表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

第8話:春のにおい

(生きているはずがない男の、記録されない足跡)


村での調査から一夜明け、私は修道院の書庫で古い記録と向き合っていた。

あてもなく、でも確かに何かを求めて。 老婆の証言──処刑直前まで男が通い続けていた修道院跡。


その場所は、リュシアンが言ったように王都の公式地図にも、中央図書院にも記録はなかった。けれど、この修道院の書庫には、非公式の巡礼記録や古い証言が、静かに残されている。


(……もしかして、この中に)


ページをめくるたび、かすかな希望が膨らんでいく。そして、ついに見つけた。


──「記録されない祈りを癒す場」

──「静けさを記録する修道院」


そんな、今では忘れられた存在の名が、頁の奥から浮かび上がってきた。


(……これ、かも)


地図にも載っていない、あの小さな村よりさらに東。人がほとんど通らなくなった古道のそばに、かつて”修道院”が存在したという記述。


確証はまだない。けれど、“そこに何かがある”と──心だけが、確かにそう言っていた。


(……伝えなきゃ)


居ても立ってもいられず、私は本を閉じて書庫を後にした。外に出ると、冬の名残を含んだ風が、頬をかすめる。春はまだ、少し遠い気がした。


でも、そのときだった。足元に、何かがころんと転がってきた。


──小さなブローチ。金の装飾に、赤紫の宝石が埋め込まれている。

しゃがみこんで拾い上げた瞬間、声がかかった。


【カリーナ】

「……ありがとう。落としちゃったみたいね」


声の主は、紫の瞳をした令嬢だった。その瞳は、どこか私と似た色をしていたけれど──赤みを帯びて、ずっと艶やかだった。


彼女は、鮮やかなローズピンクのドレスの胸元に、ブローチを留め直して微笑んだ。その動きにも、たたずまいにも、まるで──咲いた花のような気配があった。


【カリーナ】

「ねえ。最近、あなた……」

「“誰かのこと”、ずっと考えてない?」


【アメリア】

「……え?」


【カリーナ】

「顔に出てるの。何かが動き出した人の顔って、わかるのよ」

「……恋かもしれないし、まだ違うかもしれないけど」

「でも、そういう時の顔って、ちゃんと咲く準備してるのよ」


さらっとした言葉。なのに、妙に胸の奥がざわめいた。


(私の顔に、何かが出てる?)


【カリーナ】

「気づかないままでも、花は咲くわ」


赤みを帯びた紫の瞳をそっと閉じ、慈しむようにつぶやく。


【カリーナ】

「……でも、気づいてるほうが、きっときれいに咲けると思うの」


彼女はくるりと背を向けて歩き出す。その後ろ姿から、ほんのりと、あたたかい香りがした。


(……春のにおい)

(さっきまでは、まだ遠いと思っていたのに)


残された空気の中、私はそっと手を胸に当てた。


(わたし……どんな顔をしてたんだろう)


そして、その時初めて気づいた。私は確かに、誰かのことを考えていた。あの人のことを。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ