第23話:記す覚悟
(ヴァルトさんは、生きていた──)
その事実だけで、すべてが変わる。
私たちは、静かに向かい合って机の上の二つの紙を見つめていた。
封筒と、数枚の吸い取り紙。ヴァルトが渡してくれたものだ。
「密約」の正体はまだわからない。でも、確かなことがひとつだけある。
あの夜、処刑されたはずの人。記録では"死んだ"とされていたのに、証言が残っていた。
(それが、この世界にとってどんな意味をもつのか、わたしはまだ知らない)
けれど──お互いの過去を知ったことで、何かが変わった。
もう一人で抱え込む必要はない。この重みを、分かち合うことができる。
【アメリア】
「……記したいんです」
「“在った”って。……あの夜、生きていたということだけでも」
震える手で、記録帳を開いた。白い頁が、風にめくれてわたしを待っている。
迷いは、まだ胸の奥に残っていた。でも、あのとき名前を告げたように、今の私は、もう何も書けなかった自分ではない。
視線を上げると、彼が静かにうなずいた。
【リュシアン】
「……君の声が埋もれないように、僕も記します」
「一人じゃない。僕たちは、一緒にこの記録と向き合える」
その言葉に、そっと背中を押された。
私はペンを取り、報告の形式に則って、証言をまとめていく。処刑されたはずの男が、あの夜、生き延びていたという事実。わたしの目で見て、耳で聞いたことを、そのまま記した。
文末で、ペン先をそっと止める。
(ヴァルトの名は……記さない)
(でも、“存在していた”ことは、ここに残す)
深く息を吐いて、記録帳を閉じた。わずかに震えていた指先が、ようやく静かになる。
けれど今、その記録は、たしかにここにある。──たとえ、今はまだ誰にも読まれなくても。
(いつか、この記録がもう一度開かれるときが来るなら)
(そのとき、“あの夜”は、本当に”あった”と証明される)
椅子を引いて立ち上がると、向かいにいた彼もまた静かに立ち上がった。言葉はなかった。けれど、その目がまっすぐに私を見ていた。
それだけで、十分だった。その沈黙は、信じるという選択のように思えた。




