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きーどあいらっく!  作者: 倉石さん
4/12

第一幕 第三章 『契約』

この物語は以下略。

先程までの浮ついた熱。

自分のみが助かってしまったという喜び。

両親を殺された事に対する、また喜びを感じる自己に対しての怒り。

ただ無力な自分に対する哀しみ。

俺の目の前に突然現れたこの女と、話して感じた、久々の楽しいという感覚。

それら先程まで感じていたはずの全ての感情が、まるで元から無かったかのように消えうせ、代替として感じるのはただ、冴え渡る思考と一層深まった夜の静けさだった。

「ふむ……。」

「契約は成立した、でもまだ終わりじゃないわ。あとは貴方が契約を果たすだけ。言うなればこれは前払いね。」

「わかっている。守護を代替として、(かたき)の情報を得る。それで間違いなかったな?」

こくりと頷いた女は先程までより一層怪しげな笑みを浮かべる。

嘲笑っているのだろうか。

こうも易々と得体の知れない者との契約を飲んでしまう愚かな人間を。

だが俺は悔やまない。

いや、契約後の俺が悔やむ事が出来ないであろう事を予想した上で、契約の前の俺は契約を結んだ。

 

―――一切の迷いを失くし、己の目的をただ果たすために。


 人は言うだろう。

 復讐は何も生まない。

 復讐なんて意味がない。

 

そんなのは真の憎しみを背負った事の無い人間の綺麗事だ。

事実世界には争いが溢れている。

 

ただ、俺が求める復讐がどのような形になるのかは、契約を結ぶ前の俺も、今の俺でさえも分からない。

俺はただ、目的として作業的にそれを行う。

 

未だ嘗て誰が行っただろうか。


憎しみの無い。

いやそれどころか、達成した時の喜び、安堵、哀しみ、その全てが存在しない復讐など。


天使や悪魔でなくとも嘲笑って当然なのかもしれない。


冴え渡った頭ですら答えの及ばぬ意味の無い思考を区切り、ただ俺は女に問うた。

 

―――それで、その少女というのは、何処に、何時現れるんだ。





それから一週間後、俺はリンと出会った。

気を使い家に住まわせてくれると言っていた話を断り、事故現場となった自宅にそのまま住まう事にした俺を、祖父母は止めなかった。

それどころか困った時には相談しろと、毎月の仕送りまで請け負ってくれた。

俺は表面上に繕った笑いで、有難うございます、と一言だけ告げて、病院を後にした。

もちろん頭にあるのは復讐を遂げる上での障害をいかに減らすか、というただ一点のみだった。

何よりあの女との契約を履行するのに同居人という存在は邪魔なだけだった。

 

自宅に戻り、再び玄関の前に立つ。

沸き上がる物はもう無い。

何の感慨も無く鍵を捻り、扉を開く。

既に事故現場の形跡は跡形も無くなっており、家の中にはただ静寂のみがある。

数日間、人が存在しないだけで家というのは直ぐに寂れてしまうものだ。

所々に積もった埃を見て掃除の必要性を感じる。

冷蔵庫の中身も、生ものの類はあやうくなっているはずだ。

幸い春休みはあと一週間程残っている。

家を片づけるのにも、また他の色々な準備をするにも時間は十分にある。

そう、目的に対する、色々な準備だ。


家の片づけがあらかた済んだ時には既に夕方の五時に差しかかろうとしていた。

ちなみに先程の整理で冷蔵庫はほぼ空っぽ状態である。

「ふむ、今からなら業務用スーパーひぐらしのタイムセールに丁度間に合うか。」

業務用スーパーひぐらしとは、夜永家から徒歩五分というお手軽距離にして、酒を含む飲料、生鮮食品、冷凍食品、調味料、お菓子類、雑貨類、果てはペッドフードまで手広くカバーしている、地域の味方だ。

お値段も主婦の皆様が納得できる物である事請け合いである。

時たま全国最安値!と書かれた商品ポップを見かけるのだが、信用して買ってはいるものの実際最安値を記録しているのかどうかは定かではない。


ひとまず夕飯の食材を買いにひぐらしへ向かう。

家の前を伸びる街路を東へ。

大通りに出たら北へ向かってまっすぐ進めばもうひぐらしだ。

ちなみに大通りを挟んで向かい側にコンビニが見えるが、いかんせんひぐらしに客を持って行かれるのか、余り繁盛はしていない様子だ。

近所の学生は割と利用しているようだが、学生の財布などたかが知れている。

学生による万引きと売上、どちらが上かという所だろうか。

店主も人のよさそうなおっさんで、監視カメラモニターを熱心に見詰めているかと思えば、実際は野球中継を見ていたりする様な人である。

それは万引きも増える事だろう。

ちなみにこの辺りは余り治安が宜しくない。

夜は必ずと言って良いほど酔っ払いの怒号が聞こえて来るし、警官も毎夜見回りをしている。

そんな中で我が家の事件があったのだ、スーパーで奥様方は噂話に必死のようだった。

当然、俺がスーパーに入ると少なからず視線が集まる。

まぁ特に何か感じいるものがあるわけでもないので、目的の商品をテキパキと籠に放り込む。

ヒソヒソと周りの声が聞こえる中、誰かが俺の肩をトントンと叩く。

振り向くと、母親と良く世間話をしていた近所の叔母ちゃんが立っている。

化粧気の無い、人好きのしそうな人で、昔は良く飴などくれたものだ。

「ごぶさたしています。」

無表情にそう言い軽く頭を下げる俺に、何か雰囲気が変わった?などと心配そうに声を掛け、御悔みの言葉と、困ったら何時でも相談しろとの内容を告げると複雑な面持ちで清算に向かっていった。

愛想笑いの一つでも返しておいた方がよかっただろうか。

無表情でも当然と言えば当然なのだろうが、過度に心配を掛けるのは度を越した干渉を招き、目的の進行を阻害する可能性もある。

清算を終えた俺は周りの人間に対する対応パターンを考えながら家への帰路に付いた。

しかしふと気付く。

スーパーを出た頃だろうか。

誰かが、自分の後ろを付いてきている事に。

幾つかの可能性を考慮するが、思いつくのはご近所さんよりも例の神父の仲間である可能性だ。

俺が一番気になっていたのは何故俺の両親が殺されたのかという事だ。

警察が口にしていたのは、形跡から物取り目当ての犯行ではないとの事と、実は最近この界隈で通り魔殺人が数件起こっているという事。

だが、その犯行はどれも路上で行われており、押しかけ殺人という形で、それも真昼間からというケースは稀に見る物だったらしい。


もし、何らかの目的を持って両親を狙っていたとするなら、俺を再び狙ってくる可能性もあるという事。

だとすればこれは好機だ。

俺は大通りから小道へ右折する曲がり角で、一度小道に姿を隠す。

恐らく相手は俺の家を知っている。

ならば曲がり角を曲がった後も直進してくるはずだ。

顔を確認して、怪しい様なら即行動に移す事も考慮に入れ、先ほど鞄に入れておいた果物ナイフを確認する。

数十秒すると、コツコツとコンクリートを踏む音が段々と近付いてくる。

影は日の光が相手と対面であるため見えない。

小道の電信柱に姿を隠したまま相手が出て来るのを息をひそめて待つ。


しかし、最初に見えたのはヒラヒラと揺れる白いワンピースの裾だった。


そして予想していた高さよりかなり下に、恐ろしく整った顔立ちが現れた。

「女の子…?」

ふと頭に過ったのは女と交わした契約だ。


―――これから近いうちに、お前の前に少女が現れる。それはもう間違えようのない程に美しい銀髪の少女だ。お前にはそれをただ護ってもらう。


歳は十歳前後といった所だろうか。

外見は……確かに、見紛う事がないレベルだ。

それに銀髪の女の子なんてそうそう居るものじゃない。

少なくとも俺は初めて見た。

日本人の顔に銀髪なんて似合うはずもない。

だが多少ハーフを思わせる様な凛とした顔づくりに、作り物とは違う一本一本が絹糸の様な光沢を持つ髪はこれ以上も無く映えていた。

俺が潜む小道の前を通り過ぎた女の子は小鳥の様に忙しなく辺りを見渡しながらその先、自宅に向かっていく。

それにしても、この辺りの治安の悪さを鑑みるに、こんな小さな女の子に独り歩きをさせるとは、あの女いったいどういうつもりだ。

小道から出た俺は、通り過ぎた少女の後を追う、が同時に違和感にも気付いた。

普段ならこの時間帯、この通りは夕飯の買い物に出る人々である程度人通りがあるはずなのだが、少なすぎる。

ふと目に入った通路の突き当たりに止められた、見慣れない黒塗りの高級車。

視線を戻せば少女は何かのメモと家の表札を何度も見比べている。

間違いはない、だが余裕もないな。

早歩きで少女に近づいた俺は、

「取り合えず話は中でしよう。」

そう囁き掛けて女の子の手を優しく取り自宅の鍵を開け中に入れる。

いきなりで驚きを隠せないままに手を取られた女の子は俺の不出来な笑顔を見てどう思ったのか、ひとまず黙って頷き、成されるがままに我が家の敷居をまたいだ。

自宅に入った俺はひとまずチェーンロックを含めた全ての鍵を掛ける。

そして一度しゃがみ込み女の子と視線の高さを合わせる。

前何処かで読んだ子供に対する対処法だ。

正直半信半疑だが、やらないよりましといった所だろう。

「名前は?」

「ふぇっ?えと……えと……。」

どうやら余り効果が無かったのか、それとも俺の無表情が怖いのか、帰って来るのは戸惑いのみだ。

「ふむ……。」

行き成り名前を聞くのは不躾だっただろうか。

何より子供の扱い等、本で読んだ中途半端な知識があるのみで、あとはてんで素人である。

しかも状況が状況。

もしこの少女があの女の言う少女でなければ、あっというまに警察のお世話になってもおかしくない。

改めて少女を見る。

十前後の子供にしては整い過ぎた顔立ち。

腰元まで伸びる美しい銀髪は揺れる度に鈴と鳴る様な錯覚を抱かせる。

しかし今その表情は硬く、怒られた後の子犬の様で、視線は落着かず低空飛行、おまけに両手は腰の前で組まれている。

その動作、仕草から受ける印象は、不安。

俺にそういった感情事体を理解する事は出来ないが、子供が不安を抱きやすいというのは理解できる。

そういえば、と先程の買い物した袋の中身をガサガサと漁る。

「あった、いるか?」

そういって取り出したのは一本のスティックキャンディーだ。

ゆっくりと、少女の前にそれを差し出す。

「……うん。」

そう返事し、おずおずと飴に手を伸ばす女の子。

俺は女の子の頭の上にポンと手を置いて、ゆっくりと撫でる。

「取り合えず今は何も聴かん。お前がしたいようにしろ。だから、話したくなったら色々と事情を話してくれるか?」

「…うんっ。」

先程とは違い、ある程度直ぐに帰って来た返事。

表情もいくばくか和んだ様だ。

頭を撫でられて擽ったそうに目を細める女の子を見て、俺は無言で頷いて腰を上げ、リビングへ向かう。

「何時までも玄関に居るわけにもいかん、こっちでゆっくりしないか?」

背後に向かって声を掛けると、トテトテという足音が聞こえる。

そして今更に気付く。


―――少女の頭を撫でている時、自己の意識とは関係なく、余りも自然な、『作り笑い』を浮かべていた事に。


「リン。」

彼女がそう呟いたのは俺が夕食を作り終わってニュースを眺めながらお茶をすすっていた時だった。

「名前か?」

「うんっ。」

先程のスティックキャンディーを咥えながら、なんとも言い難い表情でニュース番組を眺めるリンと名乗った女の子。

「良い名前だな。」

そう答えるとリンは初めて俺に、その鈴の音色のような笑顔を見せた。

ああ、確かにこの笑顔は名前にぴったりだな、と思う。

苗字は何なのか、何処から来たのか、親はどうしたのか。

聴きたい事は山程あったが、それはひとまず飲み下し、俺はリンを夕食へと誘った。

それが計ったようにリンのお腹が小さく鳴るのと同時で、少女はにかむような笑顔を浮かべた。

さて、今日の夕食のメニューはまさか女の子を拾うとは思っていなかったために割と質素なメニューとなっている。

といっても、炊き立ての白御飯、湯気を立てる合わせ味噌の味噌汁。

ここに塩鮭の焼き物とキュウリの漬物。

これだけあれば日本人は生きていけると言っても過言では無いと思う。

ふむ、朝食のようなメニューになってしまった。

そんなありふれたメニューを眺めるリンの目はまるで初めて見る食べ物を前にしたが如く、輝いていて、うあーと開ききった口からは若干涎が垂れかかっている。

「おい、涎。」

「っへ!?うわわっー。」

無意識だったのか慌てるリンの口元を暖かい布巾で拭いてやる。

するとリンがじーっと此方を見つめて来る。

お預けを喰らった犬の様な顔をしている。

「なんだ?」

「……食べていいの?」

「俺が一人で食うには皿が多いと思わないか?」

「わかんない、もしかしたら両手を使って食べる人なのかもしれない……!」

「残念ながら両手で箸を使えても口が一つしか無いからな。」

「そっかなるほど……!じゃあ、頂きますっ!!」

そういえば若干ハーフの様に見えるが、箸は使えるのだろうかと、少し気になって見つめてみる。

「んむんむ、じゅるじゅる、ポリポリ。」

見事な箸捌きだった。

「箸、使えるんだな。使い方も綺麗だ。」

「んむっ?……ごっくん。」

「ああ、別に急いで答えんでいい、良く噛んで食え。」

「もう飲んじゃった。よくわかんない、けど使えたっ。」

「ん?親から教えてもらったのかと思ったんだが違ったのか。」

「うん、パパもママも誰かわかんない。」

まずい事を聴いたのだろうか。

丁度いいから今聴いてみるか。

「いないのか?」

「うーん、わかんない。覚えてないの。」

あまり考え込んだ様子も無く答えるリン。

「覚えてない?どこから来たのかとか、そういう事もか?」

「うんっ。リン気付いたら人がいっぱい居るお店の前に立ってたの。

覚えてるのはメモのお家に行くって事くらい?」

そう言えば、リンは出会った時あのメモ一枚しか持っていなかった。

ふむ、よくわからんが、まぁいいか。」

そう言って俺も自分の分の食事に箸を付ける。

うむ、今日の味噌汁は良くできている。

味噌汁はやはりおあげとネギと豆腐の味噌汁に限る。

そんな俺の顔を不思議そうに見るリン。

「……いいの?」

「何がだ?」

「ふつうのひとは誰か知らない人をお家にあげたりしないんでしょ?」

「まぁ普通の人はな。」

「それにリン、名前もまだ聴いてない。」

「俺の名前は夜永 契だ。」

「ちぎり……?。」

「ああ、ちぎりお兄ちゃんとでも呼んでくれ。」

「うーん……。」

考え込む事の多い子だ。

俺は気にせずに鮭の切り身と御飯を口に運ぶ。

塩鮭と白御飯の相性はどうしてこんなにも素晴らしいのだろうか。

「ちぎりお兄ちゃん、パパ……?みたい。」

「覚えてないんじゃないのか?」

「うーん……、でも何だかそんな感じがしたの。」

「ふむ……」

「パパって……呼んでもいい?」

上目遣いでそう問われる。

パパか、何か色々問題があると思うのだが、取り合えず今は呼びたい様に呼ばせておくか。

「まぁ、取り合えずはそれでもかまわん。」

それにきっとどこかで、父親を求める子供心というのがあるのだろう。

とりあえず自分をそう納得させるのだった。


さしあたっての問題が、呼び名なんて物では無かったことに、俺は食器の片付けを終えた辺りで気付いた。

「リン、風呂沸いてるから入ってこい。」

「わかったー。」

とてとてとお風呂場に向かっていくリン。

生活に必要な個所については既にリンには教えてある。

だが誤算だった。

「パパ……入らないの?」

リビングの扉から少しだけ顔を出してそう聴くリン。

まず頭を過ったのは赤い回転灯を付け大きな音を鳴らす白黒の車だ。

だが傍目から見て、見ず知らずの女の子を自宅に連れ込んでいる時点でそのラインは通り過ぎているだろ。

それに見るからにリンはまだ子供だ。

「一人で入れないのか?」

一応、最後の抵抗として尋ねる。

「多分……入れるけど……怖い……。」

まぁ、世の中には中学生になって一つ違いの兄妹で一緒にお風呂に入っているような奴もいる。

それほど大きな問題じゃないか。

結局はそう甘んじる事にした。

「しょうがないか。ただ、基本は一人で入れるように慣れるんだぞ。」

そう答えると、リンは花の咲くような笑顔でお風呂場へと走って行った。

そう、女の子と一つ屋根の下で暮らすのだ。

こういう事がこれからも多々あるかもしれないという事を余り考えていなかった。

まぁ、当然の事ながら、未成熟で無邪気なリンの体に対して俺が何か邪な感情を抱く事は無かった。

正直言って、リンは可愛い。

もしも反応してしまったらストレートに生理現象だと説明して良い物なのか、多少だが真剣に悩んだのは杞憂に終わったというわけだ。

風呂からあがり、ソファーでリンの髪の毛を乾かしてやる。

こうしていると一五歳にして本当に一児の親になってしまった様な気になって来る。

周りから大人びていると言われた事はあるが、それは物心ついた時からの割と無感動な性格と歳の割にはずんずんと伸びてしまった身長のせいだろう。

自分でも同い年と比べれば割と達観した方ではあると思っては居るが、それでもまだ人生の経験不足を補う事が出来ないのは口に出して言うまでも無い。

 

「パパっ、髪乾かすの下手っ!」

「む、すまん。」

こういうのはドライヤーを少し離して当てながら髪を適当にがしがしとやれば乾くとだけ考えていた俺に、その言葉は嫌に深く突き刺さった。

何だろう、この敗北感。

男としての何かを大きく抉られた様な気がする。

「不慣れなんだ、どうすればいいか教えてくれるか?」

「うんとね、もうちょっとだけ優しくして?」

そう上目遣いで言われ気付く。

この子はまだ世に出しては危険だ。

色々な意味で。

天然というか、穢れを知らなさすぎるというか。

この歳にしてこうも誘っているような、女の香りを匂わせる仕草を身につけているとは、何とも末恐ろしい。

俺が色々と欠落してしまった人間でなければ多少危なかったかもしれない。

ときに、季節はもう春とはいえ、気候はまだ若干の冬を残している。

余り薄着では風邪をひいてしまうし、残念ながら女の子用の寝間着など用意できなかったため、何故か俺のクローゼットの奥深くに合った鳥類を模したきぐるみのようなパジャマをリンには着せている。

のだが、どうにもそのチョイスがリンの破壊力を増幅している節があった。

「こうか?」

先程までと違い、手櫛で髪を軽く梳くようにして流しながらドライヤーの風を当てる。

どうやらそれでお気に召したらしく、頭を撫でられた時の様に目を細めて大人しくするリン。

髪を梳くたびにシャンプーの香に混じって不思議な香りが鼻腔を撫でる。

金木犀の様な、干したての布団の様な、何とも形容しがたい香りだが、間違いないのはその香りで多少心安らぐ自分が居る事だろうか。

同時にこの感情は危ない物では無いのだと、自らに機械的に言い聞かせ、髪を乾かし終える。

「リン、大体終わったぞ。」

「……ふみゅぅ……。」

「リン……?」

気付けばリンは人の葛藤など知る由もなく。座った姿勢のままで眠ってしまっていた。

天使の様な寝顔、というには少々涎が垂れて来ている。

ティッシュで軽く口元を拭いてやり、二階の自分の部屋のベッドまで起こさないよう慎重に運ぶ。

流石に亡くなった両親の部屋に寝かせるのは気が引けたのだ。

そして俺は自分の部屋の床に布団を敷いた。

寝る前に家中の電気とガスのチェック、そして戸締りの確認を忘れない。

最後になった自分の部屋の電気を消し、自らも床に就く。

だがその前に、リンの寝顔をチラリと除く。

これから一緒に生活する以上、恐らくは面倒な事が多々続く事だろう。

それはきっと俺が普通の人間なのであれば、例えようのない楽しい日々になったのだろう。

今日は中々、永い一日だった。

明日の事は、明日にならなければ分からない。

楽天的、というよりは無感情な思考放棄というべきだろうか。

目的を忘れてはならない。

そう、あくまで、俺はこの小さな女の子を、護るべくして家に招いたのだという事を。

この半日の平温なんて序章に過ぎないのだという事を。


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