温泉のエキスカリバー。
大陸の果てに位置する魔王城。その最上階に位置する漆黒の間は、魔王軍の最高幹部たる"死天王"だけが立ち入りを許された場所である。
そこで粛々と執り行われている死天王の会議は魔王軍のトップシークレット。その内容は決して誰にも明かされないのだ。
「デュラルちゃん、温泉旅行はどうだったの?」
死天王の一人【"収穫祭"のウィガ】がそう尋ねた。
彼……もとい彼女は、紅茶片手に温泉まんじゅうを食べながら席についている。
「あ……ホントに温泉旅行の土産話を聞く流れなんすね」
やや呆れ気味にそう話すのは、死天王【"陶酔"のコレッタ】だ。
先ほどまでキレ散らかしていた彼女も、すでにあきらめて温泉まんじゅうで一息ついている。
「うむ。そのことなんだがな……」
威厳たっぷりに答えるのは【"原初"のデュラル】。
彼は死天王筆頭であり、軍の創設期から魔王に付き従ってきた伝説級の魔物である。
そんな彼が今、温泉まんじゅうを口いっぱいに含んでハムスターみたいになっている。
「おんふぇんっふぇなんふぁひょっほ」
「口ん中なくなってから喋ってください。汚いなぁ」
もぐもぐ、ごくん。温泉まんじゅうを飲み下したデュラルは、再び口を開いた。
「温泉ってなんかちょっと汚いな、と思った」
「え? 温泉旅行の感想、一発目がそれ?」
呆れかえるコレッタに、デュラルは「まぁ聞け」と話を続ける。
「俺が泊まった宿には、広い大浴場があってな」
「いいじゃないすか大浴場。広々してて」
「うん……まぁ気持ちはいいんだ。足を伸ばして入れるし」
「あら、じゃあ何が不満だったのよ」
いぶかしげな二人に、デュラルは突如「出汁」と答えた。
コレッタとウィガはまったく意味がわからず顔を見合わせる。
「昆布を水に浸けておくと、昆布出汁がとれるだろう?」
「……はぁ、とれますね」
「ちなみに水じゃなくてぬるま湯を使うと、より短時間で効率的に出汁がとれるらしいんだ」
「……まってください。なんか嫌な話になりそうな気がしてきたっす」
「大浴場にはたくさんのおじさんが浸かっていたわけなんだがな」
「あの、わかりましたからやめてください」
「あれって結局、ものすごい量のおじさんのダシ汁に浸かってるようなもので」
「やめてって言ってるのに!!!!」
コレッタが会議机を飛び越えてデュラルの顔面に強烈な蹴りをお見舞いする。
デュラルに9999のダメージが入る。けれどデュラルは死なない。このあたりが死天王筆頭のタフさの見せどころである。
とはいえ、めちゃくちゃ鼻血は出ていた。
「なんてこと言うんすか! これから温泉に入るたびに思い出しそうなんすけど!!?」
「いやコレッタは女湯だから大丈夫だろう。おじさんのダシ汁になってるのは男湯のほうで」
「その理屈でいくと女湯もおばさんのダシ汁でしょうが!!!!」
「あ、そうか。それはそれでか」
デュラルとコレッタの言い合いに、ウィガが「そもそも……」と割り込む。
「アタシたち別に昆布じゃないんだし、お湯に浸かったくらいでダシは出ないんじゃない?」
「そ、そうっすよ! ウィガ姉、いいこと言った!!」
「ぐちゃぐちゃにすり潰されて煮込まれるならまだしも、ねぇ?」
「ウィガ姉、あんま怖いこと言わないで」
デュラルは大真面目な顔で「そうか、出ないのか」と呟く。
しかし出汁がでていようがいまいが、温泉がなんとなく汚いという感覚が消えるわけではない。
その感覚を二人に伝えようと、デュラルは別のたとえを持ち出すのだった。
「……足湯ってあるだろう」
「あるわね。足だけ浸かる温泉。アタシけっこう好きよ」
「気持ちいいよな。でも、なんかアレも汚い感じしないか?」
その問いかけに、意外にもコレッタが「あー……それはちょっとわかるっす」と賛同した。
「いろんな人が足だけ突っ込んだお湯って、なんか不衛生な気がしちゃいますよね」
「うむ。でもなコレッタ。よくよく考えてみてほしい。普通の温泉だって、いろんな人の足が浸かってるんだぞ」
「う……まぁ、冷静に考えればそうっすけど」
「それどころか、だ。普通の温泉には、いろんな人の足どころか、いろんな人のキンタマも浸かっている」
「やめて」
「出汁は出ないにしても、なにかそこからエキス的なものが……」
「やめて!!!!」
コレッタのかかと落としが炸裂。デュラルの頭頂部に9999のダメージが入った。
漆黒の間の床が抜け、デュラルは両肩のあたりまで地面に埋まってしまった。でも死なない。死天王筆頭だから。
「私は女なんで! 女湯にはキンタマなんて浸かってないんで!!」
「でも女湯の場合は、ま」
「デュラルちゃん?」
ウィガのげんこつが炸裂。デュラルの頭頂部に9999のダメージが入った。
デュラルはさらに深く床にめり込み、もはや頭頂部しか見えていない。
「……ともかく、俺は温泉にそういう印象を受けたって話だ」
「はぁ。せっかく温泉旅行に行って得た感想がソレって」
「デュラルちゃんは潔癖症ねぇ。そんなこと言ってたら、プールも海水浴も行けないでしょうに」
床にめり込んだまま、デュラルは「プールは実際ムリだが、海水浴は大丈夫だ」と答えた。
「海はなんかデカすぎてノーカン、みたいな感覚がある」
「わかるような、わからないような……」
「足湯のほうが汚く感じるというのも同じ理屈だと思うんだよな。足湯の湯舟って、基本的に小さいだろう?」
「あー、それはわかるっす。お湯の量が少ないから、汚れが溜まってそうな気がするというか」
「それだ。しかし海は広い。あれだけ広ければ、キンタマエキスも無害なレベルまで薄まるだろうと思えるのだ」
「キンタマエキスとか言わないでください」
「そもそもキンタマエキスは基本的に無害なんじゃないかしら?」
「キンタマエキスとか言わないでください」
魔王軍の総本山、魔王城の漆黒の間にて、死天王の会議はまだまだ続いていく。
しかし内容は御覧の通り。彼らの会議に生産性はほとんどないのだ。