表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/41

第39話:名を記す選択

群衆のささやきが、遠くなった気がした。

空白になった帳面の上に、ただ風が吹き抜ける。


そのとき──静かに、一人の男が壇上に歩み出る。

群衆がざわめきを止め、神殿官たちも息をのんだ。

白い羽織の下に黒衣をまとうその男は、この場を支配するような気配をまとっていた。

どこからか、神殿長ルドヴィスだという囁きが聞こえる。


【ルドヴィス】

「……この記録は、一度、拒まれた」

「けれど、まだ”書き直す”余地はあります」


低く、どこか愉しげな声音だった。


【ルドヴィス】

「問いには、応えがあってもよい」

「もしこの場で、“もう一度、記したい”と願うなら──」

「その意志を、副記録帳が受け取るでしょう」


誰もが、息をのんでその声を聞いていた。

彼は、誰かを責めるでも、導くでもなく──ただ、“選ばせる”ような目をしていた。


【ルドヴィス】

「沈黙もまた、答えにはなるが……」

「君が”記す”なら、それもまた、一つの”在り方”だ」


壇上に、静寂が戻る。リュシアンが一歩進み、振り返る。


【リュシアン】

「……選ぶのは、君です」

「記すか、記さないか。どちらも、君の声で決めてください」


私は、羽根ペンの意匠にそっと手を添えた。

母が遺したもの。“記されない”家の、唯一の証。


(わたしは、いま、“何のために”記すのか)

(誰かの命を、言葉で救えるなら──この声を、差し出したい)


もう一度、この記録を。

誰にも消されないかもしれない、誰にも気づかれないかもしれない。


それでも、記したいと思った。


私は、歩み出る。

ふるえる声で、けれど、はっきりと告げた。


【アメリア】

「……私は、リア」


群衆が一瞬静まり返る。


【アメリア】

「記録から、すべてを消された家の者です」

「でも……ヴァルト・サーヴェル。あの人も、確かに"いた"」

「だから──もう一度、ここに記します」


言葉が落ちたあと、私は、ゆっくりと筆を取った。


頁の上に、ゆっくりと記された文字──


訂正申請

記録No.KR-00772846:ヴァルト・サーヴェル

現在地:東部第七管理区域

処分記録に齟齬あり。


書き終えた瞬間、空気がわずかに震えた。

副記録帳が、ほんのりと光を帯び──その記述が、“いまこの場で”、確かに記されたことを示していた。


【ルドヴィス】

「……“記した”と、記録しておきましょう」


男──ルドヴィスは、ゆるやかに口元を綻ばせていた。

まるで、それこそが”咲く瞬間”だとでも言うように。


【リュシアン】

「君の声が、“存在”になった」

「ここにいる誰もが、もう目をそらせない」


その言葉が、胸の奥に深く届いた。


記録が、私の手で揺らいだ──たった一行の文字が、それを証明していた。


(……もう、後戻りはできない)

(でも、それでも──この声で、記したかった)


風が吹き抜ける中、私の記した文字だけが、静かに光り続けていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ