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罪に溺れたい

作者: つばさ
掲載日:2026/06/29


 今日も、花を買う。

「菊の花を一本ください」

 彼女は何も聞かず毎日菊の花を売る。いや、知っているのかもしれない。近所の皆知っている。僕が人殺しであることを。

 毎朝、1人、事故現場に向かい花を手向ける。そうして心の中で祈る。お願いします、僕を、一生許さないでください、と。

 

 いつものようにzoomで会議を始める。毎朝、僕がしている行動をみんなは知らない。日常に強制的に戻されるこの朝の会議が、苦手だ。

「じゃあ、予定通り、20日までにアプリを完成させましょう。よろしくお願いします」

 ようやく終わった。ここからは自分との戦いだ。ひたすらエラーとの戦い。エラーだらけの人生だってのに、エラー人間がエラーをなくしてく作業。はは。でもこの時間は好きだ。だって、何も考えないで、ただひたすらに時間が過ぎていくから。

 ひたすらに没頭してると、slackから通知がくる。「さすが、先輩! ありがとうございます」

 これは、苦手だ。褒められるのは好きじゃない。正しいと思えない。

「いやいや、全然、このぐらい大丈夫だよ。お疲れ様」

 どうして、褒められることすら苦手になってしまったんだろうか。あの日からだ。あの日から、狂ってしまった。


「そろそろ、ご飯よ」

 母だ。事故の後からなんだか優しい。優しすぎるといっていい。あの日の母は泣いていた。「あんたのせいじゃない、あんたのせいじゃないんよ。だからそんな顔せんとって。お願い、そんな顔しないで」とずっと言っていた。僕は、どんな顔をしていただろうか。鏡を見てないから、わからない。

 母のご飯は美味しすぎる。事故の日から、より実感するようになった。幸せを享受することが、怖くなってしまった。なぜだろう。あの人は、「幸せになるな」っていう人だったのかな。「幸せになっていいんだよ」っていうような優しい人だったかもしれない。わからない。あの人のこと、何も知らない。だから、幸せが、怖いのかもしれない。

 


  今日も花を買う。

「菊の花を、一本ください」

 彼女はいつも無表情だ。他の客には笑いかけているから、もしかしたら嫌われているのかもしれない。でも、いつだって丁寧に菊の花を包む。どうして、どうして僕にだけ無表情なんだろう。お祝いの花じゃないからかな。どうして、僕は彼女の笑顔がみたいんだろう。


 1人、事故現場に向かい花を手向ける。そうして心の中で祈る。お願いします、僕を、一生許さないでください、と。


 zoomの会議が始まって、僕は引き攣るように笑う。さっきの時間とのあまりの違い、いつまで経っても慣れない。会議が終わっても、すぐには作業に入れない。頭を抱えて、はあーと息を吐く。この時間はなんなんだ? なぜ僕は仕事すらままならなくなったんだろう。情けない。頬を叩いて、ようやくパソコンと向かい合う。

 

「そろそろ、ご飯よ」

 いつの間にそんな時間になってたんだろう。あまりにも集中しすぎていた。急に尿意を催して、急いでトイレに向かう。用を足して、レバーを引きながら思う。あー、僕も流されたらどうなるだろう。なんて、馬鹿げてる。

「いつまでそんな顔してるつもりだ?」

 だから、どんな顔をしてるっていうんだ。でも、母がこんなこと聞くのはあの日以来だ。特に、変わらない毎日を過ごしていると思うが。どうしたんだろう。

「どんな顔?」

「全部僕が悪いですって顔」

「全部かどうかはわからないけど、悪いところはあるでしょ」

「悪くないんだよ。あんたは悪くない」

「もしかしたら俺が避けれてたかもしれないじゃん」

「そんなわけないだろう。警察の人だって言ってた。避けられない事故だったって。あんたは悪くないんだよ」

 堂々巡りだ。母は、優しすぎる。それがまた僕を苦しめてるとも知らずに。

 母が皿洗いをしてる間、ポロっとこぼす。

「僕が悪いんだよ。悪いって言ってくれ。じゃないと、あの人が報われない」

 溢れた言葉は皿洗いの汚れと共に水に流れていった。

 特に、変わらない毎日だ。今日も、変わらない地獄を過ごす。

 

 今日も花を買う。

「菊の花を、一本ください」

 今日は、あの人のお墓参りに行く日だ。彼女はいつも通り丁寧に、菊を包む。


 あの日から、あの人の奥さんは定期的に僕と会うことを許してくださる。とてもいい人と言えるだろう。こんな奥さんがいたあの人は、きっとずっといい人だったに違いない。


 墓の前でいつものように願う、お願いします、僕を、一生許さないでください、と。こんなことを願う僕は、勝手でしょうか。


「もう、ここに来なくってもいいんだよ」

「そういうわけにはいきません」

「事故はどうしようもなかったんだ。事故の前にきっと死んでた。持病があったんだよ。それでも運転していたあいつは悪いやつだ。こんな若者に墓参りさせるなんて、ほんとに悪いやつだ」

「いえいえ、これぐらいさせてください。最後に旦那さんのお顔を拝見したのは僕なんですから」

「まだ、自分を責めてるかい?」

 痛いところをつく、ひどい質問だ。どう答えろっていうんだ。

「うーん、責めないと気が済まないというか」

「あいつはそんなこと望んでないよ。今日で墓参りはやめなさい」

「ええ。困ります」

「こっちだって困るよ! あんたには前向いてもらわんと!」

 ほんとに、困るんだけどな。ずっと、ずっと謝らせて欲しいのに。そんなすぐに、前を向くことなんてできない。



 今日も花を買う。

「菊の花を、一本ください」

 どうして彼女は何も言わずに毎日無表情で菊の花を売るんだろう。僕は、つい聞いてしまった。 

「どうして僕にだけ笑顔をみせてくれないんですか?」

「笑顔で対応してほしくなさそうだったから。最初に対応した時は笑顔でしたよ。でもあなたの笑顔はひきつってました。それから、なるべく笑顔はやめました」

 僕のせいだったらしい。もう長いこと花を買っていたから、忘れていた。彼女の笑顔を。でも、今となっては笑顔を求めている。勝手だな。


 1人、花を手向け、今日も祈る。お願いします、僕を、一生許さないでください、と。


 そのままいつものように帰ろうとしたら、近所のおばさんがこちらをみていた。ぺこっとお辞儀をして去ろうとしたら、声をかけられる。

「誰ももうあんたが人殺しだなんて思ってないよ。裁判でも無罪だったんだろう。もうこんなことはやめなさい」

 奥さんとおんなじこと言わないでくれよ。みんなみんな、僕に前を向けと言ってくる。そんなすぐ前向けないよ。理屈ではわかってるよ。言いたいことはわかるよ。でもじゃあ、この罪悪感をどうすればいい? どうしたら消えてくれるっていうんだ。みんな勝手だ。勝手すぎる。

 いっそのことみんな僕を責めてほしいのに、みんな、みんな僕を憐れむ。


 今日のご飯は蕎麦だった。勘弁してくれ。あの日は蕎麦を食べにいったんだ。母は何も知らないから、しょうがない。でも、蕎麦は食べる気にならない。

 蕎麦の香りがしてきて、急に胃がギュッと閉まる。トイレに駆け込んだ。


 あの日は、蕎麦を食べに高速に乗った。田舎のそばを食べたかった。山道を運転するのが妙に緊張していた。普段運転しない下手くそがなぜあんな場所に行こうとおもったんだろう。名店の蕎麦を食べて、妙に感動した。蕎麦湯もうまくて、この味は忘れられない、そう思った。本当に、忘れられない味になってしまった。

 家の近くまで来て、緊張が解けてしまった。それがいけなかった。今でも覚えてる、川沿い、大きく右カーブしたところ、白い車、目を閉じた中年の男性。

あ、当たる、こんな時、ゆっくりになるって本当なんだって呑気に思った。

 大きな衝突の後、車が落ちていった。僕は、生きていた。あの人は、どうしたって死んだと思った。車が運悪く、川の崖を車は転がり落ちていった。でも僕は全身が痛くて痛くて、崖の下を、見ていることしかできなかった。這ってでも、助けに、行くべきだったのに。

 

 何も食べてなかったから、吐く物もなにもない。胃液しか出ないまま、僕は便器から離れることができない。母が、どうしたの、どうしたのと心配している。ごめん、僕が、蕎麦はやめてくれって、言っておくべきだった。時すでに遅しだ。あの人は痛かったかな。痛みもなかったらいいけど。それとも、冬の水で冷たかったかな。

「お母さん、ごめん、とりあえず、今日のご飯は無しで」

 コンビニでも行こうかな。僕は、なぜかふと花屋の彼女の顔が浮かんだ。ああ、明日も花を買いに行こう。



 今日も花を買う。

「菊の花を、一本ください」

 僕は、昨日に続いて不思議と饒舌になっていた。

「あなたは、僕を人殺しだとお思いですか?」

 彼女は僕の目をみた。

「あなたは、人殺しだと、そう言ってほしいように聞こえます」

 そうかもしれない。

「責められたら楽になると思ってますか? 多分、違うと思います。ずっとずっと苦しい」

「じゃあどうしたら苦しくなくなるんでしょう?」

「楽になりたいんですか? そうは見えません」

 一瞬、ムッとしたが、でも、そうかもしれない。自分を責め続けるのが、一番楽なのかもしれない。そうやって罪を償っているふりをしているのかも。


 1人、花を手向け、今日も祈る。お願いします、僕を、一生許さないでください、と。本当に? 本当に、僕はそう思ってる?


 ◆


 今日も彼女に会いに行く。

「菊の花を、一本ください」

 今日も、彼女に声をかける。

「僕は、多分ずっと花を買い続けるんだと思います。あの、あなたがよろしければ、一緒に手を合わせていただけませんか?」

 初めて、彼女が笑った。

「いいですよ。ただし、閉店まで待ってくれますか?」

 僕は、向かいのカフェで待ち続けた。コーヒーは3杯頼んだ。なにバカなことをしているんだろう。わからない、わからないけど、彼女なら、と思った。


 2人、事故現場に向かい花を手向ける。

「あの、あなたさえよろしければ、これから毎日一緒に手を合わせませんか?」

 最悪の告白だ。でも、彼女は笑ってくれた。


 今日も祈る。

 これから毎日、欠かさず花を手向けます。

 きっと忘れません。

 そうして、幸せになってもいいでしょうか?


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