第5話:声のない村・後編
(この人だけは、違う)
村の外れ、小さな畑を越えた先に、ぽつんと一軒の家が見えた。
古びた木戸を叩くと、軋む音を立てて、ゆっくりと扉が開いた。
現れたのは、年のいった老婆だった。背は小さく、腰も曲がっている。
けれど、その目は不思議と澄んでいて、まっすぐにこちらを見ていた。
【リュシアン】
「すみません。報道官補佐の者です。以前この村に住んでいた男性について、少しお話を伺えますか」
老婆はしばらく言葉を発さなかった。そのまま私たちをじっと見つめて──やがて、ぽつりと呟いた。
【老婆】
「……あの子は、まだ、生きてるような……気がするんだよ」
「記録が、どう言ってようとね。あたしゃ、忘れられないんだよ」
(……今、なんて?)
空気が凍ったような静寂のなかで、その言葉だけが、奇妙にくっきりと残った。
【アメリア】
「……いま、“生きている”と?」
老婆は目を伏せ、静かに頭を傾けた。
【老婆】
「もう忘れたよ。あの子、記録を読まないから怒られてたっけね」
「昔から、そういうところがあったよ……あたしの、思い違いかもしれないけどね」
その言葉には、他の村人たちにはなかった”温度”があった。記憶の重みが、声に宿っている。
【リュシアン】
「その方の、お名前は……」
【老婆】
「名前? ……名前なんて、もう覚えてないよ」
「でも、あの子が笑った顔は覚えてる。泣いた顔も、怒った顔も」
「記録には、そんなもの書いてないだろうけどね」
そう言い残し、老婆は家の奥へと戻っていった。閉まる戸の音が、やけに重く響いた。
沈黙が落ちる。リュシアンが記録帳を閉じ、私の方へ視線を向けた。
【リュシアン】
「……今の、“記録にない言葉”ですね」
私はすぐには答えられなかった。
(記録にない。それだけのはずなのに、どうして──)
胸の奥がざわめいた。こみ上げる感情を、どうにか押し留めるようにうつむく。けれど──リュシアンの視線が、まだこちらにあるのを感じた。
(……見ないで。見ないでほしい)
(けれど、本当は──)
風にあおられて、記録帳のページがひらりとめくれた。リュシアンの指が、そっとそれを押さえる。
【リュシアン】
「“記録にない言葉”を聞いたとき、人は案外、素直になる」
「……君も、ね」
(皮肉じゃない。たぶん、そう言っているだけじゃない)
(この人は――私の奥を、見ている)
私は視線をそらし、そのまま歩き出した。その場に、立っていられなかった。何かを返す言葉も、考える余裕もなかった。ただ、隠したかった。自分という輪郭のようなものを。
(……誰にも知られない声だった)
けれど、私には──痛いほど、届いていた。
(忘れられる声なんて、本当は、どこにもない)
背後から、リュシアンの足音が静かについてきた。何も言わずに、ただそこにいる。
その気配が、不思議と心を落ち着かせてくれた。
この人になら、隠さなくてもいいのかもしれない──
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