第32話:静かな変化
手にした綴じ帳が、服の内側からじんわりと重みを伝えてきた。
修道院の門を出ると、空の色はもう夕暮れに近づいている。
(この記録が、ヴァルトさんの”生”を証明できるかもしれない)
そう思うだけで、足取りが自然と速くなった。
向かう先は、報道官補佐として通っていた、詰所。だが──扉を開いた瞬間、ほんのわずかな空気の違和感を感じ取った。
(何かが──わたしたちを”見ている”ような気がする)
【リュシアン】
「……来てくれたんですね」
彼は、机の上に散らばった書類をゆっくりとまとめながら、こちらに目を向けた。紙の束の間から、筆跡の異なる何枚かの草稿がのぞいていた。
【アメリア】
「少し……様子が違いますね。何かあったんですか?」
リュシアンは軽く息を吐き、視線を窓の外に向ける。
【リュシアン】
「最近、些細な手紙にも”念のため”の検閲が入るようになって……。報道の下書きでさえ、あちこちで止められてる。ちょっと、笑えませんよね」
(……やっぱり、何かが動き始めてる)
【リュシアン】
「それに、僕の机。整理された形跡があるんです」
「誰かが探っている。でも、証拠がない限り”何もない”んでしょうね」
私は、胸元の綴じ帳にそっと手を添えた。
【アメリア】
「……だったら、ここでは話せません。この記録のこと──」
【リュシアン】
「家で会いましょう」
立ち上がった彼の手が、一瞬だけ机の引き出しに触れた。そこには、いくつかの書類と──ひときわ目を引く、赤い封筒があった。
リュシアンはそれらを整えるだけで、特に何も言わずに扉へ向かう。
【アメリア】
「それ……」
【リュシアン】
「ただの”備え”ですよ」
「何があっても、ちゃんと届くように。……あなたの記録が、意味を持つように」
「詳細は、まだ言えません。でも、きっと守れると信じてます」
【アメリア】
「わかりました」
【リュシアン】
「君が何を持ってきたのか、きちんと受け取ります」
「──それが、報道官の役目ですから」
【アメリア】
「じゃあ、あとで。リヒテンタール邸で」
【リュシアン】
「はい。先に戻っているかもしれませんが、気をつけて」
私たちはそれぞれ、別の道を歩き出した。けれどその先に重なる記録が、いま静かに、確かに芽吹こうとしていた。
(この記録が、誰かの”生”を証す日が来るなら──その始まりになる)




