危なっかしいマリエル
(そういえば、フォワ伯爵家は領地に鉄鉱山があるだけでなく、商会も営んでいたな)
マリエルの話を聞き、サシャは改めてフォワ伯爵家のことを思い出した。
(確かにマリエル嬢の考えたこの温かい小瓶を画期的だ……)
サシャは自身の手のひらの上にある細やかな花々が彫られた金属製の小瓶をまじまじと見つめる。
(でもマリエル嬢、自分の家の商会で売り出そうとしているものを俺みたいなぽっと出の他人に話して大丈夫なのか?)
サシャは少しだけ目の前にいるマリエルのことが心配になった。
「マリエル嬢の考えたもの、凄いね。でもさ、それを俺とか他の奴らに言ったら、真似されたり先に製品化されたりしない?」
サシャはニヤリと口角を上げ、そう忠告した。
「あ……!」
するとマリエルはアメジストの目をこれでもかという程大きく見開き、「しまった!」とでも言うかのような表情になっていた。
「どうしましょう……! もしサシャ様に真似されてしまってら……! お父様とお母様にも申し訳ないし……」
オロオロとして、アメジストの目を潤ませるマリエルである。
サシャは軽くため息をつく。
「別にヴァランティノワ公爵家が真似して売るつもりはないよ。ヴァランティノワ公爵領は今の所小麦の生産で成り立っているから。それに、フォワ伯爵領みたいに鉄鉱山がある領地はナルフェック王国では少ないから、大丈夫だと思うけど」
「左様でございましたか……」
マリエルはホッと安心したかのように胸を撫で下ろした。
そんなマリエルにサシャは苦笑する。
「俺だからまだ良かったけど、領地でやろうとしていることは成功して大々的に発表するまでは秘密にしておいた方が良いんじゃないの?」
「そうですわね。サシャ様、ありがとうございます」
マリエルは肩をすくめていた。
「別に、お礼を言われる程のことではないと思うけど」
サシャはマリエルの態度に、少しだけ口元を緩めていた。
「サシャ様、別の専門書を取りに行きますので、少しだけ席を外しますね」
マリエルはそう言い、席を立ち近くの本棚に専門書を取りに行った。
サシャは座ったままマリエルの姿を何となく目で追ってみることにした。
ラ・レーヌ学園の図書館は娯楽小説、自己啓発本から専門書や外国語の本まで揃っている。
蔵書量はナルフェック王国王宮にある図書館に匹敵するのではないかと言われる程なのだ。
それ故に、本棚は大きくかなり高い位置まである。
マリエルはお目当ての専門書を見つけたようだ。専門書を取ろうと必死に背伸びをして手を伸ばすものの、指先がようやく専門書に触れる程度で取ることは出来ない。
眉を八の字にして困ったような表情になり、マリエルはぴょこぴょこと飛んで専門書を取ろうとするが上手くいかない。
その姿は本当にうさぎのようで、サシャの口元は少し緩んでいる。
中々目当ての専門書を取ることが出来ないマリエルは、アメジストの目を潤ませながら困ったように肩を落としていた。
(手伝った方が良いかも)
サシャはスッと席を立ち、マリエルの元へ向かおうとする。
しかしマリエルはハッと何かを見つけたようだ。その表情はまるで希望の光を見出したかのように明るい。
マリエルはちょこちょこと小走りで別の場所へ向かう。その姿は令嬢としての品はあるが、どことなく小動物めいていた。
(マリエル嬢?)
サシャは何を見つけたのだろうかと疑問に思い、マリエルを追う。
どうやらマリエルは梯子を見つけたようだ。
本棚は大きく、高い位置にまで本があるので当然梯子がないと取れない本もある。その為に梯子もラ・レーヌ学園の図書館には用意してあるのだ。
(ああ、梯子を使って取る気なんだ。……なら、俺の出番はなさそうだな。ま、俺の身長ならマリエル嬢のお目当ての本くらい簡単に取れるのに)
サシャはフッと笑う。
しかし、自分の出番がないことを少しだけ残念に思うのであった。
サシャは再び席に戻ろうとしたが、その瞬間マリエルが「うーん……!」と何度も小さくて可愛らしい声を上げているのが聞こえた。
(マリエル嬢?)
サシャは気になったので後ろを振り向いてみると、マリエルが必死に梯子を動かそうとしている姿が目に入った。
重厚さを感じる梯子は、どうやらマリエルにとって重過ぎるようだ。
華奢で小柄なマリエルは、全身に力を入れて大きく重い梯子を運ぼうとしている。目をギュッと瞑り、顔にまで力が入っていた。
するとその時、びくともしなかった梯子がようやく動いた。
梯子が動いたことにマリエルはパアッと表情を明るくしている。アメジストの目は嬉しそうだった。
しかし梯子はドンッと本棚に当たり、高い位置にある少しはみ出していたかなり分厚い本がマリエル目掛けて落ちて来た。
「マリエル嬢、危ない!」
流石に危険だと思ったサシャは、マリエルの元へ駆け出し落ちて来る本から守ろうと彼女の手を引っ張り自身の体の方へ引いた。
「きゃっ……!」
突然のことに驚いたマリエル。突然サシャに手を引かれたことで、マリエルの足はもつれてバランスを崩して転びかけてしまう。
サシャはそんな彼女を受け止めるが、自身もバランスを崩して尻もちをついてしまい、マリエルも道連れになってしまった。
しかし幸いマリエルはサシャがクッションになったことで痛みや衝撃はあまりなかったようだ。
現在、サシャは床に座り込みマリエルを抱きしめる形になっている。サシャの大きな体の中に、マリエルの小さな体がすっぽり収まっていた。
「あ……!」
マリエルは顔を林檎のように真っ赤にし、アメジストの目を潤ませながらサシャを見ている。その体はフルフルと震えていた。
(……やっぱり何かうさぎみたいだ。……可愛い)
サシャの口元はニヤリと緩む。
「マリエル嬢、怪我はな……痛っ!」
マリエルに怪我はないかと聞こうとしたサシャだが、ゴンッと頭に強い衝撃が走った。
「サシャ様……!」
先程まで真っ赤だったマリエルは青ざめてオロオロとした表情になる。
バサリと開かれた形で分厚い本が落ちている。
どうやら分厚い本がサシャの頭に直撃したようだ。
「サシャ様、申し訳ございません……! 大丈夫ですか……!? お怪我は……!?」
オロオロと震えながらサシャを心配しているマリエル。その慌てっぷりと潤んだアメジストの目を見たサシャは、やはり可愛らしいと思い再びニヤリと口角を緩める。
(……こんなに可愛いと……何かこう、虐めたくなるというか……)
それは俗に言うキュートアグレッションというものである。
「あー、痛過ぎる。マリエル嬢、痛過ぎて俺死にそうだよ」
サシャはわざとらしく、頭を押さえて派手に痛がってみた。
「ええ……! そんな……!」
サシャの予想通り、マリエルは困ったような表情になり、今にも泣きそうになっていた。
「マリエル嬢、助けて」
少しだけ甘えるように懇願してみたサシャ。マリエルがどんな反応をするのか少し楽しみだった。
するとマリエルはゆっくりとサシャの頭を撫でる。
「痛いの痛いの、飛んで行ってください。私の所に、飛んで来てください」
オロオロとしているが、優しい声のマリエル。
まさかのマリエルの行動に、サシャはサファイアの目を大きく見開いた。
アメジストの目を潤ませながら、真剣にサシャを案じてくれているマリエルだ。
サシャは顔に手を当て、はあっとため息をつく。
(マリエル嬢……可愛いけれど、何だか色々と危なっかしいぞ。……危険な奴に何変なことをされないか心配になるな)
今日出会ったばかりだが、サシャは先程までのマリエルの行動を思い出し、少しハラハラした。
「あの……サシャ様……本当に申し訳ございません」
マリエルは肩を落としてシュンとしていた。
サシャはそんなマリエルを見て、再び軽くため息をつき、立ち上がって分厚い本を元あった場所に戻す。
「マリエル嬢、専門書が高い位置にあって届かないなら俺とか背の高い奴に頼んで取ってもらった方が良い。それに、さっき俺が言ったみたいな変な要求には答えようとしなくて良い。危なっかしくて仕方ない」
「それは……申し訳ございません」
サシャと同じく立ち上がったマリエルは視線を床に落とす。しかし再び視線をサシャに向け、「ですが」と言葉を続ける。
「商会の新製品に関しては私のことですから、なるべく自分で頑張りたいと思うのです」
潤んだアメジストの目は真っ直ぐで、どこか力強かった。微かに上がっている口角。小動物めいていて儚い印象のマリエルだが、その笑みは儚さからは程遠く、強い意志が感じられた。
そんなマリエルに、サシャの心は騒ついた。
「……マリエル嬢は家や領地の為に何でそんなに頑張れるの? セシルと同じように、家や領民の為?」
「それもあります。セシル様と同じだなんて、光栄です」
マリエルはどこか嬉しそうにアメジストの目を細めた。そして、真剣な表情になる。
「……私には兄がいるのです。でも兄は体が弱いので、フォワ伯爵家は私が継ぐことになりました。私が、どこかの家から婿を取って、フォワ伯爵家や領地を強くして、お父様とお母様とお兄様、そして領民達を安心させたい。そう思っています」
「誰かの為にそんな風になれるなんて……凄いな」
サシャは自分との違いを見せつけられたようで自嘲した。
マリエルは恐らくセシルと同じで責任感が強いタイプなのだろうと思うサシャである。
「ですが、それだけではありません。私は、鉄の酸化反応で熱が生じることを知った時、とても面白いと思ったのです。化学的なことを学んで応用しながら、領地や商会の為にもなる。これって素敵なことじゃないですか。私の好きなことが、誰かの為に役立つことは、とても楽しいことです」
溌剌とした、満面の笑みのマリエル。その笑みは、満開の花のようである。アメジストの目は、キラキラと力強く輝いていた。
サシャはマリエルの言葉と笑顔に引き込まれていた。
「……やっぱり、マリエル嬢は凄い」
サシャの表情は柔らかくなっていた。
「そうでしょうか? 嬉しいです」
マリエルはふふっと鈴の音がなるような声で笑っている。
サシャも思わず笑っていた。
「あ、サシャ様、言い忘れておりました。あの、先程は私を助けようとしてくれてありがとうございました」
恐らく分厚い本が落ちて来るところからマリエルを守ったことを言っているのだろう。
サシャはニヤリと口角を上げる。
「別に、お礼を言われる程のことじゃないけど。でもさ、マリエル嬢。君の身長でお目当ての本に手は届くの? 梯子も重過ぎて運べないようだし」
「それは……」
するとマリエルはアメジストの目を潤ませて少し困ったような表情になる。
「黙って俺を頼れば良いのに」
サシャはフッと笑い、マリエルが取ろうとしていた専門書を軽々と手に取り彼女に渡す。
「……ありがとうございます」
マリエルは少し申し訳なさそうに微笑みながら、専門書を受け取った。
「このくらいお安いご用意」
サシャはサファイアの目を無意識的に優しく細めていた。
マリエルはサシャの心に、ほんのりと温かな灯火を灯していたのである。
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