電信柱
ガードレール脇の電信柱には、常に花が供えられている。交通事故がたびたび報告される街であれば独断めずらしい風景でもないのだけれど、ふしぎと目に留まる。
歩道は広くとってあるわりに横断歩道の数がいやに少ないのも、この地域の主な移動手段が自動車だからだろう。歩行者にとっては難儀なことだな、と思いながら社用車を走らせる。男が転勤を言い渡され、この地に足を踏み入れてからもう半年になる。
「佐々木くん。なに見てたの」
「……さっきの電柱のとこ、いつも花が供えられているみたいなので」
助手席に座る先輩が納得したように頷いて、ふしぎよねえと言った。
「あの辺りね、なぜか事故が多いの。こんなに見通しがいいのにね」
フロントガラスの向こうには見晴らしのよい直線道路が続いている。数百メートル置きにある信号機も不点灯などの不具合は見受けられない。事故が多発しているからといってそれが道のせいとは限らないか、とそのとき佐々木は納得した。
宴も酣。解散の気配が漂い始めた頃。佐々木は酔い覚ましに歩いて帰ると同僚に一言告げて、タクシーや運転代行を待つ集団の中からふらりと抜け、都心とは違う星空をながめながら夜道を歩く。見える星の数が多いように感じるのは、人工の光の数が少ないからだろう。
千鳥足とはいかないまでも、ふだんより幾分か足元がゆるいような気がして、一度ぎゅっと目を瞑る。
「タクシー、呼んでもらっておくんだったな」
早々に離脱した手前、今更どうしようもないというのに。
携帯電話の明かりを頼りにして、昼間とは姿を変えた夜の帰路をたどっていく。車と徒歩では見える景色が違ってうっかりしていると迷いかねないと大きく息を吐いて気を引き締める。
ふと外灯以外の明かりがすぐそばにあることに気づき、反射的に足を止めた。自動販売機が小さな虫に集られながらも目に痛いほどの光を放っている。
前を向いて歩いていれば気づきそうなものだが、今まで気づかなかった。佐々木はふしぎに思いながらも、ちょうどいい酔い覚ましになるかとポケットから小銭を取り出す。冷たいブラックコーヒーのボタンを押すと、ガコンと音を立てて缶が落ちてくる。
「買い終わったんなら退いてくれんか」
その場で缶の蓋を切ろうとしていた佐々木は、背後からぬるりとかけられた声にぎょっとしながら振り返る。腰の曲がった老人が顎で佐々木に横に逸れるよう指示しており、謝罪をしながら脇に体を寄せた。
今度こそ蓋を切って口をつけると、アルコールで熱を帯びた内臓が冷えていく感覚がした。
「お前さん。この間、ここの花を見とったやろう」
「花? え……ああ、そうですね」
老人が指す先を見て、ようやくこの場所があの電信柱と目と鼻の先であることに気づく。
「なんで見てた?」
「なんでって……花が絶えず供えられているみたいだったので」
「なんやあ。死にとうて見てたんと違うんか」
おもんな、と吐き捨てられた声はひどく落胆したようなものだった。問いに答えたのに突然冷ややかな声を浴びせられ、なんて失礼な人なんだと相手を視界に入れたとたん背筋が凍った。
目が、ない。
眼球がえぐり取られたように、本来なら目があるはずの箇所が不自然にへこんでいる。夜空よりも深い闇。その眼窩はとぐろを巻いているようにも見えるほどに深く沈んでいるように見えた。
どれくらいそうしていただろう。そのうち手から力が抜け缶が滑り落ち、靴の先にあたって跳ねたのを皮切りにぴくりとも動かなかった足がようやく動いた。
なんなんだ。あれは、一体なんだ!?
死にものぐるいで走って、走って。限界まで走って――そこから先の記憶は佐々木にはない。
翌日、佐々木は小さな診療所の一室で目を覚ました。
一人で帰った佐々木を心配した同僚たちによって、路上で倒れあやうく車に轢かれかけていたところを保護されたらしい。寝起き早々に着物冷える話を聞いた佐々木は、ベッドの上で頭をこすりつけるくらいに謝罪と感謝を口にして年甲斐もなく泣いたのだった。
「兄ちゃんもう退院か。運がよかったな」
財布を片手に窓口で手続きを踏む佐々木の手元に影が差す。無遠慮に書類を覗き見る男の耳馴染みのないはずの声が『おやまあ、殺しそこなったか』あの夜の声に重なった。
慌てて顔を上げるも隣には誰もおらず、青ざめた佐々木が一人突っ立っているだけだった。
昔、Twitterに載せていたものに少し加筆修正しての再掲です。




