沈黙の司書Ⅲ
「あ………………」
アーネストは呆然として言葉を失った。
残酷なことに嫌な予感は的中していたのだ。
「殺害は三日前の夜……だそうだ」
「三日前……まさかそ」
「アーネストさん!」
エフィがアーネストに何か言おうとしたのをさえぎるように、背後から女の声で、アーネストの名前を呼ぶのが聞こえた。
二人が、何事かと振り返ると、修道女のような白い衣を纏った17,8位の黒髪の少女がそこにいた。
少女はアーネストと視線が合うと、満面の笑みを浮かべた。
「やっぱり、アーネストさんだ!」
「え、アンナか?」
目を丸くするアーネスト。
アンナは走りよると、その胸に飛び込むように抱きつきた。
「お久しぶりです。六年ぶりですね」
と、はしゃぐように言った後、エフィを見ると、
「こちらは……?」
と訊いた。
「ああ、故あって、今一緒に旅をしている」
「恋人の……方、ですか?」
「まさか」
と、エフィとアーネストの否定の声が重なった。
それを見たアンナは一瞬きょとんとした後くすくすと笑った。
「ま、そういうわけだ」
アーネストは、そう言って苦笑した。
「ですよね。わかってます。もしそちらの方が恋人ならば、六年前の私ももう少しまともに相手にされていたでしょうから」
アンナの言葉にエフィは少し引っかかった。
今目の前にいる少女は間違いなく同年代。
その六年前の彼女と今のエフィを比べるということは、暗にエフィがチビで胸がないといわれているのに等しい。
いや、それ以上に、アーネストだ。
今でさえ人前で抱きつくのを躊躇しないのだ。
当時はまだ幼いアンナにどのように接していたのだろうか?
アンナの『もうすこしまともに相手にされていたでしょうから』という言葉の『まとも』でなかった相手のされ方の、内容の過激さが窺い知れる。
「……ロリコン」
エフィはじとっとした視線をアーネストに送って言った。
「なぜ、今の話の流れでそうなる?」
「なんででしょうね?」
エフィはぷいと横を向いた。
アーネストはやれやれといった様子で頭をかくと、言いにくそうに、
「アンナ、実は今日は、その、……君の姉さんに会いに来たんだが、こんなことになって」
と言った。
その言葉を聞いたアンナの顔から笑顔が消え失せた。
「……」
「シェリルに花を手向けさせてもらえないかな?」
アーネストの言葉にアンナは弱々しく首を横に振った。
「駄目なんです。業務中に死亡と言うことで、家族と、あと首席特級司書の方だけの密葬になっています。明日葬儀が行われるということですが、私には場所も知らされていません」
「え? だってアンナさんはシェリルさんの妹なんでしょう?」
エフィが訊くと、
アンナは寂しそうに首から下げた大きなメダルを持ち上げた。
翼は4枚あり、足が三本ある鷹が刻まれている。
古代メナハウ文明の知恵の神、マトゥだ。
これが刻まれたメダルは特級司書の身分を表す。
「特級司書はその特殊性から、イベントなどに二人同時に参加をすることが禁じられているのです。今回、首席特級司書のゲイル部長が出るので、私は出席できないんです」
「レッドテープか」
本来は禁帯出図書の意味だが、転じて、役人の融通の利かなさを揶揄する言葉でもある。
「いえ、違います」
アーネストの言葉にアンナは首を横に振って否定した。
「本来部長級が一特級司書の葬儀に出るなどあり得ないことなんです。それをゲイル部長は、私に頭を下げて、姉さんに名誉を与えるために出席をさせてほしいと頼んできてくれたのです」
故人の家族に先んじて上司が葬式に出ることの可否は別にして、重要な人物が同じ乗り物に乗らないといったことや、同席を避けるといったことは、組織の危機を管理するうえで非常に重要な事項でもある。
もし一回の事故で、重要人物が何人も死んでしまったら、組織の運営に支障が出るのは必至だ。
故に組織防衛の手段として、最悪を想定して、次善で事態を食い止めるのだ。
これをリスク・マネジメントと言う。
この考えを第一に考えた場合、アンナが葬儀に出ないというという判断は極めて適切ということになる。
「なるほど、シェリルさんって優秀な方――」
「アンナ・ファーガソン」
エフィの言葉を遮って、有無を言わせないという迫力を持った年配の女性の声が、アンナの名前を呼
びかけた。
「は、はい!」
アンナは声の主の方を向いて、直立不動になった。
一気にその顔が青ざめる。
エフィとアーネストもそちらを見ると、顔面にその内面の厳しさがにじみ出ているような年配の女性が立っていた。
首からマトゥのメダルを下げているので、アンナと同じ特級司書であるが、身にまとっている衣が黒だ。
アンナの態度を見るに、上役のみに許される衣なのだろう。
「アンナ・ファーガソン、こちらの方々はお知り合い?」
丁寧だが、威圧するような言葉で、彼女は言った。
「は……はい、リネット司書長。姉の……いえ、シェリル・リンチ特級司書の古い友人でして、私とも面識がある方々です」
「シェリル?」
リネットの視線がアーネストに向かう。
「初めまして、私、アーネスト・クレンデネンと言います」
「初めまして、エフィ・キャンベルです」
と、二人はぺこりと頭を下げた。
「アーネスト……クレンデネン?」
リネットの動きがぴたりと止まった。
「何か?」
「シロン川文明におけるミゴスタ朝第2代、第4代の王墓の発見と、石刻文字の解読法を作成した……考古学者のアーネスト・クレンデネン先生ですか?」
その言葉にエフィとアンナはぎょっとした。
「ええ、ご存知ですか」
「もちろん。あんな重要な発見をなさった方がこんなにお若いとは思いませんでした」
と言って、リネットは笑った。
それを見たアンナは青を通り越した白い顔で「わら・・・・てる」と呟くように言った。
それを見たエフィは、珍しいでは済まないんだろうなと、妙に納得した。
「いや、あの手柄はほとんど別の方のものでしてね。最後の一歩を私が踏んだだけみたいなものです」
「確かにアームストロング教授との連名でしたね。第2王墓の発見の翌日にお亡くなりになったとか」
「よくご存じで」
「もちろん」
と、リネットはアーネストと笑顔で会話をしていたが、アンナの方を向くと、急に無表情になった。
「アンナ・ファーガソン」
「は、はい」
突然呼ばれ、アンナは飛び上がらんばかりに驚いた。
「このような通路ではなく、第2応接室で先生の応対を。それから、くれぐれも粗相のないように」
「は、はい」
アンナはどもりながら返事をした。
第2応接室は、第2とはいうものの、実質最上級のVIP用の応接室だ。
リネットがアーネストをどれほど賓客扱いしているかがわかる。
ちなみに第1応接室は王族、法王以外に使われることのない別格扱いである。
「それでは、私は戻らねばなりませんのでここで」
と、リネットは深々と一礼をすると、くるりと振り返り、カツカツとヒールの音をさせて去って行った――と思いきや、途中でくるりと振り返り、
「アンナ・ファーガソン」
と言った。
「は、はい!」
と、アンナがまた直立不動になる。
「あなたは今、司書規則を二つ破りました。それが何かわかりますか?」
アンナは直立不動のまま、
「図書館司書法第33条、私的理由での騒乱の禁止、及び、図書館司書法第44条指私的由での通路占拠の禁止、です」
アンナの言葉にリネットは小さくうなずくと、
「わかっているのなら、よろしい。あなたのミスがクレンデネン先生の名誉を傷つけるところだったのを自覚して、次にはこのようなことがないように」
と言って、踵を返すと、ゆっくりと去って行った。
エフィはその後ろ姿をきょとんとして、見つめていた。