第15話:誰の記録か
(……確かめたかった?)
名前を問われたわけじゃない。
けれど、「別の名前が透けて見える」……そのひとことが、私の”記されていない過去”に、火を灯したように感じた。
そして、彼の最後の言葉。「確かめたかった」。
(この人は、最初から知ってた? それとも、疑ってた?)
たき火の炎が揺れている。夜の森は深く静かで、その中で何かが──動いた。
ギィッ、と木が軋む音。乾いた枝を誰かが踏み外したような、微かな破裂音。すぐに、草を踏み割る気配が続いた。
私は息を飲んだ。彼も、即座に身を起こしていた。
【リュシアン】
「屋敷のほう……今、動きましたね」
その声の奥に、わずかな確信が滲んでいた。私が視線を向けると、彼もその方向を見ていた。
【リュシアン】
「……やはり。踏ませるように仕掛けてありました」
「逃げ道のためにしては──ずいぶん、目立ちますし」
リュシアンは最初から気づいていた。廃屋の入口付近の不自然な仕掛け──踏めば音が出る簡易な警告装置に。
【アメリア】
「それって……」
【リュシアン】
「見つかりたくなかったのか。見つけてほしかったのか」
「……どちらかは、本人にもわからないのかもしれません」
焚き火の炎が、ぱちりと鳴って跳ねた。風ではない”何か”が、森の奥で動いた気配。その気配は、かつての私だったのかもしれない。 光と影のあいだに、いまもなお、似た歩幅で逃げている誰かがいた。
リュシアンは立ち上がり、手慣れた動きで火を踏み消す。
【リュシアン】
「……行きましょう。このまま消えられたら……記録の中でも、現実でも、彼はまた”いなくなる”」
【アメリア】
「待って、武器なんて──」
【リュシアン】
「要りません」
一瞬だけ、彼の目がこちらをかすめた。そこには、何かを理解したような光があった。
【リュシアン】
「記録されていない人間は、光を恐れる」
「……君なら、わかるでしょう?」
その言葉には、祈りのような響きがあった。そして、彼が私の正体を完全に理解している証でもあった。
闇の中、彼が振り返る。
【リュシアン】
「僕が前を。君は──目を逸らさないで」
(もし彼を見つけたら……私が、その人の物語を記すことになるのかもしれない)
(誰かの咎を、"咎のまま終わらせない"ために)
彼は私が"記されていない者"だと知っていて、それでも──
いや、だからこそ、この任務を続けようとしている。
一歩踏み出した瞬間、私は確信した。
この夜の先で、誰かの物語が終わるか、始まるかが決まる。 そして、その記録を残すのは──きっと、私だ。