『無い』とお答えします。ある場合は、『お答えできません』とお答えします。この答えの差を利用して、お二人が求めている事項を推理して頂くことになります」
アンナの言葉にアーネストがうーんと唸った。
「直接の開示は不可、か」
シェリルが生きていたならば、と思わざるを得ない。
エフィは少し考えると、
「一つお尋ねしたいんですが」
と、アンナに言った。
「はい」
「あなたが記憶してる蔵書と、シェリルさんが記憶していた蔵書は完全に一致しているのですか?」
「はい、同じです」
「そうですか。わかりました」
エフィはそう答えながらも、釈然としない何かを感じていた。
聖アンドレアリアス学園を襲った賊は、シェリルから情報を得て、その情報を元にやってきたのはほぼ間違いないはずだ。
つまり、ジョージ・ロックフォードの遺産は存在するとシェリルは認識していた筈だ。
だが、アンナはそんなものは存在しないという。
ブライアンの様子から見ても、アンナの言葉に嘘はなさそうだ。
この矛盾ともいえるものはなにか。
ただの認識の違いか。
それとも、分析の違いか。
わからない。
だが、エフィの心に焦りはなかった。
きっと何とかなる。
エフィは心を落ち着けるために目をつぶってとすうっと深呼吸した。
そして、自らを鼓舞した。
さあ、勝つんだ! と。
「アーネストさん」
「なんだ?」
「私がアンナさんに質問してもいいですか?」
「ああ、いいよ」
「ありがとうございます」
エフィはそう言って、アーネストに微笑むと、ペンを手に取り、メモ用紙を引き寄せる。
線を一本試しに引いてみるが、そこはVIP用の応接室にあるペンだ。インクのかすれもだまもない。
「いいペンです」
エフィはそう言って、柄をくるりと一回転させると、アンナを見た。
「では、質問よろしいですか?」
「どうぞ」
「では、まず『タバサ』でお願いします」
当てにきた質問だ。
だが、アンナは
「ありません」
と、答えた。
「『タバサ』が、ないんですか?」
エフィは目を大きく見開いた。
動揺は隠せない。
エフィだけでなくアーネストも意外だという表情をしていた。
「それに相当する語はありません。間違いなく」
アンナは冷静に答えた。
特級司書としての自信に満ちた答えだ。
「では、『聖アンドレアリアス教会』は?」
聖アンドレアリアス教会は学園の前身となった教会だ。
「それもありません」
「それも……なら、『ショーン・パルマー』はどうです?」
学園創設に深く関わった銀行家の名前だ。
だが、アンナの答えは変わらず、
「ありません」
だった。
「これは厳しいな」
アーネストは思わず口に出した。
エフィはその言葉に思わず苦笑した。
同じことを思っていたからだ。
エフィの頬に一筋の汗が伝った。
どれくらいの質問を重ねただろうか。
質問の結果が書かれた紙が、山のように高く積まれても、一向に明確な回答を得られている兆しすら見えなかった。
その書類をチェックするアーネストの顔も厳しい。
エフィもアンナも、その顔に目に見えて疲労の色を濃く刻んでいた。
――きっかけすら掴めないなんて
そう思いながらエフィは、
「『ロナルド・ミラー』でお願いします」
と、言ってから、自らの間違いに気が付いた。
この人物の名前があるはずが、ないと。
だが、アンナは、
「お答えできません」
と、答えた。
「え?」
エフィは驚きで、思わずアンナの瞳を見つめた。
「ですから、その名前に関することはお答えできません」
アンナは言った。
アンナの記憶している蔵書の中にあるということだ。
「ロナルド・ミラーが……ある?」
「誰だ?」
アーネストは、エフィに訊いた。
「ヴィンドラインの新聞社の記者です。ジョージ・ロックフォードが少数民族の村を襲い、腕ごと金の腕輪を切り落として奪っていったという記事を書いた人です」
「それが禁書指定されている内容に含まれていて何がおかしい?」
「おかしいですよ。まず、ロナルド・ミラーの主張は本になっていますが、優良図書扱いを受けているくらいなので、禁書とは真逆の存在です」
「ふむ……」
アーネストは書類の山から、発行年月日を確認したアンナへの質問の紙を取り出した。
それによると、グリアス戦争から三年後の書物が最後となっている。
時期的に、それはジョージ・ロックフォードの獄中記出版と一致する。
「同姓同名……か?」
アーネストは言った。
だが、エフィは答えなかった。
無言のままうつむいて口元に手をあて、何かを考え続けていた。
そして、はっとしたように目を見開くと、アンナを見た。
「アンナさん、ロナルド・ミラーの著書を見たいんですけど、どこらへんにありますかね?」
「ロナルド・ミラー……ですか? それでしたら第一棟のBの214の辺りにありますが、それが何か?」
アンナはきょとんとして答えた。
即答で答えるあたり、さすが記憶力に長けた特級司書だ。
「アンナさん、ちょっと待っててください。それから、アーネストさん、一緒にお願いします!」
エフィはそう言うと、飛び出すように第2応接室から出ていった。
「お……おい」
その後をアーネストが追う。
アーネストがようやくエフィに追いついたのは、Bの214の書架の直前だった。
「どうした突然」
息を切らせるアーネストとは対照的に、エフィはつかれた素振りすらない。
「ちょっと、一緒に探してもらえますか? 著者の名前はロナルゾ・マイラーなんですが……ロナルド・ミラーの近くにあるはずです……多分」
「ロナルゾ・マイラー? そのロナルド・ミラーの偽物みたいなのは何者だ?」
「偽物ですよ。ロナルド・ミラーの」
エフィは本棚の本をチェックしながら答えた。
「は?」
アーネストは訳がわからんと言った様子でエフィを見つめた。
だが、エフィはそんなアーネストの反応を意に介さずと言った様子で、
「そっちの反対側の書架のチェックをお願いします」
と、エフィの背中側の書架を指差した。
「お、おう」
その勢いに、アーネストもチェックしだす。
「しかし、自分でこうして探すより、アンナにでも聞いた方が速くないか?」
アーネストが背中越しにエフィに訊く。
「いえ、図書館の本ではないので、司書は知りません」
「?」
「あるかどうかも分からない本なので」
「何?」
図書館の本ではない上に、あるかどうか分からないというのはどういうことだ? と、アーネストがエフィに訊こうとしたその時だった。
アーネストの瞳に、ロナルゾ・マイラーの文字が映った。
「あ、あった」
アーネストがそう言って書架から取り出すと、エフィは、
「へえ、本当にあるんですね」
と言って、その本を見た。
「て……どういう意味だ? そして、コレは何だ?」
アーネストはあきれたような表情でエフィに訊いた。
「大抵の図書館には、司書も知らず目録にも無い本が存在するんです」
「なんだ、なんだ、三文ホラーにでも出てくる呪いの本か?」
「違います。ただの自費出版の本です」
「自費出版?」
アーネストは眉をひそめた。
「ええ、ほとんどは作家になる夢叶わなかった人が、有名作家の本の装帳に似せた本を少数作って、図書館に置いていくというケースだそうですが、中にはこのロナルゾ・マイラーのように明確な意思を以って、組織で図書館に置いていく活動をするケースもあるそうです」
と、エフィは説明した。
「で、なんでそれをエフィは知ってるんだ?」
「『図書館司書の知らない本』っていうタイトルの本があるんですよ。著者がそこら辺の事情を詳しく調べてまとめたものです。それによると、この本は部数が多く見つけやすい部類のものだそうです」
「まさかとは思うが……それも?」
「はい。その本自身が『図書館司書の知らない本』の一冊でもあります」
アーネストは妙な本もあるもんだと思いながら、ロナルゾ・マイラーの本を見た。
確かにその装帳は隣にあったロナルド・ミラーのものと瓜二つだ。
「ふむ、で、これは何だ?」
アーネストはエフィに訊いた。
「元ジョージ・ロックフォードの部下がロナルド・ミラーの記事に対し、証拠を提示し、反論を試みている本、だとか」
エフィの言葉にアーネストは眉をぴくりと上げた。
そして、その本をぺらぺらとめくりだすと、ある1枚の写真に動きが止まった。
見開きでの人物の集合写真だ。
グリアス戦争から10年後のヲンダリーガ村住民集合写真と説明書きが付いている。
「グリアス戦争から10年後のヲンダリーガ村だと?」
アーネストは驚きで思わず呟いた。
「かの有名な腕切りのエピソードの舞台、です。ロナルゾ・マイラー達は、ほぼ滅んだはずの村を訪ね、当時の村長から公印付の『虐殺は無かった』旨の証言も貰ったそうです。それは隣のページに」
エフィの言葉に鋭さが増す。
アーネストがページをめくると、確かにヲンダリーガ村公印と日付、村長の写真が掲載されていた。
更にその隣には丁寧にも公式の村の人口の推移まで掲載されている。
そして、アーネストは一つある疑問が浮かんだ。
「今、エフィ、ロナルゾ・マイラーを『達』って言ったよな?」
「はい。複数――とのことです。裏表紙の内側にその証拠があります」
アーネストがエフィのその言葉通りにめくってみて、それを見たとたん、思わず、「ぐっ」と声を漏らした。
そこには無数の赤茶けた指紋が押されていたのだ。
血判、だ。
この本を作り、図書館に潜り込ませてきた者たちの執念とも言うべき意思が迫りくるようだ。
「ロナルド・ミラーに対するカウンターか」
アーネストは神妙な表情をして言った。
「はい。私は最初、こちらのロナルゾ・マイラーの方が偽書だと思っていました。
けど、これが信じられるものだとするのならば、ロナルド・ミラーの方が偽の事実ということになります。
戦争におけるプロパガンダでは、偽の情報を流すことは基本中の基本ですから、特に不思議なものではありません。ただ……」
「それに害を被る本人が加担しているとしたら、異常な状態だな」
エフィの言葉にアーネストが続けた。
エフィはこくりと頷く。
「はい。ジョージ・ロックフォードは自らの死を以って、偽の自分に不名誉な情報を意図的にばらまいたことになります。これは、一見不合理です。
しかし、それが真実だとしたら、自らの命を賭するに値する理由が存在することになるはずです。それは――」
「「真のジョージ・ロックフォードの遺産」」
アーネストの視線と言葉が重なる。
この推測が正しいなら、「遺産」とは略奪由来の金銀財宝ではなく、むしろ財である可能性は極めて薄くなる。
ジョージ・ロックフォードがその存在を隠蔽し、タバサがその存在を守り続けてきた真の「遺産」は、二人の、いや、ロナルド・ミラーも入れると、三人の意思の在り処こそが重要な代物であると考えて間違いない。
だが、その考えにアーネストとエフィが辿りついてなお、その正体は雲をつかむようで、何も見えてはこなかった。
「……アーネストさんは、その遺産の正体について心当たりありますか?」
不安げな表情でエフィが訊くが、アーネストも顎に手を当てて、「うむ……」と呻くように返事をするだけだった。
二人の間に重い沈黙が流れる。
そして、その沈黙を更に重くさせることがある。
タバサの存在そのものだ。
もし、「遺産」に深く関わっているとしたら、禁書扱いされている本に何らかの形で出てきてもよさそうなものなのに、「タバサ」のキーワードは禁書には存在しない。
極めてプライベートなことを深く記した禁書「ジョージ・ロックフォード自伝」及び、作家による禁書「ジョージ・ロックフォード半生記」にすら登場しないのだ。
この二冊は後のジョージ・ロックフォードの支持者狩りに使われた程の精緻なものなので、これに載っていないということは、関係ないか、関係性が極めて薄い人物と断じて間違いない。
間違いないのだ。
それなのに――。
そもそも考えの方向性が間違っているのか?
エフィの頭にそんな疑念が浮かび、背筋にじっとりとした汗が浮かぶ。
沈みゆく思考の中、何も現状を打破できそうな考えが浮かばない。
と、そんな時、アーネストがぽつりと呟いた。
「改名……」
「え?」
エフィはその言葉にはっとしてアーネストの顔を見つめた。
「聞いたことはないかエフィ。タバサ先生は一度改名をしている」
そう言うアーネストの顔は苦々しい。
「改名……」
エフィはそう呟くとはっとした。
思い出したのだ。
かつてタバサが、
「あなた方の名前は親が愛をもってつけてくれた貴重なものです。その名に込められた愛に恥じぬよう。勉学に励み、この国の礎となるような人物となってください。私はかつて一度、とある理由から母からもらった名前を捨てたことがあります。その痛みは時を経て癒えるどころか深くなっています。あなたたちはそのような選択をすることをなきよう、誇りある人生を営めるよう祈っています」
と、寂しそうに語ったことがあることを。
「タバサ先生は……かつて、その名前が、タバサじゃなかった?」
と、エフィは呆然として言った。
「そうなるな」
アーネストは悔しそうに同意する。
「そんな……それじゃあ、もうここでは情報を追えないってことじゃないですか」
エフィは泣きそうな顔でアーネストに言った。
「ああ。だが、こうなったら仕方がない。遠回りになるかもしれんが、他を当たって外堀を埋めていくしかないだろうな。進むべき道は真っ暗というわけでもなくなったしな」
アーネストはそう言うと、ふうむとため息をついた。
確かに情報はゼロではない。
それなりの成果はあった。
だが、たとえジョージ・ロックフォードの遺産に辿りついたとして、ヴィンドラインの者より遅かったら意味がないのだ。
そのヴィンドラインの者はシェリルから情報を引き出していて、その情報は今アンナから引き出しているような限定的な情報でない分、果てしなく有利だ。
それでも、今は前に進むしかない。
とにかくできる限りの速さで。
その決心を固めたアーネストがエフィに声をかけようとした。
だが、見るとエフィは何か思索にふけっていて、固まっていた。
「……エフィ?」
アーネストは不思議に思い、声をかけた。
「…………ます」
「え?」
エフィの蚊の鳴くような小さな声にアーネストは聞きかえした。
「わかります。私」
今度はエフィはアーネストの瞳を見つめ、はっきりと語った。
その瞳は興奮からかうっすらと蒼く光っている。
今、このタイミングでわかるといったら一つだけ。
タバサの改名前の名前だ。
「わかる? タバサ先生の改名前の名前か?」
「はい」
驚くアーネストとは対照的に、エフィの返事は力強く迷いがなかった。
「聞いたことが、あるのか?」
「いえ、ありません。でも、証明してみせます。戻りましょう」
アーネストは真剣に瞳を見つめてくるエフィの言葉を聞いて、それが何であるかを聞かなかった。
ただ、「わかった」とだけ返事をした。
そして二人は元来た部屋へと踵を返した。
アンナとブライアンが待つ第2応接室へ――。