第36話:副記録帳と問いの前夜
明日、“声を上げる”という名の問いが、世界に向けて投げられる。
それは、神殿の記録に異議を申し立てる──この国の”真実”に風穴を開ける、初めての行為だった。
書斎に戻ると、リュシアンが既に準備を整えていた。
彼が手にしていたのは、"記録から消された者"を、もう一度この世界に記そうとする帳面──副記録帳だった。
【リュシアン】
「……これが、副記録帳です。神殿の正本に対応する、控えの記録。
正式ではないけど、一定の証明力があります」
頁の一部には、以前、神殿に提出したときと同じ記述が並んでいた。
けれど、それは──
【アメリア】
「……これ、前に”消された”ものと、同じじゃ……?」
「また、同じことを繰り返すんですか……?」
紙をめくる手が、かすかに震える。
(また、あのときのように消されてしまったら……)
胸の奥に、冷たい予感がよぎった。
記されたはずの言葉が、何もなかったように消された記憶。
それをもう一度、自分の手でなぞるなんて──
【リュシアン】
「たしかに、前回は”消される”という形で拒まれました」
「でも、今回は違います。……状況も、構造も」
「それに……もう、手は打ってあるんです」
彼の表情が、一瞬だけ険しくなる。
【リュシアン】
「神殿内にも、今の体制に疑問を持つ者がいる。
ただし……相手も、僕たちの動きに気づいているかもしれません」
【アメリア】
「……“手”?」
リュシアンは少しだけ言葉を選ぶように目を伏せたが、すぐにこちらをまっすぐに見た。
【リュシアン】
「実はもう、“記録に異議がある”という通告は、神殿の照合台帳に出してあります。
ただし──その”記録を書き換える言葉”が、誰のものかは、明日、君に示してほしい」
【アメリア】
「……わたしが、記すんですね」
【リュシアン】
「ええ。君の声が、最初の一行になるべきだと思っています」
「だから、君が書いたあと──僕が”根拠”として補足する」
「……その順番で、すべてが通るように調整してあります」
(“書く者”として選ばれている──)
(でも、それは命令じゃなかった。ただ、“信頼”として差し出された)
【リュシアン】
「リア。今回は、“問いかけ”です」
「君の声が、記録の在り方を変える力になると信じている」
「だから──その”問いかけ”を、一緒に担いたいんです」
彼の手が、そっと副記録帳の表紙を撫でる。
その指先に、何かを託すような祈りのような温度を感じた。
(……また、記されないかもしれない)
(でも、それでも──)
【アメリア】
「……私は、記します」
「たとえ、この記録が”消される”としても、そこに意味があると信じたい」
リュシアンが、静かに微笑む。
【リュシアン】
「ありがとう。君の声が埋もれず届くように、すべての準備は、整えてあります」
(“問いかけ”という名の記録)
(それが、世界に風穴を開けることを願って)
──夜明け前の静けさに、頁がめくられる音だけが響いた。




