沈黙の司書Ⅳ
「へええ」
「おおお」
エフィとアーネストは、第2応接室を見て感嘆の声を上げた。
部屋の調度品が大小を問わず全て一流の職人の仕事によるものだと一目でわかるもののみで構成されていたからだ。
「これはわかりやすいな」
「すごく、わかりやすいですね」
二人がきょろきょろと部屋の中を物色していると、こんこんと扉がノックされた。
アーネストが「どうぞ」、と言うと、優雅な清潔感あふれるメイドがドアを開けて、「失礼し
ます」と、言った。
そして、深々と一礼をすると、カートを押して部屋に入ってきた。
美人だ。
普通に生きていてはまずお目にかかれないレベルの美しさの女性だ。纏う空気からして凛とした雰囲気を漂わせている。
「これも、わかりやすい」
「実にわかりやすいですね」
二人は感心したように言った。
「あの……なにか?」
アーネストとエフィの反応に、メイドさんは不思議そうな顔で訊いた。
まあ当然だろう。
本物のVIPならこんな反応はとらない。
「いえ、なんでも。ところで……その紅茶薫り高いですね」
アーネストはメイドさんに近寄ると、鼻をひくつかせて言った。
「はい。紅茶であるのに新鮮なぶどうのような香りが特徴です」
メイドさんはにこやかに答える。
「この茶葉の管理はあなたが?」
「はい。そうです」
メイドさんはそう答えると、ティポットからカップに紅茶に注いだ。先ほど以上に芳醇な香りが辺りに漂う。
「すばらしいですね」
「はい。紅茶の宝石と呼ばれております」
「いえ、そうでなく、あなたの管理が」
「!」
メイドさんは驚いたようにアーネストを見つめた。
茶葉の管理の良しあしなどほめる人間など今までいなかったからだ。
「茶葉は匂いを吸着しやすく、湿気に弱く、月日と共にがくんと風味が落ちるものです。この端境の時期にこれだけの香気を保っているのは、管理が完璧な証拠ですよ。――いただいてもよろしいですか?」
アーネストはティカップに手を伸ばした。
「え? あ、あの、ごゆっくりお座りになって……」
メイドさんは慌てた。
紅茶を立ち飲みするVIPなどいないからだ。
だが、アーネストはそんなことはお構いなしにそのまま紅茶を一口飲むと、
「これはすばらしい。水まで気を使っているのですか? ここの水ではないですね」
と言った。
「そ……その通りです」
メイドさんは目を丸くした。
「ここら辺の水は風味が柔らかすぎて、紅茶をいれるとどうしても雑味まででてしまいますからね。ここまで雑味なく仕上げるには、やや硬めの……西のアタランギの湧水を使っているのかな?」
「はい。その水を使っています」
「こんな細かいところまで気をまわしているとは素晴らしいですね」
アーネストはそう言うと、メイドさんに微笑みかけた。
「いえ、それが私の仕事ですので」
と言うと、メイドさんは照れたように頬を赤らめて笑った。
「いやいや、あなたの仕事に対する真摯な態度の現れですよ。いわばあなたの人格の素晴らしさがこの味をかたちづくっているんですよ」
「ありがとうございます。ここまでほめていただけたのは初めてです」
よほどうれしかったのだろう、メイドさんは少女のようなあどけない笑顔を浮かべた。
アーネストはカップを置くと、そのメイドさんの右手を両手で握った。
「!」
メイドさんが狼狽の表情を浮かべる。
だが、その表情に拒絶の意思は見当たらない。
「ぜひとも、今度、本格的なアフタヌーンティを飲みながらお話でもしたいものですが、いかがです?」
アーネストの言葉にメイドさんは瞳をうるませ顔を真っ赤にして、アーネストを見つめると、恥ずかしそうにうつむいた。
「あの……その……」
「お嫌ですか?」
「いえ……そういうわけではなくて、 その、は」
メイドさんの返事を遮るようにこんこんと第2応接室の扉がノックされ、「失礼します。お待たせして申し訳ありません」と言いながら、アンナが入ってきた。後ろに男性を一人連れている。
その瞬間、アーネストはメイドさんの手を離した。
「…………どうかしました?」
部屋の中を漂う気まずい空気を察知したアンナはアーネストに訊いた。
だが、アーネストは平静を装うと、
「いや、特に」
と言って、来客用のソファに腰かけた。
「それにエフィさんは、部屋の隅でどうしたんですか?」
とアンナが訊くと、エフィは、
「お邪魔しないようにしていただけですよ」
と言った。
その瞬間、メイドさんががっしゃんとカップをプレートの上に落した。
「し、失礼しました」
幸い割れてはいない。
どうやらエフィの存在は完璧に頭の外だったようだ。
アーネストとの一部始終を見聞きされていたという今更な羞恥で、メイドさんはゆでたこのように真っ赤になって、紅茶を注ぐ手もぷるぷる震えている。
「どうかしましたか? 顔が赤いですが」
アンナが眉間にしわをよせてメイドさんに訊いた。
「い……いえ、なんでもありません。申し訳ありません」
「本当に?」
「はい……」
メイドさんは、テーブルに紅茶と焼き菓子を置くと、一瞬、アーネストをちらりと見てから、逃げるように部屋から出ていった。
「本当にどうしたんでしょうね、いつもはとても冷静な方なんですが」
アンナは不思議そうに言った。
「まあ、こういう日もあるんじゃないですか?」
エフィはわざわざアーネストの前を通って、アーネストの足を思いっきり踏みつけると、ソファに座った。
アーネストの顔が一瞬歪む。
「ところで、うしろの男性の方は?」
エフィはアンナに訊いた。
「ああ、こちらは管理官のブライアンさんです」
アンナがそう言うと、ブライアンは無言で一礼した。
いかにも役人然とした面構えをした、がたいのいい人物だ。アーネスト位なら秒殺できそうだ。
「管理官とはどのような仕事をなさっているのですか?」
エフィが訊いた。
「文字通り、蔵書管理業務ですよ。ただ、特級司書付の管理官は、ちょっと他と違いまして、蔵書開示の際の立会いが主業務です」
と、アンナが説明した。
「アンナ、俺、シェリルに蔵書関連で会いに来たって言ったっけ?」
アーネストが言った。
表情はいつもの飄々としたものだが、眼光は鋭い。
「言ってませんよ?」
「では、なぜだ?」
「そうでなければ、いけないからです」
「そうでなければならない?」
アーネストは眉をひそめた。
「六年.私の子供っぽかった体も成長し、努力の甲斐あって姉と同じ職業に就くこともできました。私は、女として、司書として、あの時の姉さんに近づきました。そうなのに……、アーネストさんが私でなく姉さんを指名して、図書のことではない、なんでもない茶飲み話をしに来たとしたら、私は、私は……惨めすぎるじゃないですか」
アンナは声を震わせてうつむいた。
「……」
アーネストはこの言葉に答えることができなかった。
六年。
六年もの間、アンナはすっとアーネストのことを想い続けていたのだ。
幼いなりに、姉の姿の中に見たアーネストの好む女としての形を目指して、自らを磨き続けながら待ち続けていたのだ。
迎えなど来ない、と半ばあきらめを抱えながら。
だが、アーネストは現れた。
かつて会った時、姉と同じ年まで成長した時に。
アンナは心躍った。
きっと、姉にそうしたように、私を見てくれる。私に興味を持ってくれる、と。
しかし、アーネストの口から出た言葉は、
『シェリルに会いに来た』
という言葉だった。
死してなお、姉に及ばないという現実が、
アーネストはアンナに興味など抱いていないという真実が、
アンナに突き付けられた瞬間だった。
六年越しの片思いの終焉。
アンナを支え続けてきた一つの思いの終焉がたまらなく悲しかったのだ。
「アンナさん」
ブライアンがそっとアンナの肩に手を乗せた。
アンナはそっとブライアンに微笑むと、
「大丈夫です。私が幼かった。……ただそれだけです」
と言った。
「あの、アンナさん、よろしいでしょうか?」
重苦しい空気を裂くようにエフィが言った。
「はい」
「たしかに私たちは特級司書としてのシェリルさんに用がありました。しかし、同じ特級司書だからといって、アンナさんが同じことをお願いできるかは別問題だと思うのですがどうでしょう?」
「それは……、この頭の中にある蔵書の種類が違うのではないかということですね?」
アンナは自分のこめかみを人差し指で指して、言った。
その言葉にブライアンの顔色が変わる。
「大丈夫ですよ。ブライアンさん。この方たちは特級司書がいかなるものかはもうご存知です」
アンナの言葉でブライアンの表情が元に戻った。
本来なら触れてはいけない事項だ。
ブライアンが反応するのも無理はない。
「エフィさんの疑問ももっともなものです。しかし、その心配は必要ありません。私が姉の、特級司書シェリル・リンチの後継の司書だからです」
「後継? シェリルは司書をやめる予定だったのか?」
アンナの言葉にアーネストは思わず言った。
「そうです。まもなく家庭に入る予定でした」
「結婚するはずだったのか……」
「いえ、姉は一年前に既に結婚していました。……子供ができたんです。だから……」
その言葉にアーネストとエフィは目を剥いた。
それはつまり――二人……二人死んでいることになる。
シェリルとその子供が。
二人。
「姉は臨月で、本当だったなら、今日が最後の勤務日のはずでした」
アンナの言葉にブライアンの表情が険しくなる。
「手がかりはあるのですか? 例えば、ヴィンドラインの人間が関わっているとか」
「!」
エフィの言葉に、アンナとブライアンが無言のまま驚きで目を剥いた。
エフィはやはりそうなのかと思って、アーネストを見ると、アーネストはエフィに無言でうなずいた。
「一昨日の夜、ですが、聖アンドレアリアス学園に火事があったのをご存知ですか?」
「はい、なんでも失火だとか。煙にまかれ、七人が死亡する惨事になったらしいですね」
「その七人の死因はご存知ですか?」
「煙にまかれたと……新聞には」
「それは表向きです。校長とトーレスという先生はヴィンドラインの言葉を使う人間に殺されました」
「そこでも……」
そう言って、アンナははっとして口をつぐんだ。
「やはり、こちらでもそうなんですね? ヴィンドラインの人間が」
「…………」
アンナは困ったような顔をして、ブライアンを見た。
発言していいかどうか問うているのだ。
ブライアンは、無言でこくりとうなずいた。
許可、だ。
「……その通りです。姉さんが殺された際、10人ほどのヴィンドライン国の人間とみられる者が目撃されています」
「なるほど」
そう言いながら、エフィは背中に冷たいものが走るのを感じていた。
もし同一犯ならば、いや確実に、校長を襲った賊の残りが5人ほどいることになる。
アーネストもそのことに考えが及んでいるのだろうか、表情が硬い。
「いったい目的は何なんですか?」
「私には……アーネストさんはなんだと思います?」
エフィはアーネストに訊いた。
いや、訊いたというより、真相を話していいか確認するために話を振ったという方が正解だろう。
「……」
アーネストはエフィをちらりと見て、一呼吸置くと、
「ジョージ・ロックフォードの遺産だ。シェリルが記憶していた蔵書もジョージ・ロックフォード関連だったと聞く。シェリルから何らかの情報を聞き出した賊が聖アンドレアリアス学園に手がかりを求めたんだろう。ちょうど俺たちの逆ルートを辿ったんだろうな」
と。言った。
だが、アンナは眉をひそめると、
「ジョージ・ロックフォードの遺産? そんなのはただの誤った風説です」
と言って、首を横に振った。
「しかし、事実、私たちはタバサ校長から依頼されたのですよ。『ジョージ・ロックフォードの遺産』について」
エフィは敢えて、核心につながるであろうが、それが何なのかはわからない『守ってほしい』という言葉は言わなかった。
だが、アンナはそれを認めようとはしなかった。
「あり得ません。そんなものは存在しないんです。聖アンドレアリアス学園のタバサ校長のことは姉さんからいろいろと詳しく聞いていましたが、その方とて、間違いをしないわけではないでしょう?」
「しかし、図書館――あなたのお姉さんから情報を引き出した賊がタバサ先生を殺害に来たというのは事実です」
「いえ、だから、それが認識間違いだといっているのです。もし、姉さんから情報を引き出したのなら、間違いなく、ジョージ・ロックフォードの遺産を追うことを諦めるはずなんです!」
「なぜ?」
「この頭の中にある蔵書を――」
「アンナちゃん!」
アンナの言葉を遮って、ブライアンが顔の前で大きく手を開いた。
そのブライアンの静止にアンナは、はっと我に返ると、
「もうしわけありません。秘匿事項に抵触するのでこれ以上は言えません」
と言って目を伏せた。