第13話:気配の裏に
記録にない場所が、そこにあった。
森の奥、ぽっかりと開けた空間に、崩れかけた石造りの建物が立っている。
(……あれが、修道院の跡)
瓦礫の間からのぞくアーチ。壁面には、祈りの言葉の刻印がかすかに残っている。鐘楼の上部は崩れ落ち、空を見上げるように穴を開けていた。
(かつてここは、“記す”ための場所だった──)
けれど今は、ただ風だけが祈るように吹き抜けていく。その静けさに、思わず息を呑んだ。
【アメリア】
「……見えてきました」
小さな声になった。言葉にしてしまえば、何かが崩れそうで。
リュシアンは、すぐには返事をしなかった。代わりに、私の横顔をそっと見つめていた。その視線には、確認するような色があった。
(何かを思い出しそうで、思い出せない)
この場所に、かつて足を踏み入れたような──でも、その記憶は霧の奥に沈んでいた。
建物の奥から、風が冷たい空気を運んでくる。その匂いが、昔と同じだった気がして──足が止まった。
【リュシアン】
「無理はしなくていいですよ」
前を向いたまま、彼は言った。私の表情を見ることもなく、ただ穏やかに。
(見られてないのに、見透かされてるみたい)
彼は何も問わない。名前も、過去も、正体さえも。けれど──記録というものに複雑な思いを抱く者への、静かな共感があった。
私が歩き出すのを、彼は急かさず、ただ待っていた。まるで、“選ぶ時間”そのものを差し出してくれているかのように。
(……怖い。でも、この人が”待ってくれている”のは、うれしい)
足に、少しだけ力を込めた。
──そのとき、視界の隅にもうひとつの影が映った。
修道院跡の脇、木々の合間に、別の廃屋がある。屋根は崩れ、扉も半分外れていた。
ほんの一瞬、胸の奥がざわついた。
でも──何に反応したのか、自分でもわからなかった。
【アメリア】
「……あれは」
風に揺れる扉の奥で、何かが動いた。