表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/41

第28話:灯りの下で、ひと息

リヒテンタール邸を出ると、街の空気が一段と冷たくなっていた。

隣を歩く彼の存在だけが、この夜に温もりを与えてくれる。


静かな石畳の道に、遠くから灯りが滲んで見えた。


(屋台?)


昼の喧騒とは違う、小さく揺れる火と、わずかな人影。ひっそりと、けれど確かに、誰かの営みがそこにあった。


【リュシアン】

「こんな時間に、まだ開いてるとは。珍しいですね」


【アメリア】

「夜市の名残でしょうか」


【リュシアン】

「おそらく。ですが、ちょうどよかった」


くるりと振り返ると、彼は少しだけ笑った。


【リュシアン】

「記録が重すぎた一日でした。せめて最後に、軽い頁を一枚くらい」


(軽い頁)

(彼のそんな言葉が、今夜いちばんあたたかく感じた)


思わず、口元が緩む。


【リュシアン】

「何か買ってきます。少しだけ──待っていていただけますか?」


【アメリア】

「はい」


彼の背中が、ひとつ灯りの中へと紛れていく。その足取りはどこか軽くて、けれど何かを抱えているようでもあった。


私は、すぐそばのベンチに腰掛けた。


(本当は修道院に戻る時間だけれど、今日は任務扱いだったから、大目に見てもらえるはず)

(だから少しだけ。……もう少しだけ、ここにいたい)


夜風が頬をかすめても、今だけは、冷たさよりも安心が勝っていた。


ふと、足音が近づいてくる。細いヒールの音。軽やかで、ためらいのない足取り。


月明かりの下、深紅のマントがふわりと揺れた。どこかで見たことのある姿。以前、落とし物を届けたときに交わした視線──あの瞳の色を、わたしは覚えていた。


【カリーナ】

「まあ。こんな時間に”待つ女”だなんて、ちょっと素敵じゃない」


その瞳が、私を見てふっと笑う。赤みを帯びた紫の瞳は、灯りの中でやさしく揺れていた。


【カリーナ】

「誰か、大切な人?」

「答えなくてもいいわ。瞳が、もうそう言ってるもの」


私は言葉に詰まり、思わず視線を落とす。けれど彼女は気に留める様子もなく、すっと背を向けた。


【カリーナ】

「ねえ。自分ではまだ気づいてないかもしれないけれど──」

「咲き始めた花って、案外、自分の香りに気づかないものよ?」


マントの裾が夜風にひるがえり、去り際、ふんわりと甘い香りが残る。

それは──まぎれもなく、“春”の匂いだった。


(……咲き始めた、って)

(わたしが──?)


まだわからない。でも、胸の奥で、なにかがかすかに揺れていた。


──その余韻に包まれているときだった。


別の"甘い香り"が鼻をくすぐる。


【リュシアン】

「お待たせしました」


彼の手には紙袋。

ほんのり湯気を立てるそれは、あたたかな甘い香りを放っていた。

そして──足元に、小さな影がちょこんと立っていた。


【アメリア】

「あの、猫が」


【リュシアン】

「ああ、これは......屋台にいて、ついてきてしまって」


困ったような表情を浮かべながらも、リュシアンはもう一つの小さな包みを取り出す。


【リュシアン】

「店主さんが、"また迷い猫が来た"って。この子用のおやつもくれたんです」


そっと包みを開けて、猫にほんの少しだけ与える。

猫は嬉しそうに食べて、そのままリュシアンの膝に飛び乗った。


【リュシアン】

「......なぜかいつも、こうなるんです」


苦笑いしながらも、優しく猫を撫でる手つき。

私もつられて、小さく笑った。


(こうしていると、本当に、ただの記録みたい)


でも、きっと。これは”余白”かもしれないけど、記録の中の大事な一頁になるのだと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ