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トレジャー・ノート   作者: おーこ
~NAME OF LOVE 編~
11/33

不穏Ⅳ

「それ……だれかに教わったのか?」

「死んだ父に。本当は、素早い鳥や獣を狩猟する時のものなんですが、父が死んでからは獣を狩るのにクロウを投げたのは一度か二度ですね」


 エフィの言葉にアーネストは「へえ」と声を上げた。そして、

「その割にはずいぶん慣れた感じだが」

 と、続けた。


「……」


 アーネストの言葉に、エフィは一瞬口をつぐんだ。


「獣には……投げてはいませんけど、私を狙う暴漢はたくさんいましたから」 

「ああ……」


 学園の生徒がエフィに対しの無法を黙認していたのは想像に難くない。

 一歩進んで、無法を推奨していたとしても不思議ではない。

 組織がはぐれ者に見せる残酷さは時に常軌を逸脱する。

 その逸脱した行為が日常茶飯事だったということだ。


――運命はどこまでもエフィに困難を与え続けているのだな。

 アーネストはそう思いながら横目でエフィを見た。

「暴漢に、何度も報奨金を奪われた末に会得した投擲ってわけか」


「いえ」


 エフィはアーネストの言葉を否定して、一呼吸おいてから次の言葉を続けた。

「報奨金を奪われたことは一度もありません(・・・・・・・・)」


「何?」

「暴漢が狙うお金は母さんの命そのものでしたから、奪われるわけにはいかなかったんです。……だから徹底的にやりました……そして、ついたあだ名が『血塗れエフィ』です」


「!」


 アーネストは驚きで目を見開いた。

「いつも殺す気でやりました。誰も死ななかったのは、たまたまです」

 エフィはそう言って、切なそうにうつむいた。


 まるで罪の告白だ。

 いや、まるで、ではない。

 エフィから見れば、それは自らの悪を罰しにきた正義の使者を討伐した罪の告白そのものだ。


「…………」 

 アーネストの脳裏には、かつて立ち会ったある殺人事件の顛末が再生されていた。

 それは、ある男が刺し傷大小合わせて100以上というめった刺しにされて殺された事件だった。


 こんな残忍な殺し方をするのはどのような殺人鬼かと思われたのだが、この事件の担当をした老刑事は、大方の予想に反した意見を出した。


 彼は犯人は女であると推測したのだ。

 彼曰く、強者は活殺を自在に操れる。殺す気になれば一撃二撃あれば十分だ。だが、弱者は違う。自らが弱いことを知っているから、過剰に傷つけずにはいられない。反撃を恐れる故に、過剰に攻撃せずにはいられない、と。


 かくして、男が殺された日から姿を消した恋人が指名手配され、当時バウンティハンター稼業をしていたアーネストは、その女を追い、ついに追い詰めることに成功した。


 だが、アーネストはその女を一目見るなり愕然とした。


 どれほどあの(・・・)に殴られ続けたのだろうか、体中に青あざが残り、左目は失明寸前だった。元は美貌を誇っていたはずの顔にも苦労の跡が刻まれ、実年齢より15は老けているようだった。

 弱者、間違いようもない弱者の姿がそこにあった。


 彼女はアーネストが何者であるか理解していても、もう逃げようとはしなかった。

 それどころか、自ら両手を差し出したのだ。


 アーネストはどうしてもその手に手錠をかけることができなかった。

 彼女がほんの少しでも抵抗して、走り去ろうとするならば、それを追う気さえなかった。


 しかし、その彼女はどうしようもなく立ちすくみ、苦悩するアーネストに向かって、

「私を助けてください」

 と微笑んだのだ。


 もう逃げる気力すら失い、逮捕という行為に救いを求めてきたのだ。

 その女の姿にエフィの顔が重なった。


 エフィは、今までどれほどの人を傷つけてきただろう。

 今まで、どれほどの血を流してきただろう。

 今まで、どれほどの際限のない暴力を振るってきたのだろう。


 弱さゆえに。

 弱さゆえに、エフィは血塗れにならなくてはならかった。

 その声なき慟哭は誰が知るだろうか?


「レベッカ・コリーニ」

 アーネストは思わず、その名を呟くように言った。

 あの日、アーネストが追い詰めた猟奇殺人者たる女の名だ。


「誰です? それ」

 エフィからしてみれば、突然脈絡もなく出てきたように思える名だ。何かと思っても不思議はない。


「いや……古い知り合いでな、ちょっと思い出したんだ」

「昔の恋人……ですか?」

「いや……違う。……エフィ」

「はい」


「いままでの人生で後悔とか……あるか?」

「え?」

 突然の問いに、エフィは目を丸くした。


 そして、少し考えると、

「ある……のかもしれません。でも、正直それがなんなのかは正確にはわからないというのが本当のところです。今まですっと、『今』しか考えてきませんでしたから。……あと何年かたったら、その過去を整理することができるかもしれません。その何年が十年、二十年、もしかしたら、死ぬまでわからないかもしれませんが」

 と、言った。


「そうか……」

 アーネストは、そうとだけ返事をした。

 そんなものなのかもしれない。

 そう思ったのだ。


 アーネストも、学園を飛び出してからは必死で生きてきた。その中で、失ったもの、切り捨ててきたものは山ほどある。

 いや、当時は失ったとも切り捨ててきたとも思ってはいなかった。

 年を経て、振り返った時に、そうだったと気が付いたのだ。


――過去を振り返るとは、俺も年をとったのか。それとも余裕ができたのか。

 アーネストは自嘲気味に笑った。

「人生とはままならないものだな」

「ええ」

 アーネストの言葉にエフィはそうとだけ答えた。


 エフィはアーネストのその言葉に何を思ったのだろうか。

 そして、その言葉を最後に車内に長い沈黙が流れた。

 時折、道路の凹凸をでがたん、がたんとと車体がゆれる音だけがする。


 その沈黙を破ったのはアーネストだった。


「エフィ」

「はい」

「昼飯はちょっと豪勢なものを食うか。ごちそうするよ」


「どうしたんです? 突然」

 エフィは驚いたように訊いた。


「大した意味はないさ。気分転換だ。気分転換にはうまいものを食うのが一番だと偉い先生も言っている」

「偉い先生って誰です?」

「トーレス先生」

「やっぱり」

 エフィはくすくすと笑った。


 トーレスの食道楽は学園でも有名で、食べ物と葡萄酒に関して質問して答えがかえってこなかった試しがないという半ば伝説化したくいしんぼうだった。


 なつかしい。

 そう感じる笑いが少しさびしい。


「なにかリクエストはあるか?」

 アーネストの問いにエフィは少し考えると、

「この先は、チカオウェノですよね」

 と言った。


「チカオウェノか」

 アーネストは、ははあと声を上げた。


 エフィの言わんとしてることを理解したからだ。

 チカオウェノは大手のハムメーカー一社とその周辺産業で成り立っているような街で、良質の肉が世界からやってくることで有名だ。

 なので、名物料理はハム――ではない。


 ハムはあくまで売るための商品であり、チカオウェノでは、食べるものとしての認識は薄い。

 この街の名物料理は、ハム製造時に出る良質な豚と牛とラムの切り落としのくず肉を利用したミートローフなのだ。


 肉をミンチにして、香辛料とパン粉、卵を混ぜ、成形した後、オーブンでこんがりと焼くといったお約束があるだけで、工夫を重ねたこの料理の亜種は世界に数限りなく存在する。だが、この街の名物ミートローフは至ってシンプルだ。


 大ぶりのミートローフの上にトロトロに溶けたチーズを乗せ、グレービーソースをかけるだけという単純な組み合わせだが、その味わいは実に至福で、肉料理の頂点とまで絶賛する美食家がいるほどだ。


「決まりだな」

 アーネストがそう言うと、エフィはにこっと笑って、

「はい」

 と答えた。


 エフィのその笑顔を見たアーネストは、

「機嫌は直ったようだな」

 と言って、エフィを横目で見た。


 だが、エフィは不思議そうな表情をすると、

「機嫌が直った? べつに今日は機嫌がわるいなんてことはないですけど?」 

 と言った。


「え? さっき、俺の悪口言ったのは……」


「悪口? なんて悪口ですか?」

 エフィは本当にわからないという表情で、アーネストに訊いた。


「いや……さっき……」

 汗臭くて、ほこりっぽいって……、そう言おうとして気が付いた。


 悪口じゃない、と。


 エフィは本気でそう思っていた、と。


「なんてこったい」

 アーネストは参ったといった表情で思わずつぶやいた。


「は?」

 エフィはますますわからないといった表情をした。


「いや、なんでもない。俺の思い違いだった」

 そう言いながら、アーネストはぐるぐると考えを巡らせていた。

 確かトランクに洗濯したてのシャツと下着が入っていたな、靴下も変えるかといった考えだ。

 今の服のにおいは隣のお嬢様のお気に召さないようだからだ。


「あ、チカオウェノの街の案内表示ですよ」

 エフィが嬉しそうにぽつんと見えた木製の看板を指差した。

「あれが?」

「ええ」


 アーネストが目を凝らしても文字は読めない。

 徐々に看板に近づいて、その看板に、

『ようこそチカオウェノの街へ』と書かれているのを確認すると、「へえ」と思わずつぶやいた。

 夜目が効くだけでなく、視力も相当なものだと感心したのだ。


 アーネストがちらりと横目で見ると、エフィは、ミートローフが待ちきれないのだろうか、鼻息荒く、目を輝かせて微笑んでいた。




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