宝物
マリエルがセシルと手芸をする約束をしている日。
ラ・レーヌ学園での放課後にて。
『今日は用事がありますので、サシャ様は放課後ご自由にお過ごしください』
事前にマリエルからそう言われ、サシャは少しだけ肩を落としていた。
(今日はマリエル嬢と一緒に過ごせない……)
マリエルへの想いを自覚し、少し臆病になりつつも一緒にいたいと思っていたサシャ。
「あ、サシャ様じゃないですかぁ」
サシャは以前話しかけたことがある令嬢から声を掛けられた。
「やあ、シモーヌ嬢」
サシャは明るく軽薄な笑みをシモーヌという令嬢に向ける。
(確か彼女は子爵令嬢だったはず)
ぼんやりと頭の中でシモーヌに関する情報を思い出していた。
「ねえサシャ様ぁ、今日一緒に遊びませんこと? 学園付近に新しくオープンしたカフェがあるのですわ。迎えの馬車が来るまでご一緒しましょう」
甘く媚びるような声のシモーヌである。
(まあどうせこの子も俺の容姿や家柄しか見ていないな)
明るく軽薄な笑みを浮かべる反面、サシャの心はどんどん冷えていく。
笑ってはいるが、サファイアの目は冷たかった。
「それ、良いね。楽しそう。でも、今日は迎えの馬車が早く来るみたいだから、長居は出来ないよ」
サシャは軽い口調で答え、シモーヌとカフェへ向かうのであった。
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(意外と時間経ってたな……)
カフェでシモーヌと話をして過ごしたサシャは、いつもの間にか時間が経過していたことに気付く。
シモーヌに「そろそろ時間だから」と別れ、ヴァランティノワ公爵家の馬車へ向かった。
「悪い、セシル。遅くなった」
軽く、悪びれた様子も出さず、サシャはヴァランティノワ公爵家の馬車に乗り込んだ。
「もう、遅いわよ! 今日は早くしてちょうだいってあれ程言ったのに! どうせまたどこかの令嬢と話し込んでいたのでしょう!? 本当にサシャはだらしないのだから!」
予想通り先に馬車に乗っていたセシルのお小言が始まり、サシャは盛大に顔を顰めた。
「ああもう、煩いなセシルは。いつもより早い時間に来たんだぞ」
しかし、この日の馬車の中はいつも通りとは違った。
軍服姿の双子の妹セシルの隣に、何とマリエルの姿があったのだ。
相変わらずアメジストの目を潤ませて、サシャの方を向いている。
マリエルは少し肩をすくめ、首をやや右に傾けながら柔らかい表情を浮かべていた。
「……って、マリエル嬢!? 何でここに!?」
サシャはまさかマリエルがいるとは思っておらず、サファイアの目をこれでもかと言うくらいに大きく見開いていた。口も、酸素を求める魚のようにパクパクとさせることしか出来ない。
「驚かせて申し訳ございません。実はセシル様と約束をしておりましたので」
柔らかで鈴が鳴るような声のマリエルである。
「ああもう、サシャ、マリエルも待たせているのだから早く座りなさい」
セシルは呆れながらサシャにため息をついていた。
セシルの言葉通り、マリエルを待たせてはいけないのでサシャは二人の向かい側に座る。
まもなく、ヴァランティノワ公爵家の馬車は動き出した。
「マリエル、最近研究の方はどうなの? フォワ伯爵家の為に頑張っているって聞いているけど、無理はしてない?」
「大丈夫です、セシル様。ありがとうございます」
「それなら良いわ。マリエルの『ウォーム・ボトル』、寒い冬は役に立つから、是非とも売り出して欲しいわ」
サシャの正面で、マリエルとセシルは談笑している。
(マリエル嬢、セシルにも『ウォーム・ボトル』のこと話しているのか……)
サシャは自分だけではなくセシルもマリエルの研究のことを知っている事実が、少し面白くなかった。
少しだけ、セシルに嫉妬しているのだ。
「私としても、頑張って早く売り出したいと思っております。来年の冬とかには。あ、最近はサシャ様にも手伝っていただいているのですよ。そうですよね、サシャ様」
「ああ、そうだね。力になれているかは分からないけど」
突然マリエルに話を振られ、サシャはややぎこちない答え方になった。
「サシャがマリエルに協力ね……。本当にマリエルに変なことしていないでしょうね?」
セシルのサファイアの目は、ギロリとサシャを睨んでいた。
サシャは軽くため息をつき、首を横に振る。
「変なことなんてするわけないだろう」
「貴方のそれ、信用ならないわ。マリエル、本当に大丈夫なの? これさっきも聞いてるけど」
(いや、さっきも聞いたのかよ)
サシャは内心そうセシルに突っ込んだ。
「大丈夫ですわ、セシル様。それに、サシャ様がいらしてから、力仕事で時間がかかることが減りました。ありがとうございます」
鈴の音が鳴るような声のマリエル。ふわりと柔らかな表情だ。
その表情と声で、サシャの心は穏やかになる。
いつものヴァランティノワ公爵家の馬車の中だが、マリエルがいることで心が弾むサシャであった。
「……マリエル嬢は、ヴァランティノワ公爵家の王都の屋敷によく来るの?」
サシャの声は、少しだけ掠れていた。
「はい。学園がお休みの時にセシル様から招待されることがございます」
マリエルは楽しそうな表情である。
「そっか」
サシャは平然を装いながら答えた。
(休日にマリエル嬢が来ていることがあったのか。俺、休日は遊び歩くことが多いからな……)
サシャは休日王都の屋敷で過ごせば良かったと少し後悔していた。
その後も、サシャは正面で繰り広げられるマリエルとセシルの会話に時々加わりながら、いつの間にかヴァランティノワ公爵家の王都の屋敷に到着していた。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
ヴァランティノワ公爵家の王都の屋敷の自室まで戻ったサシャ。
ふうっと息をつき部屋にある大きなソファに腰をかけた。
(この屋敷にマリエル嬢がいる……!)
サシャの頬はほんのり赤くなり、太ももの辺りに肘を付き顔を手で覆っている。
自身が好意を抱いている相手がヴァランティノワ公爵家の王都の屋敷にいる。
その事実が、サシャの鼓動を速めていた。
サシャは一旦深呼吸をし、この日のラ・レーヌ学園の講義で出された課題を始める。
しかし、頭に浮かぶのはマリエルのことばかり。
(……マリエル嬢のことが気になって集中出来ないな)
サシャは大きなため息をつき、テーブルに突っ伏した。
そして、気が付けば足はマリエルがいるセシルの部屋へと向かっていた。
サシャは物音を立てないようそっとセシルの部屋の前に立ち、扉の向こうに耳を澄ました。
要するに盗み聞きである。
(あまり褒められた行為ではないし、バレたらセシルに殴られそうだけど)
サシャはフッと苦笑した。
セシルの部屋の中へ聴覚を集中させると、マリエルとセシルの会話が聞こえて来た。
「ん? マリエル、どうしたの?」
きょとんとした様子のセシルの声だ。
「いえ、セシル様が可愛らしいと思いまして」
鈴の音が鳴るような声のマリエル。きっとマリエルは微笑んでいるのだろうと、サシャは想像出来た。
思わずサシャの表情は緩む。
「そんなことないわよ。マリエルの方が可愛いわ。羨ましいくらいに」
「もう、セシル様ったら」
「マリエル、何度も言うけれど、私のこの趣味は学園の方々には内緒にしていてちょうだいね」
セシルの声が、少し沈んだ。
「もちろんでございます。ですが、公表しても誰もセシル様のことを悪く言わないと思いますよ」
「……私って、身長が高くて剣術も好きで、動きやすいからこうして軍服を着ているでしょう。実際に王都の騎士団で訓練もさせてもらっているし。周囲からも、私はそういう人間だと思われているわ。それはそれで別に良いのよ。でも……そんな私に可愛いものは似合わない。好きなものを、似合わないと言われるのは……怖いわ」
(セシル……)
サシャは少しだけセシルが心配になる。
「実際、学園で去年貴女に手芸が趣味で可愛いものが好きなことを知られた時、少し怖かったのよ。また似合わないと言われてしまうのかもしれないと思ってね」
「全然そんなこと思いませんわ。むしろ、過去にセシル様にそんなことを言った方に言い返したいくらいです」
扉の向こうから聞こえるマリエルの声は、いつもより力強く感じた。
「ありがとう、マリエル」
そんなマリエルの言葉に、セシルの声も明るくなる。
どうやらセシルは元気が出たようだ。
サシャは少しホッとしたような表情になっていた。
(セシルも……俺みたいに昔色々とあったみたいだからな……)
家族だからこそ知っているセシルのこと。
普段口煩いと思いつつも、サシャは何だかんだで双子の妹セシルのことを家族として大切には思っているのだ。
(……マリエル嬢のお陰で、セシルも前を向けているってことか。趣味の手芸も楽しめているみたいだし)
サシャは改めて、扉の向こうにいるマリエルに意識を向けた。
(ありがとう、マリエル嬢)
サシャは穏やかな表情で、一旦自室へと戻るのであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
日が暮れた頃、ヴァランティノワ公爵家の王都の屋敷にフォワ伯爵家の迎えの馬車がやって来た。
どうやらマリエルは帰るようだ。
玄関でマリエルはセシルと楽しそうに話し込んでいる。
「マリエル嬢」
せっかくなので、サシャも見送りに来た。
「サシャ様」
マリエルはハッとしたような表情になり、何かを取り出す。
「忘れておりました。こちら、サシャ様にお渡ししようと思っておりましたの」
マリエルがサシャに差し出したのは、白いダリアの花の刺繍が施された青い生地のハンカチだ。
「マリエル、それさっき貴女が刺繍したやつよね」
セシルはサファイアの目を丸くしていた。
「はい。サシャ様には『ウォーム・ボトル』の研究を手伝っていただいておりますので、そのお礼も兼ねて。ラッピングもせずに申し訳ないのですが、受け取っていただけたら嬉しいです」
マリエルはふわりと柔らかな表情だ。
控えめで、小さな花が咲いたような笑みである。
サシャは、体温が一気に上昇したような感覚になった。
「ありがとう、マリエル嬢。大切にする」
サシャはマリエルからハンカチを受け取り、胸の前に添えた。
まるで宝物を扱うかのような動作である。
すると、マリエルはホッとしたように破顔する。
大輪の花が咲いたような笑みだ。
「またよろしくお願いしますね」
「もちろん。俺が手伝えることがあれば何でも」
マリエルの笑顔を見たサシャは、何でも出来るような気分になっていた。
「サシャ、あんまり調子に乗るんじゃないの。マリエルも、サシャに何かされたらすぐ言うのよ」
セシルは呆れ気味だった。
その後、フォワ伯爵家の馬車に乗り込み、マリエルは帰って行く。
サシャはもらったハンカチを宝物のように抱えながら、フォワ伯爵家の馬車が見えなくなるまでマリエルを見送るのであった。
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