第38話:記録の行方・後編
壇上に置かれた副記録帳の前で、神殿官が慎重に頁を見つめた。
淡い光がにじむように、私の手で記された文字が浮かんでいる。
【神殿官】
「……申告内容、確認しました。該当番号と記述、照合を行います」
指先が頁をなぞり、慎重に文字を追っていく。やがてその動きが、ふと止まった。
【神殿官】
「……当該記録番号の対象人物について──現時点で、神殿の正本には”存在”が確認されません」
ざわめきが、広場全体に波紋のように広がっていく。
(……やっぱり、今回も……)
私は思わず息を詰め、副記録帳を見つめた。
【神殿官】
「……照合完了。帳面を閉じます」
パタン、と記録帳の表紙が閉じられた。
【リュシアン】
「──失礼ですが。一度、帳面を開いていただけますか」
神殿官が怪訝そうに眉をひそめる。
けれど、群衆の視線が集まり始めたことに気づくと、無言で再び副記録帳を開いた。
その瞬間だった。光が差し込む帳面の上で、文字がゆらめき始める。
まるで誰かの見えない手が、インクを引き剥がすように──
「ヴァルト・サーヴェル」の名前が、ゆっくりと、静かに消えていった。
【アメリア】
「……!」
(また、消えた……)
指先が震える。何度、こうして”存在”が消されるのを見てきただろう。
(わたしが記した。それなのに──こんなふうに、何も残らないなんて)
でも今回は、違った。
この場にいた”全員”が、その消失を目撃したのだ。
「……消えた? じゃあ、さっきのは……幻だったのか?」
「でも、たしかに見たぞ……。名前が、そこに”あった”」
「神殿の記録って、こんなふうに消えるものなのか?」
群衆の声が一斉に広がる。
【神殿官】
「……照合中、記述が確認できなくなりました。神殿側での処理は、“照合不能”と判断されます」
「本件は”抹消済み記録への干渉”として、記録します」
【リュシアン】
「……では、訊ねます」
「今、この場で記録が消失しました。これがあなた方の"完全性"ですか?」
「私たちが記したものを、誰が、どうやって消したのか──説明していただけませんか」
そのとき──視線の端で、黒衣の男がふっと口角を上げた。リュシアンは黒衣の男を一瞥する。何も言わなかった。けれどその眼差しには、何か既知のものを見たときの、わずかな“確認”の色が宿っていた。
(……あの人は、やっぱり──)
空気が、張り詰める。神殿側は沈黙し、群衆のささやきが静かに波立った。
(……言った。言ってしまった)
私は思った。これは、もう”戻れない問い”だ。
──それでも、誰かが言わなければ、見なければならなかった。
そのとき──視線の端で、黒衣の男がふっと口角を上げた。
リュシアンは黒衣の男を一瞥する。
何も言わなかった。
けれどその眼差しには、何か既知のものを見たときの、わずかな“確認”の色が宿っていた。
(……あの人は、やっぱり──)
その微笑はまるで、
「上出来です。さあ、次へ」と言っているようで──
すべてが彼の掌の上で踊らされているような、恐ろしい確信に満ちていた。
空白になった頁の上、風が一枚、めくりかけた紙を揺らした。
そして──儀式は、次の段階へと進んでいく。




