第12話:変化の予感
森の奥へ、感覚ごと引き込まれていくようだった。それと同時に、リュシアンの気配も変わったのを感じる。
道はさらに険しくなっていく。枝が服に触れ、ぬかるみに足が沈むたび、緊張が肌に張り付いてくる。
彼は変わらず静かだった。振り返ることはないのに、足元の悪い場所では、さりげなく歩幅を合わせてくれている。
(……なんで、こんなに自然にできるんだろう)
石を踏み外しかけた瞬間、そっと袖が引かれた。誰かに掴まれたわけではない。けれど、そこに“気配”があった
【リュシアン】
「……無意識でした。気づいたら、動いていて」
すぐに離れたその気配は、跡を残さなかった。でも、なぜか温度だけが、袖越しに残っていた。
(この人は、いつも見ている)
(私の足取りも、表情も、きっと……すべて)
それが観察なのか、気遣いなのか、わからなかった。でも──まるで同士を気にかけるような、そんな温度があった。
少し開けた場所に出た。倒木の幹に地図を広げたリュシアンが、鞄から小さな金属製の携帯瓶を取り出す。
よく磨かれた瓶が無言で差し出された。几帳面さがにじんでいる。
【リュシアン】
「……冷えますから。中身は、ごく普通のものです」
差し出された瓶には、彼の手のぬくもりがまだ残っていた。ことさら理由をつけるわけでもなく、ただ、静かに。
中身は、ほんのり甘くて、少しだけ薬草の香りがする。
(……これ、もしかして自分のだった?)
名前のない優しさに、触れた気がした。けれど、あえて何も言わず、私はただ、静かにそれを飲み込んだ。
「ピピピッ」
木の枝から小鳥が舞い降り、リュシアンの肩に止まる。
【リュシアン】
「また……」
彼は苦笑いしながら、そっと枝に戻してやる。それだけで、彼という人が少しわかった気がした。
鳥と風が通り過ぎる音の中、彼は前を向いたまま地図を広げた。
瓶を返すと、彼は軽く受け取り、また無言で背を向けた。
【リュシアン】
「……行きましょう。”今日の記録”、まだ続きがありそうです」
その背中に、私も静かに続いた。
(疲れているはずなのに……不思議と、足が重くない)
(この人となら、もう少しだけ──歩ける気がする)
山道には、まだ冷たい風が吹いていた。けれど、心の奥で小さな蕾が咲きかけている気がした。